2014年7月31日木曜日

「孤塁を守る」ということ

人間、土と水、海がなければ生きていけない。土を抜きにして人間の生は語れない。
人間は土にこだわり、土に愛着を持つ・・・。

東北は、過去、決して肥沃な土地ではなかった。穀倉地帯でもなかった。肥沃な土地にするために開拓、開墾が行われてきた。
郡山の歴史。安積開拓。農民と入植者たちが鍬をふるって開墾してきたものだ。

我々が食べるということができるのは土のおかげだというしかない。海のおかげだというしかない。

青森県の大間に「あさこはうす」というのがある。
Jパワーが建設する大間原発に反対して、土地を売らなかった人。最後まで自分の土地を手放さない人。たしか小笠原あさこさんという人の持ち家。土地。

土を守るために、土を生活するために孤塁を守った人だと思う。

あさこさんは8年前に亡くなっている。娘の厚子さんが、孤塁を守っている。周り全てがJパワーの土地。
その中にある一軒の家。
大間原発建設反対の象徴のようにいわれている。でも、決して「運動家」ではなかったはず。
農民の信念なのかもしれない。

「あさこはうす」は福島原発事故のあと、急に脚光を浴びた。マスコミも一時取り上げていた。今はあまり話題にならない。

「あさこはうす」を知った時、連想として浮かんだのが、三里塚の団結小屋。

東京国際空港の建設地が、いろいろ候補があったのが、結局は千葉県成田の三里塚。御料牧場である国有地と農地。その農地は「一坪地主」に細分化され。

農民は反対運動に巻き込まれ、立ち上がり、学生運動家を中心に「援農」としての運動の激化。反対同盟と国、機動隊との連日の衝突。多くの死傷者。

農民にとっては土を守る戦い。運動家にとっては“思想”の戦い。反体制の戦い。その象徴が「団結小屋」。

成田空港から一日何百便の飛行機が離着陸し、はなやいだ雰囲気に包まれるなりた空港の日々。
そこでかつて壮絶な戦いがあったことをどれだけの人が記憶しているだろうか。

芝山小屋というのがその中心だったという記憶。

空港建設が進み、一つの団結小屋だけが、孤塁として、毅然として立っていた。
最後の“生き残り”が小屋を明け渡したのは、2年前くらいだ。

三里塚の農民たち、入植者たちにとっては「土」を守るための闘いだったはず。

その、数々の話題、学生運動にとっては“挫折”なのか。テレビ局の番組クルーが反対派の角材を積んでいるのがみつかり、それはテレビの在り方にまで波及したこともあった。

農民たちは国家によって「土を奪われてきた」ことの戦後の大きな闘争の原点。

それはもはや語れることも無くなり、忘れ去られてもいる・・・。

そして、今、土地を奪われた農民が、福島に存在する。海を奪われた漁師が福島に存在する。

そして、沖縄では、海を守ろうとするオバアが工事車両の行く手を阻むため、トラックの前に素手で一人立ち、「入るなら私をひき殺していきなさい」と静かな声で運転手を指さしている。

傍には反対派の人たちもいるが、そのオバアの姿は「孤塁」に見えるのだ。

かつて天安門広場の前で戦車の前に一人立ち向かって行くてを阻んだ若者がいた。
タイでも、軍隊の前に一人立つ年かさの女性がいた。

武器を持たない民を戦車はひき殺せない。素手ということの偉大さ。

浮かんできた「孤塁」という言葉、姿にこだわってみた。孤塁が悲しいのではない。それを思い起させる、今のこの国の姿が悲しいのだ。

2014年7月30日水曜日

喫煙という「反社会的行為」者なんですが・・・

私は喫煙者です。紆余曲折ありましたが、結局たばこを吸っている意志薄弱者です。喫煙と言う反社会的行為をしているものであります。

きょうも暑いです。周りに熱中症で入院した人もいます。外出できない人もいます。熱中症にかかったというひとも大勢います。
今日は、熱中症寸前といった自覚症状ありです。

だからって、天に唾してもはじまらない。暑いのは当たり前と開き直るしかないような。

で、開き直りというか、自己弁護というか、煙草について毒を吐きます。それは嫌煙者、禁煙者を責めるものでは決した無く、たばこ文化論をいうものではなく、煙草全盛期の昔語りをするものではありませんが。

朝日新聞のきょうの県版。第2福島版。
記事の見出し。列挙します。
「全面禁煙の飲食店、東北なぜ少ない」「喫煙者多く、消極的?」「人間関係優先し寛容」「受動喫煙対策店任せ」。

