2013年5月2日木曜日

「原発作業員に国民栄誉賞を」

過日の朝日新聞「耕論」という欄で国民栄誉賞の話が書かれていた。
そこにあった民主党の辻本清美の話に興味が湧いた。

国民栄誉賞は「フクシマフィフティーズ」と呼ばれた人達を含め、あの大事故の際、命がけで事故拡大を食い止めてくれた作業員の人達にあげるべきだというのだ。「今日も、おそらく日本で一番しんどい現場で働いている彼らこそ受賞に値いするんです」と言っている。

さらに、「実際、外国からは福島の英雄に賞が贈られている。なのに日本では称えられるどころか、待遇は悪化し、その姿もよく見えなくなっている」と。

この事を彼女は衆院の予算委員会で取り上げたそうだ。知らなかった。なぜか。メディアが伝えないから。その予算員会にNHKの中継が入っていれば、あるいは目にし耳にしたかもしれないが。

「国民栄誉賞は福島の作業員に出したらどうですか」と質問したという。安倍首相は「前人未到の大きな記録を出したり、記憶を残した方々に出すもんだ」と答えたと言う。
「そういう議論をここでやるのはいかがか」とも言ったと言う。

折から、いわゆる「春の叙勲」は終わったばかり。消防活動に長年貢献した人はその対象になっていた。それらは各界の推挙により、一定の基準を満たした者に対して、内閣賞勲局が決める。
国民栄誉賞は政権の意志だけで決められる。

少なくとも、あの時、あの現場で、1Fに残った50人、一時は2Fに退避し、ほどなく1Fに戻ったその他多くの作業員や関係者。自宅にいて現場に駆け付けた作業員・・・。

彼らはいずれも、決して大げさではなく「命」を考えたはず。そして、まさに「命を賭して」作業にあたった筈。

「俺が原発を止めてくる」。そう言って止める家族の手を振りほどいて現場に戻った人達。「原発」の雇用されていた福島県の人達。
彼らの一様の想いは、家族を守り、郷土を守り、この国を守ろうという“使命感”を持っていたということ。

作業員だけではない。消火に、放水に向かった自衛隊員、警察官、東京消防庁の人達。

彼らの英雄的行為が無ければ、もしかしたら、4号機も爆発していたかもしれない。5,6号機にも飛び火していたかもしれない。
そうなっていたら、その被害の実態は・・・。東京にまで及んでいたであろう汚染。

この国は事実上「終わっていた」と想像するに難くない。“美しい国日本”は無かったはず。

かろうじて現状で抑えられたということ。それは一部の人間の努力に支えられた“僥倖”と言ってもいい。

あの時、彼らのその志は称えられた。志でしか語れなかった。今、あの現場で働いている人達を巡って言われるのは、過酷な労働環境と「ピンハネ」と称する金のことばかり・・・。

現場に士気や如何と思う。

原子力規制委員会がやっと動き始めたような気配だ。事故原因を追及するために。解明するために。強制力を持った国の機関として。
委員会が、いわゆる安全神話を前提とした報告書を作るのか、あらゆる証言や証拠を積み上げて事の真実に迫った報告書が作れるのか。

その真価が問われる。それは原子力行政の分水嶺とも成り得る。

経済成長、景気回復、北の脅威、領土問題、あげく憲法論議。ニュースを賑わしていることの様々は、どれも「原発から目をそらさせるための事」のように思えてならない。

ゴールデンウイークの人出、車のラッシュ、新幹線のラッシュ、飛行機のラッシュ。毎年の“恒例行事”だ。ニュースに値するのか。しない。
1Fへの入門証、首から下げた線量計。「これがボクらの“勲章”ですよ」ときょうも働いているであろう作業員たちに自嘲気味に言われたくない。言わしてはならないはず。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...