昔、子供の頃はゴールデンウイークと言うのが楽しかった。学校行かないでいいから。ただそれだけ。
何時の頃からか、大型連休と言われ、振替休日まで「おまけ」のように付くようになって、なんかこの時期は“恐怖感”に捉われるようになった。
どこかに出かけるとか、何かをしなけれなとか。
在職中は3~4日の大型イベントをやっていた。連日会場へ。何故か楽しかった・・・。どうも「休み」というのが嫌いな性分らしい。変な奴だ。
決まりきったニュース。渋滞、混雑。どっか「勝手にどうぞ」って。もっとも、子供達にとっては、かつてのボクがそうであったように、楽しい数日であっただろが。
伝えるべきニュースがもっとあったのではないかとも思う。
連休を利用して、ボランティア活動に精を出していた人達。テレビでちょっと見た光景。
津波の跡地で、田んぼの石を手で拾い“選別”する作業。
近所の田んぼの光景。旦那がトラクターで田をうねらす。奥さんは、といっても相当の年配だけど、腰をかがめて手作業で田の草取り。
最後は手仕事なんだと。
重機で片づけられた瓦礫。田んぼを復活させるためには埋め尽くされた石ころを除去することが必要なのだ。
農家は高齢化している。大方。いや被災地そのものが高齢化社会なのだ。元に戻す以外に生活の方法を知らない。
小石を拾って片づけていたのは東京から来たボランティアの人達だという。休みを利用しての。
小石だけではない。まだまだ家の片づけだってある。若い人の手と力を借りねば出来ない。
ニュースは言う。「ボランティアの人数は減っています」と。減っていると言うのは事実。そこにある“非難”の空気。違うと思う。
世が“行楽”に浮かれている時、黙々と力仕事を手伝っている人がまだいるということ。まだいるんだ。減ったけど居る。それを強調してほしかった。
なんでも「人数」という数字で推し量ることではないと。
12閣僚が外遊にいった。もちろん仕事だ。総理大臣も外交日程の激務をこなした。“成果”をあげた。
そして連休の仕上げはゴルフだった。仕事としての警察官はいったい何人動員されたことだろう。
総理大臣が行くゴルフ場は大変なのだ。警護、警備。他のプレーヤーは迷惑を被る。前後2ホールは空けねばならないし。
総理大臣になったらゴルフはやめるべきだ。そう言って来た。田中角栄にも、あの「パス、パス」連呼するせっかちのゴルファーにも言った覚えがある。
休みを利用して被災地にボランティアに行った人達。動機がどうだとかなんとか、その意志を問うことはすべきでない。行って役だったことは事実だと思うから。
もしかしたら、被災地の人達に迷惑をかけた部分があるかもしれない。
「ほんとうに有り難かった」、そう言って若者手を合わせていた人達がいたのも事実だ。
被災地に行ってきた。観光バスであの朽ち果てた防災庁舎の前で記念撮影をする人達もいた。それを複雑な思いで睨むように見ていた遺族もいた。
「復興商店街」は賑わいを見せていた。
郡山の開成山広場ではラーメンショー。賑わっていた。
そう、だからどうだって言うんじゃない。
それぞれのゴールデンウイークがあったということ。