リード。

春に東京から仙台に転勤し、たばこを吸うことができる飲食店の多さが気になった。調べてみると東北全体の課題のようだ。なぜ、東北では、他人のたばこの煙を吸わされる受動喫煙への対策が不十分なのか。

中林加南子という女性記者の記事。この見出しとリード読んだだけで、瞬間的に思う「東北蔑視」の思考。そう感じる方がおかしいのかもしれませんが。

何も、東京から仙台に来て気になったなんてその優越感ぶりが気に入らない。

「飲食店検索サイト“ぐるなび”によると、全面禁煙をうたう登録店の割合は宮城県は29位、これでも東北では多い方で、ほかの5県はワースト10に入る」ときたもんだ。

店の数と喫煙者の数は比例するのかな。
それは書かれていません。店の話とそれに絡めた風土の話しです。

煙草飲みの言い訳かもしれません。勝手な言い分ですが。

2011年3月11日。それの二週間くらい前から、一か月かけての禁煙治療をやっていました。
COPDと診断され、右肺中葉切除の経験あり、なにより値上げもあって、医師からの強力な勧めもあって。

「チャンピクス」という薬を飲みながらの禁煙。最初は吸ってよし。だんだん吸いたくなくなる。もちろん本人の意思が一番なのでしょうが。
多少本数が少なくなってきているところでのあの大地震。とにかく家に飛んで帰っての惨状。
どうする。

まずは気持ちを落ち着けて。

おもわず煙草に手が出るという喫煙者の悲しい性だったのです。

翌週が薬の切れる日。病院は本館半壊状態。ロービーで処方箋だけ発行業務とのこと。薬を貰いに行きました。
人で賑わっていた病院。それがロビーに数人の医師と看護師、事務だけの閑散とした光景。
病院を出た途端、また煙草に手が出ていました。

テレビが伝える惨状。原発の爆発、避難者・・・。家の修復、片付け。発行するという月刊誌の原稿など・・・。煙草の本数は増えました。いや、元にほぼ戻りました。

次の診察日。医師にその旨いいました。

「同じような患者さんが多いです。辞められた人も復活した人、ずいぶんいるようです」とのお話。

卑怯なようですが、「3・11」が無ければ辞められていたかもしれない・・・。

連日通った避難所。そこで交流が深まったのは、煙草のやりとりでした。表で煙草を吸いながら交わす会話で、お互いが打ち解けて行った・・・。

記事にはさらにこうあります。
「しかも東北は喫煙者の割合が多い。東北大の教授はこう指摘する。“たばこの害への認識が足りない”と。正しい禁煙教育を受けた若い世代が多い職場では受動喫煙への意識が高い。年齢層が高めの人が多い東北の職場では意識が低いとみる」。

つまり、東北では正しい教育を受けた人がいないということか。

「さらに、喫煙者に対する寛容な風土もあるという。東北では人と人との関係性を優先する気持ちが強く、自分は吸わなくても吸わせてあげたいと感がえる人が多いという」と大学の先生の言を借りて書く。

この東北の風土を悪くとるか良くとるかだ。人と人との関係性を重要視するから「助け合い」があったのではないかとも思っているのです。

そして結び。「本来は国が規制すべき話だ」と。なんでも国という強権力の「規制」を、行使を良しとしないはずの朝日新聞なのにとも。

今でも、海に出られない漁師は、海を見ながらぽつねんと煙草をくゆらしています。もちろんそこには受動喫煙の問題はないけれど。

かつて東北の農村では煙草耕作が大きな産業でした。たばこ農家と東北は切っても切れない関係にあったのです。それが習俗として残っているってことがあるのかもしれませんし。

禁煙の方がいろんな意味で、健康にも社会的にもいいに決まっています。だからハンシャなのです。

吸わない方ごめんなさい。禁煙に努力せよと医者から言われている“隠れ脳梗塞”患者の、新聞記事を見ての違和感です。

ちなみに仙台支局の記者が仙台で取材したり思ったりした記事。東北の他県の県版を見ても、もちろん宮城県版にも載っていなかったのはどうしてでしょうか。

東北は遅れた地域でも劣った地域でもない。なんか東京人が東北を見る目に共通したものを感じてしまったので。

おやかましゅうございました。

2014年7月29日火曜日

福島県知事選と“金め”が絡んできた

福島県知事と石原環境大臣、根本復興大臣がきのう都内で会談した。
中間貯蔵施設の問題でだ。

地元出身の根本大臣が何を言ったか、どういう立ち位置なのかはわからない。どこも報道しないから。単に“同席”していただけに過ぎないのかもしれないし。ま、それは置いといて・・・。

