2013年5月20日月曜日

「不条理が普通になってしまった」ということ

不条理とはまさに道理に反することであり、あってはならないことを言う筈なのだが。

不条理な世の中に生きていくのは「まっぴらゴメン」と思うのだが。

誰しも「不条理」であることを嫌う。誰しも「不条理」であることを非難する。

たしかに、「3・11」前は、不条理という言葉はあまり聞かれなかった。
そして、その言葉が復活した。

それは「実相」がそうだから。そして、何時の間にか「不条理」であることが「普通」のようになってしまった。不条理であることが当然のようになってしまった。

不条理の定義をわきまえない人達が、侵略の定義に疑義を呈している。噴飯ものだ。

時々眼にする「復興予算」の流用。まさに不条理の典型だ。

瓦礫処理をめぐって被災地以外の処分場がある自治体に、処理のための復興予算がつけられた。総額250億円。

そこでの処理は必要無くなった。多少の“やましさ”を覚えながら、その自治体は“ありがたく頂戴する”という。「理由づけに無理があるとは思ったが、ありがたい」という。
予算をつけた環境省は「返還は求めない」という。何に使われるのだろう。

250億円。凄い金額だ。

なぜその金が福島や被災地のために使われないのか。素人くさい疑問。疑義。異論。

たぶん30年は帰れないだろう区域の人達。元の家や土地を売って新たな“人生”を出発させようと決めた人達も数多くいる。
東電の買い上げ価格は、その基準が酷過ぎる。固定資産税の評価額だとも言う。
百万とか2百万円。

新たに家を買うには、県下であっても、それが30坪程度の家であっても3,000万円はするだろう。新たな生活は出来ないのだ。人生設計が出来ないのだ。

250億円の住宅購入資金補助があれば、何軒の家が建てられるのか。千軒近くの家が建てられる計算になるはず。
地元の建設業者を使えば、雇用の創出含め、それは一時的なものかもしれないが、とりあえずは“潤う”はず。

被災地復興のための予算が、被災地に行かず、他のところに運ばれる。

どうみても不条理だ。そう思う。

今、この国にある「不条理な現象」の数々。その不条理を甘受しなければならない人達・・・。

不条理が厳然として存在するのが「普通の国」なのか。

不条理に抗するすべを探す。どこにあるのか・・・。見つけにくい・・・。

何回も言う。福島にも沖縄にも、不条理が押し付けられていることを。不条理を不条理と思わなくなった人達がいることを。

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