2013年5月13日月曜日

彼らは憲法を知っていた

昨日、東京から甥とその娘がやって来た。物凄いひさしぶりの再会。
甥は45歳、娘は高校2年生。

娘はリュックの中からノートを取り出す。日本史の勉強をしないといけないのだと。娘に聞いてみた。
憲法を学校で習っているかと。習ったという。各条文が教科書にあって、それを勉強したという。

学校では憲法を教えているのだ。文部省の検定教科書でも教えているのだ。もちろん、想像するにその「解釈」や「成り立ち」について教えていいるかはわからないが。

多分、一般知識としての憲法を教えているだけだとは思うのだが。教師が日教組かどうかもしらないが。

甥に至っては驚いた。憲法前文をすらすら暗記していて、ソラで“読み上げ”始める。途中で、ま、これくらいって終わりにされたが。その甥は中学、高校と極めて学業成績の劣る子だったのだが、暗記していたとは・・・。

それ以上彼らとは憲法論議は敢えてしなかった。知っていたことだけで嬉しかったから。

マスコミは「憲法を知らない世代が増えている」という。テレビの街頭インタビューでは、たしかに「知らない」と答えている子供や大人もいた。
それは万事を伝えていることでは無かった・・・。

安倍政権の支持率は依然高い。しかし、憲法改正となると反対の意見が多いと直近の、あの読売新聞の世論調査でも数字が出されている。

支持率イコール憲法改正ではないのだということ。改正という字を書くのにはためらいがあるが。

彼らを須賀川にある野菜の直売所に案内した。彼らの実家は、一昨年のあの日以降も福島に来て、帰りにそこで野菜を買っていっていた。車のトランクいっぱいに。

「あんな美味しい野菜を食べたことがない」というのが口癖。時々、野菜や米を送る。口うるさい旦那も喜んで口にして、もっとなにのかとも言っていたともいう。
実家向けに野菜を持たせてやった。

「安い」「美味い」という。当たり前だ。農家は様々な工夫を凝らして美味しいものを作っている。安いのは、値崩れを起こしているわけでもなければ、買ってもらうためにわざわざ値を下げているわけでもない。
「流通」という構造を通らない限り、東京に比べて安いのは当たり前なのだ。それがその野菜の「正当」な価格なのだ。

県産の野菜や米の検査は厳重だ。そのためにかなりの「労力」が注がれている。
おそらく、逆説的な言い方かもしれないが、日本一安全、安心な農産物なのだ。

甥も娘も「線量」に関して意にも介していない。郡山の。あげく娘が言い出す。
「私、ここに住む」と。もちろん本気ではないだろうが。

郡山のはずれに三穂田という地区がある。一大米作地だ。そこの米は美味い。
東京の知人に時々送る。「あんな美味しいお米が食べられているなんて羨ましい」という。早くも新米にさえ期待している。

「食の安全」のために農家がどれだけ苦労しているかを言う必要はない。喜んで食べて貰えれば、美味しいと思ってもらえれば、それで十分なのだ。

買って貰う必要はない。買いたい人が買えばいい。食べたい人は食べればいい。
当たり前のことだ。

甥の家も、その実家も、今夜は夕餉に福島の食材が並ぶはず。「美味しいね」と言い合う家族の笑顔を想像するのが楽しみだ。

仮に甥の一家に「憲法判断」が問われる、迫られるようになった時。彼らは当たり前の判断をするだろう。叔父さんの考えを聞くまでも無く・・・。

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