これまで国の買い上げ、国有地化を言ってきたのを、地権者の地上権を30年間認める借り上げも選択肢に入れた。
地方振興交付金を、これまで大熊、双葉としてきたのを県内全域を対象とする。

国が示した新たな提案。

しかし、県は追い打ちをかける。交付金はいくらなのかと。国は答えない。
「中間貯蔵施設受け入れが正式に決まったら言う」と。

結果、物別れ、先送りってのが概要。

なぜか最近の福島県知事、佐藤雄平は強気のように見える。

なぜか。

10月26日投票と日程は決まっている。11月16日投票の沖縄知事選は仲井真現知事と翁長那覇市長が立候補を表明している。
仲井真知事は国の地域振興策、2021年まで毎年3,000億円と引き換えのように、辺野古移転を了承した。もう去年の話だ。

辺野古の海は今、反対運動の人たちが激しく抗議している。国も奇策ありの強行ありので、そのうち、「血が流れる」事態にもなりかねない。

滋賀の知事選は負けた。福島、沖縄という連鎖は政権にとては避けねばいけないこと。命運を決める。

沖縄は仲井真に賭けた。帰趨はわからないが。

福島はどうする。自民は県連含め「独自候補擁立」を決定している。しかし、その候補が決まらない。五里霧中なのか。いろんな人の名前があがり、そして消えた。各方面に触手を伸ばしているが決まらない。

雄平に勝てる候補を探さねばならないのだ。しかし“火中の栗”を大方が拾いたがらない。

なんとなく強気になった雄平。三選立候補の意向を固めたのか。とも思える。


県民の多くは、3・11での、そのあとのさまざまな様子をみてきて、雄平に失望している。

彼とは古い付き合いだ。渡部恒三の秘書として。
優秀な秘書ではあった。でもリーダーの器ではない。3年前に思いっきり書いたが。“福島の悲劇”の象徴としても。

恒三氏が「三選をやれ」と“指示”したという話も聞く。叔父さんの命令だ。

たいした“玉”ではないにしろ、自民党は雄平は嫌だ。雄平が勝つかどうかはわからないが。県民がいまなおどれくらい支持しているのかはわからないが。
前回は相乗り。今回は独自候補。いまさら自民は不戦敗というわけにはいかない。立てねばならない。
誰だ・・・。

「最後は金めでしょ」と“名言”を吐いた石原。やはり“金め”に拘る。交付金の金額を明らかにし、出すことにすれば、それは雄平の“手柄”になる。
そうそう手の内を明かすわけにはいかない。なにかと引き伸ばしにかかるのだろう。殿の側のご指示もあるはず。

まさか10月まで引っ張るとは思えないが。自民の候補決定待ちってことじゃないかな。

その辺を同席した大熊、双葉の町長は感づいている。彼れらの反応も微妙だ。

住民不在の政府と県のやり取りとも映る。

中間貯蔵施設が決まらないと、出来上がらないと、県内あちこちの仮置き場に置かれた“汚染土”は行き場が無い。

なんか中央の政争、政局に福島の住民は、巻き込まれていく・・・。

そんなことなら・・・。最終処分場が決まるまでは中間貯蔵施設は受け入れない。県外移転が場所を明記した確たる文書で確約されるまでは。そういうふうに最初から言った方がよかったのかもしれない。

民主党政権で、米軍基地、県外移転という鳩山の戯言に騙された沖縄県民の轍を踏まないためにも。

すべてに於いて、福島県民は傷ついていく・・・。

2014年7月28日月曜日

政治とカネと原発と

今朝の朝日新聞。原発利権を追う。関電の裏面史。
「関電、歴代首相に年2千万円」という見出しの記事。歴代首相だけではない。
自民党の実力者や野党の幹部には年、200万円から700万円の「献金」。

