2013年5月8日水曜日

「区域再編」への限りない疑問

原発被災地、“強制避難”させられた町村への国が決めた区域指定。きのう、双葉町に再編計画が示された。残るは川俣町の一部だけ。

区域再編とは警戒区域がなくなり、帰還困難区域とか避難解除準備区域に変えると言うことだけ。

再編されたからと言ってなにがどう変わるのか。立ち入りは許されるが、「帰還」は6年後が目途だという。6年と言う根拠は何か。除染ということなのか。

膨大な費用を費やしての除染。実現も含めて、その可能性を疑う。

双葉町の再編。「町が決めたら帰ってもいいですよ」みたいな解除準備区域はわずか4%程度の土地。年間被曝線量20ミリシーベルトの区域。しかい、そこは殆ど津波で流されている。放射線量の問題じゃない。そこに住むこと自体が困難なのだ。何もないのだから。

残り96%が帰還困難区域。年間放射線の被曝線量50ミリシーベルト超の区域。該当住民は6,200人余り。家は津波で流されなかった。ネズミには食い荒らされている。家は朽ちかけている。6年後・・・。町は町で無くなっているはず。

仮設住宅に住む町民は言う。「もう帰るのは無理でしょう。家族ばらばらで住むより、皆が一緒に暮らすことを考えたほうがいい」。たぶん、みんなそう思っているはずだ。

区域再編を受け入れたのは東電が賠償金に差をつけないと言ったからだという。
賠償金。一人月10万円。カネ、カネ、カネ。みじめだ。10万のカネが人の心を左右することはあってはならないのだが、10万は大金だ。

例えは悪いが、東京の中心の料亭で政治家が使うカネは一晩10万だ。

区域再編を終えると、国は「一仕事終わった」とするのだろう。もちろん表面上はその後尾対策にも手を染めていくだろう。しかし、その本気度は・・・。もうすでに薄らいでいる国の「責任」。

区域再編が言われる中、仮の町構想なるものもすっかり俎上に上がらなくなった。
6年と言われて、それまでじっと我慢して待つと言うことなのか。俺なら待てない。
だから思う。区域再編ということが、区域の見直しと言うことがどれほどの意味を持っているのかということを。

来月初め、福島市で東北六魂祭というのが催される。遠来の客を、2~3日逗留する人のために国と県は億のカネをかけてパレードが行われる国道沿いを“徹底的”の除染し、空間線量を下げると言う。

市の中心部からちょっと離れた所にはいわゆるホットスポットなるものが存在する。それとて、そこに一日中、人が立っているわけではない。まして、パレードが通過するための道路。

「除染」そのものへの疑義。六魂祭というお祭りと、それが“復興”のためだとしても、“復興”なんて言葉も存在しない帰還困難区域に“再編”されてということの落差。
その落差はボクの気持ちの中で埋めることは出来ない。

かつて大和朝廷は、中央政府は、東北の地から様々な物を奪って行った。アテルイの時代は鉄、馬。平泉の時代は金。やがて近代と言う明治以降、多くの若い労力。

東北の歴史の中で、こちらの側から中央に戦を挑んだ歴史はない。常に中央から戦を仕掛けられ、破れ、奪われてきた。国策としての原子力発電は、結果、その土地も奪った。

刃を向けたくなるのも当然だと思う。

それでも多くの民は「我慢」して「待つ」・・・。その「忍耐」をカネが奪おうとしている。

無駄金を使い、使途不明な不明朗なカネの使い方も含めて。まやかしの懐柔策のようなことをやってだまし続けるつもりなのか。

これが現代の「東北学」なのだ。

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