今日の午前0時をもって、双葉町の区域再編が行われた。双葉郡は96%の人が住んでいた帰還困難区域と4%の人が住んでいた避難指示解除準備区域とに再編された。
テレビのニュースは言う。「福島県内の警戒区域はすべてなくなりました」と。
それだけを見た人、聞いた人は、もちろん遠くの地方の人だけど、「明るい、前向きなニュース」と捉えるだろう。“最悪”の区域が無くなったのだから。
「解除準備区域」はほとんどが津波で家を流されていたり、倒壊したまま放置されてきた場所。そこの喜んで帰る人がそれほどいるのか。
帰還困難区域。解除までには最低6年と国は言う。日中の人の出入りは許可される。宿泊はダメ。
純粋な子供ならば聞くだろう。「なんでお昼間は帰ってよくて、夜はダメなの。夜になると放射線量が増えるってこと?」。
放射線量の計算には24時間で・・・という“基準”がある。被曝線量が。
年間1ミリシーベルトと年間20ミリシーベルト。
その「数字」がまかり通っている間は、いやずっと続くだろうが、何としても1ミリシーベルト以下に抑えなければならないのだ。
区域再編を、当該町村長はおおむね“前進”とみなしているようだ。除染を進め、復興の第一歩をと言う。
多くの住民は疑義を持っている。帰ったって何もないじゃないか。何をしろっていうんだよと。
本当に除染なるものが可能であり、6年後には、事故前の線量になっているのか。あり得ない。ならない。例え、1ミリシーベルト以下になったとしても、それは事故前よりはるかに高い数値だ。
近くのいわき市に住居を構え、新生活をスタートさせようと考えている人も多い。
ある意味、今のいわき市はパニックだ。住む家が無い、見つからない。そしていわき住民と双葉郡の住民との間に「賠償金」をめぐっての軋轢が顕在化している。時には“醜さ”さえも伴って。
要するに「区域再編」をしたところで、何も変わらないと言うことなのだ。一人一人の生活にとっては。
1ミリシーベルトと20ミリシーベルトの狭間。一時細野は5ミリという考えを提示しようとした。
郡山に避難させられた川内村の人達。その一部の人達の住居の線量は、郡山の避難所より低かった。
福島市や郡山市にも、いわゆるホットスポットというか、高線量の地域があった。まだあるはず。1ミリは越えるが20ミリには行かに地域。
まさにまだら模様だ。
福島市にも郡山市にも「避難指示」は出されなかった。受け入れ先が無い、人口流出を避けたい。そんな“思惑”が働いていたのではという確たる機関の調査結果のようなものもある。
区域再編も、真の狙いはそのあたりになるのかもしれない。とさえ思う。
毎日福島県のメディアからは線量の数値が伝えられている。最初は平均値であり、最小値と最大値。
区域再編が為されてなにがどうなるのか。変わるのか。同じだ。一時帰宅が“自由”に出来るだけ。
原発事故をおこした1F。そこは1号機のあるとこでも3号機の所でも、依然として高線量だ。今は、放射線もその場に留まっているのかもしれないが、そこだけを危険区域としていればどうにかなるってことかもしれないが、いつ、何どき、何かの“異変”があれば、その時、風がどう吹いているかによって、またも警戒区域が発生することだって在り得るのだ。
政治家や官僚のお好きな言葉だが「可能性は排除されない」のだ。
2年前に頭がタイムスリップしていくようだ。
一言だけ言っておく。1ミリシーベルトと20ミリシーベルトの間で暮らしている人達も、癌をそれが原因で発症した人はいないし、奇形児も生まれていない。
放射線へのかすかな不安、将来の、いや、明日の生活への確たる不安。そんなことを感じながら多く人たちが暮らしている。
多くの郡山市民は“普通”の暮らしを営んでいる。それは事実。