わかった風に言えば「むべなるかな」ってとこか。あって当然、驚くにあたらいってとこか。

91歳になる関電の元副社長が、去年の12月から今月まで、23回、69時間の及ぶ取材に答えた内容。

墓場まで持っていく話を実名でなぜはなしたか。「福島」が起きたからだという。その事後対応を見てきてそう思ったという。

「原資はすべて電力料金だった。原発政策の推進や電力会社の発展がその目的だった」と。

電力会社の収入ってのは電気料金しかない。電力料金で儲けて、それを新たな投資に振り向ける“負の再生産”。

この論法は効くのだ。「我々の払っている電気代が政治家にわたっているのは」ということ。

福島の事故の後のさまざまな東電支援策、福島への補償など、「結局我々の税金が使われている」という論調。

「我々の」という側からの見方は世論をくすぐる。NHKだって「我々の払った金」となるし。

この連載、どういうことが明らかにされてくるのか。
“楽しみ”だ。

田中角栄内閣の「早期退陣」となった原因の一つは、文芸春秋が書いた、「田中金脈」と「悲しき越山会の女王」という二本の記事だ。

政治には常に金がまつわりつく。それがスキャンダルとされた時、それが与える影響は大きい。

再稼働に異論を唱えても、それは進められていく。その論議は安全性が中心。金をからめれば、世論は大きく変わる。

朝日は、大袈裟に言えば「ルビコンを渡った」と言えるかも。訴求力は強いから。

関電だけじゃない。東電だって、その他の電力会社だって、すべからく「カネ」はまいている。その原資は我々の払った電気代。

政治献金。多くの企業が行っている。それはその企業の商品に上乗せされているカネ。
政党助成金。それは全部税金。

「我々のカネ」が政治家に流れる仕組み。

政治とカネと原発と。まさに“三位一体の法則”みたいなものだ。それの再確認ということか。

紙面に東大客員教授の御厨貴氏がコメントを寄せている。
「衝撃の告白だ。これほど痛烈な自己批判は過去にない。歴史をこの国に記録として残そうとする勇気ある行為だ」と。

墓場までは持っていけなかったということなのだろう。元副社長の心境は。

この人は、「原発の裏面史」を“証言”した。91歳。戦争を知る世代だ。
彼と同世代で戦争に行った人はまだ存命している人がいる。士官だった人も、指導者の末端にいた人も。戦地に赴いた人も。

その人たちの多くはあまり戦争を語りたがらない。語れない理由があるからなのだろう。

「歴史をこの国に記録として残す行為」として、記憶を呼び起こして、封印を解いて、「戦争」を語ってくれないものかとも思いが飛躍する。

「原発マネー」の恩恵に浴した政治家は多いはず。その人たちは、今から、もし記事にされたらと、今から「コメント」を考えているかもしれない。

今日、名前が挙がった人たちは、一人を除いて、「死人に口なし」なのだけど。

2014年7月27日日曜日

「福ケッチャーノ」のこと

郡山の開成山野球場の前に「福ケッチャーノ」というフレンチレストランがある。オープンしたのは今年の3月頃だったか。
一風変わった店だ。トレーラーハウスなのだ。
山形県の鶴岡で「アル・メッチャーノ」というイタリアン料理の店をやっている奥田政行というシェフが“悲願”として出した店だとか。

店の料理人、スタッフは全員が福島県出身。郡山にある日本調理技術専門学校の卒業生。山形などに行き、奥田シェフのもとで修行してきた人たちだという。

そして、そこで使われている食材、特に野菜はほとんどすべてが郡山の農業者が生産したもの。鈴木光一君と言う農家が毎日のように食材を運んでくる。


日本の農業人口は約239万人だという。そしてそれは毎年減っている。国の人口減と歩調を合わせるように。
毎年、離農者は10万人という話も聞く。全体的に見て、農家をやっているのは高齢者だ。50歳以下の農家は40万人に満たないという。

「農への回帰」が言われる。農家を継ぐために故郷に帰る若者の話題も聞く。しかし、それはわずかの数なのだ。

漁師の数も減っている。50歳以下の漁業従事者は20万人に満たないという。

農林水産業。第一次産業。明らかに衰退している。
それに拍車をかけたのが「3・11」だ。「原発事故」だ。

かたや、調理師は増え続けているという。25万人いるとも聞く。シェフに憧れる若者は多い。食材をおいしく料理する人の社会的評価は高い。人気がある。
その食材を作る人、生産者の社会的評価は、必ずしも高くない。

食の需要と供給といえばいいのか。どこか「ミスマッチ」の様相がある。それを「マッチング」させようとしているのが、奥田政行という人の思想ではないのかと思う。

彼の店では、福ケッチャーノでは、生産者も料理人も“同格”だ。いや、むしろ生産者の方が敬われているような気がする。

「食」をめぐる生産者と消費者の関係。

第一次産業従事者の質、日本は極めて高い。創意工夫が生み出している食材。しかし、その「価値」が正当に評価されているのかどうかという問題。

また、奥田シェフを引き合いに出すが、彼は「食」を通して、被災地の“復興”の一助としたいと考えているとも聞いた。

東北には、古くからの土着信仰として「マレビト」思想と言うのがある。「客人」と書いてマレビトと読む。遠野物語の柳田国男と交友のあった折口信夫が言った“思想”。
あの世から戻ってきた人を本来はさすのだが、客をもてなすことへとつながっていく。客人には、朝採れたての野菜を供する。魚も卵も。
「お・も・て・な・し」ではない。「もてなし」だ。

3年前、ある著名なジャーナリストが郡山に来て、放射能汚染の苦悩を伝える農家の人たちと話し合いをして行った。
「生産者と消費者が一堂に会して話し合うのが重要だ」との“提案”をしていた。風評被害なるものが横行していた時期。でも、彼の“構想”は実現しなかった。

食べ物は外国から、産業は外国へ。そんな風潮が日本を覆っているのかもしれない。経済成長の“理論”として。
食品を外国に依存する。もし、“兵糧攻め”にあったらこの国の食はどうなる・・・。

映画「無人地帯」にあったナレーションスーパーの一行。
「日本は侍の国ではない、農民の国だったのだ」。

だから、我々は「3・11」から学ぶことが多いのだ。

福ケッチャーノという店の在り様は、そのことを「実践」の場にしているような気がして。

奥田シェフの本拠地、山形の「アル・ケッチャーノ」というイタリアンレストラン。その名前はイタリヤ語では無い。「あそこにいい店があったよな・・・」そんな庄内弁、方言をもじったものだとか。

過日書いた「人間は食べなければ生きていけない」の続編として。

2014年7月26日土曜日

「約束の地」

神がユダヤの民に与えたものに「約束の地」がある。聖書では、それは「カナン」というヨルダン川の流域。イスラエル人はエルサレムをそう呼ぶ。
パレスチナ人にとっての約束の地は・・・。ガザだったのだろうか・・・。
ガザは単なる入植地ではなかったのか。


“約束の地”で、おおよそ神の意志に背くような殺戮行為が繰り返されている。
多くの人が、子どもが亡くなる。

あの近代兵器としての強力な武器を神は与えたのだろうか。プロメテウスに火を与えたように。

イスラム教徒にとって約束の地はあるのだろうか・・・。

約束の地。それは、そこに住むことになった地なのかもしれないと思う。
そこで生まれ、そこで育ち、家庭を持ち・・・。

その地に住むことになったのは、その人それぞれの事情があろう。その家それぞれの歴史があろう。

約束の地は安住の地でもなければ、定着できる土地でもなかった。「約束の地」とは、追われる地かもしれない。

中間貯蔵施設建設の候補地とされている大熊。双葉。そこに居た人たちは「約束の地」を追われることになっていた、流浪の民となることを約束されていた人たちなのかもしれない。

5年も前か。作家の村上春樹がエルサレムで行った「演説」。壁と卵のはなし。
卵の側に立つという作家に共感したことを、そのころの、このからから亭でも書いた。
その「論」が、いま、また蘇ってくるようだ。

中間貯蔵施設。その建設予定地を国が買い取るか、借り上げるか。買い取られて「国有地」となれば、そこは最終処分場になると住民は危惧する。実際問題、30年後には「そうなる」という実像は見えていても。国は折衷案もどきを出す。地上権は住民に与えると。

30年後「強制収用」してしまえばそれまでのこと。その頃は、文書や記録として“中間”は残っているだろうが、その任に当たる人にとっては過去の古証文なのかもしれないし。

孫子の代に残すはずの地だとしても、その孫子はそれを求めるかどうか・・・。

貯蔵施設の周りには、巨大な壁がはりめぐされるだろう。その壁に向かっての「卵」は存在するのか。

女のいない男たちを書いている場合じゃ無いよ春樹さん。とも言いたい。新たな「卵」論を述べる時ではないのかとも。

福島はぼくにとって「約束の地」だったのだろうか。
大阪、姫路、東京、福島。遍歴の地。

終焉の地として「福島」は僕に約束されていたところなのだろうか。無意識、無感覚の中で、「そうだった」のかもしれない。「用意されていた場所」なのかもしれない。

いわばデラシネの民、エトランジェとしての福島。そこは、やはり本人の意志とは無関係に「用意されていた土地」なのかもしれない。
だとすれば、それに拘るのしかないのだ。「故郷論としての福島」は全く持たない身ではあるが。

さてさて、今日の「約束の場所」に向かう。約束の相手は、郡山生まれ、郡山育ち。終焉の地を東京と決めた、元外交官、元東宮大夫。
必定、話題は「イスラエル」となろうか。

2014年7月25日金曜日

ウナギは上るが下がらない

鰻の値段のことではありません。

猛暑、酷暑。熱中症・・・。
テレビのお天気お姉さんは、物(ぶつ)見せで、昔の温度計を、消え物(業界用語です)室から持って来て、「水銀柱はウナギのぼりです」とくる。

今時、水銀柱の寒暖計、湿度計なんて使っているところないけれど。体温計だって昔は水銀だったけど、今はデジタル計。10秒もしないでピピピ。

昨日から「ホルター心電図計」というのを首からぶら下げていました。電極は胸の周りに五カ所。24時間計測。袋に入った機械にコードがつながれている。

これって不快でした。特にこの時期。汗を思い切って拭くこともままならずだし、痒いし。首は重いし。そんなに大した重量の機械ではないのですが。

「おれは1億円の金塊を首からぶら下げているんだ。1億円は重い」なんてやせ我慢言いながら。

午前中、その機械をはずしに病院へ。体から“異物”がとれてすっきりしたものの。表に出たら、凄い暑さ。目がくらむような日差し。

夏は大好きだったのですが、さすがこの年になるとこたえる。熱中症と言う文字が頭をよぎる。思わず駆け込んだ飲料店。スポーツドリンクを。それが無性に飲みたいと思ったということは、すなわち、前兆、自覚症状かとも。

ちょうど昼飯時。除染作業に人たちの姿を眼にする。あちこちで。“完全武装”。
つらいだろうな・・・と。
飲料どうしているんだろうと。

「お茶などの提供は全く不要です」と説明会の時、市役所の人が言っていた。我が家では一ケース差し入れた。快く受け取ってくれた。せめてものねぎらい。

1Fではどうなっているんだろう。あの完全防護服、ゴーグル、ヘルメット姿。流れる汗もぬぐえないとも聞く。
午後4時から夜11時までの作業にしているとも聞く。
熱中症で搬送された人もいるとも聞く。

さっき会った人と脳梗塞の話をした。彼いわく「友達に病院に勤めているのがいるんですが、最近は若い脳梗塞患者が多いということです。どうも食事のせいだとか。脂っこいものばかり食べているから」とのお話。

そうかもしれない。何をどうやって食べるか。食生活と病気ってやはり“因果関係”あるんだな。

土用の丑の日は来週か。なにかとテレビでは「うなぎ」にまつわる話が多い。
絶滅話し、養殖話し、シラスウナギの稚魚の成育・・・。
そして値段。
水銀柱に背くかのように値段は下がり気味だとか。
その辺の市場原理はよくわからないけど。

昔、田中角栄がよく言っていた。「メシは食ったか。メシ時になったらしっかりメシを食え。メシを食わない奴にろくな仕事は出来ん」と。「腹が減って、目を回していたのでは戦は出来ない」とも。

除染作業員にしても、原発収束作業員にしても、ゲートに立っている警備員や警察官にしても、メシはちゃんと食っているのだろうか。食わないと戦さは出来ないんだぜ。

夏ばて防止に、ウナギか焼肉。暑い時こそ熱い、辛い食べ物。そんなこと言われていたけど、実践もしたけれど。
「精のつくもの」を食べろって言われていたけれど。

もう、それらを食べると逆に腹具合が悪くなるんです。胃腸と年齢の正比例(笑)。

またもや昔し。
漫画のサザエさんにあったっけ。
「熱いから今夜は、まむしよ」。サザエさんの呼びかけに家族全員引いた。
関西ではウナギはまむしって言われていたから。でも、なんでサザエさん一家が関西なのか・・・。

どうも多少、熱中症の気配なのかもしれません。わたくしは。

2014年7月24日木曜日

人間、食べずには生きていけない

日本の食糧自給率は平成になってから、おおむね40%くらいだと言う。
残り60%は、食材も加工品も含めて輸入に頼っているということなのだ。

ある時代から、東北は「穀倉地帯」と言われ、日本人の食をまかなう「供給基地」とされてきた。
歴史をちょっと振り返れば、明治以前の天明、天保の飢饉もあった。昭和になっても大飢饉が発生していた。それは恐慌の発端ともなり、「コメよこせ運動」などの社会的事件を引き起こしもした。

かつて「猫の目農政」という言葉があった。食糧の増産を言うかと思えば、減反を強いる。

「3・11」は、日本の第一次産業の在り方に大きな影響を与えたはずだ。
三陸の漁業は60%方”復活”したという。米は・・・。

「食の安全」ということが言われて久しい。

昔、外国に行くとき必ず言われたこと。現地の水を飲むな。フランスではエビアンという硬水のペットボトルだけを飲まされていた。

食の安全が言われ、それにかなり神経質になっている。都会では常に食料は満ち足りていて、しかも「美味しいもの」が求められている。
山海の珍味を、貪り食っている。

自給率40%のなかで、その胃の腑をまかなうために外国からいろんあ食糧、食材が持ち込まれる。

ここ数日の中国上海での”腐った牛肉”事件。マクドナルドやファミリーマートに飛び火している。

量だけの問題ではない。コストの問題もあろう。もしかしたら、この一件、氷山の一角なのかもしれない。

原発事故。放射能汚染は、”穀倉地帯”をもろに襲った。風評被害がどうだ、こうだと言ってる場合じゃないのかもしれない。

1Fの撤去瓦礫から飛散した放射能。1兆㏃を超える値だという。

「コメの循環運動」。人はコメを食べる、コメを食べねば生きていけない。コメとはさまざまな農作物の表象的言葉だ。
人間はコメを食べて糞を出す。糞はまた、あらたな作物を生む。食べるということは人間が生きていくうえでの”循環作用”。

福島のコメは、食材は、いまだ厭われる。食の安全という考えから。
それを厭う人達が、有り余る食べ物の中で摂っているもの。輸入されてもの。

「コメとは人間そのものだ」。「食とは人間や動植物の”親”なのだ。」。コメの精が満ちて食に耐えられるようになるのだ。

放射能汚染とは、たんなる”被ばく”だけの問題ではない。コメ、すなわち、人間とすれば、人間そのものの価値すら否定したことになるのだ。
「自然」ということに視点を置けば。

とにかく、40%の自給率。胃の腑を満たすためには、外国に頼らざるを得ないという「第一次産業」の現実。

漁業にしても農林業にしても、その就労人口は減っていく。高齢者がその主役。
なかなか若年層の後継者は生まれない。

食の安全。それは、中国の企業のモラルを追求して済むだけのことではない。

”異常気象”が言われている。思い過ごしであればいいが、それが「大飢饉」を生まないという保証はどこにも無い。

食の確保、食の安全。生きるための最大課題。

自給率40%の国の食糧問題。食の安全を脅かす事件があるたびに、それを契機に考えるべきことなのだと。

自分が田畑を耕しているわけではないが。「穀倉地帯」と言われた東北を考えなおしてもらう時代だと思うのだけど。

2014年7月23日水曜日

「放射線に負けないからだをつくろう」

今朝、ネットをスクロールさせながら斜め見していたら・・・。
「やっぱり」ってことが。
そこには”見事“な「合成写真」があったのだ。

「被爆しよう! 放射線に負けないからだをつくろう。250m㏜以下、急性の身体影響無し。(散歩や外で遊ぶことの大切です)。窓を開けて換気をはかりましょう。洗濯物は日光にあてましょう。

そんなフレーズが並んでいる。

福島市のホームページを“改竄”したものだ。福島市のホームページは、pdf版でそのまま乗っており、その脇に上記のような文言がイラスト風に並べられている。

福島市のホームページには確かにある。「放射線に負けないかからだをつくろう」というフレーズが。
こんなバカばかしい画像がネットに流布される大本の原因は福島市のホームページだ。
それを見て反感を覚えたか、何らかの意図があってか、“被ばくしよう!”に改竄される。

だから、もともと今更こんな“呼びかけ”を作った市の放射線監理室がおかしい。

生活習慣のポイント。新陳代謝をよくする生活習慣。早寝早起き、リズムある生活。朝ごはんをしっかり食べる。バランスのとれた食事。適度な運動。(散歩や外で遊ぶことも大切です)。過度な心配はしない。ストレスをためない。
日常生活で心がけたいこと。
窓を開けての換気。洗濯物を外に干す。布団を干す。外から帰ったら手洗い、うがいをしましょう。


市全部そうでは無いのだろうが、どうなっているのかこの「認識」。

さすがに市民からは苦情が寄せられたらしい。
「放射線に勝つ体なんかあるか。非常識だ。除染も終わってないのに子どもたちを被ばくさせながら無責任。低線量被ばくの危険をごまかすもの」などなど。

市の放射線アドバイザーの学者も驚いているという。「放射性物質を遠ざけるか、封じ込めるか、被ばくする場所の滞在時間を減らすことが原則。体を鍛えるとは次元が違う」と。

市のホームページを開けて見た。表題は変わっていた。「放射線の影響を受けにくい生活をしましょう」と。

問題は二つ。福島市の認識。表現能力の欠如。市民感覚との大いなる乖離。

「食品を選ぶときには産地が偏らないように。体にたまった不要なものは早く排泄する。ヨウ素を含む昆布やヒジキを食べる」。

ま、開いた口がふさがらないってことか。今更こんなことを言ってのけるっていう福島市って、何を考えているのか。県庁所在地だぜ。
福島県民の民度が疑われるぜ。

「負けないからだをつくりましょう」。国防婦人会が竹やり訓練に精を出していた時のばかばかしさを連想する。

でね、もう一つ。ネットの“闇”。デジタル技術の怖さ。画像はいくらでも加工、改竄できる。

冒頭の文言入った画像、ネットで全国に拡散されているだろう。

市役所の中で何があったのかはわからない。余りにも無知なるこの実態。

市の作ったチラシが、いかようにも、悪意をすら伴って流布されていくということ。

日本では、まだネットは成熟してない。技術だけは進んでいても。ネットリテラシーなんて習慣も無い。見て、即反応の世界。
「ネットがこの国を破壊する」。ラインの問題とても然り。

ざまざま、福島市の安易なやり方の罪は大きいはず。ホームページには「誤解を招く表現がありましたことをお詫びします」って、ありきたりの言い訳書かれていたけれど。

2014年7月22日火曜日

「戦争は人類に対する犯罪」

イスラエルのガザへの攻撃。ハマスの反撃。多くの犠牲者は子供たちだ。
世界は「戦争」という実態を大きくとも小さくとも抱え、向き合っている。
「戦争」という言葉が使われ、考えさせられている。

戦争で犠牲になるのは常に弱者だ。子どもだ。

だれも、どの国も止められないのだろうか。戦争が起きる“理屈”はわかっていても、感情がそれを許さない。
なぜなら・・・戦争体験者の端くれだから。

世界の警察官を自認していたアメリカも手をこまねいている。常に自国の利益を優先させる。
大げさかもしれないが、この21世紀の地球は、国と国との戦争に始まり、同じ国の中にあっても、それぞれに言い分はあろうと戦争に支配されている。

マレーシア航空機がミサイルで撃墜された。ウクライナ紛争の影響だ。
その飛行機の残骸から、犠牲者の持ち物が親ロシア派の兵士によって持ち去られる。遺体はどこかに運ばれてしまう。死者への尊厳は存在しない。
ブラックボックスはマレーシアに引き渡された。その経緯、そしてその中がどうなっているのか、“ブラックボックス”だということ。

だれもこの愚挙、暴挙、許されざる行為を止められないのか。

いったいロシアっていう国はなんという国なのか。いまだ、あの大陸にあって覇権を行使できる国だと思っているのか。


日本政府のスタンスも不明だ。何も言わないに等しい。

昔、戦争にかかわる本をずいぶん読んだ。その本の多くは戦争を体験した、実際に戦地に兵士として行っていた人たちが書いた本だ。

たとえば、五味川純平の「人間の条件」、「戦争と人間」。何部にもわたる本だった。
戦争と人間では、ロシア軍の満州侵攻の模様が書かれている。
満州から帰国した人たちの話をよく聞いた。中学の同級生にもいた。
ロシア軍の“恐ろしさ”を語っていた。

戦争を知らない世代が書いた戦争小説。浅田次郎の「終わらざる夏」。ヤルタ協定を受け入れたのに、樺太で多くの日本人を殺したロシア。
ヤルタ協定に突然参加していたスターリン。それを知らなかった当時の日本政府の在り様。

戦争史を語るつもりでは無い。戦地では多くの兵士が死んだ。民間人も犠牲になった。沖縄戦でもそうだった。ということだけ。

戦争はだめなんだ。犠牲になるのは子供なのだ。多くの場合。

国家と国家の間で、その理由が何があろうとも、争いになれば、悲惨な出来事があれば、犠牲になるのは常に「弱い立場のもの」だということ。

戦争で金儲けする奴らもいる。戦争を望む奴らだっている。

原発事故だって、結局、犠牲者になったのは弱者なのだ。被ばくの影響を受けやすいのは子供なのだ。行動を束縛され、子どもが子どもとして育つ環境の是非が言われる。

夏休み。「保養」に行く子も多いだろう。
なんか、戦時中の「学童疎開」という言葉が浮かんできてしまうのだ。

同じ光景なのだ。

弱者の犠牲に上に、強者の戦争の論理、経済の論理が成り立っている。

「集団的自衛権」が即「戦争」と言うことにはならない。それはあまりにも単略思考だ。しかし、その可能性はあり得るということ。

戦争とは学者や法律家が難しい言葉で語ることではない。
権力を誇示したい、権力にすり寄りたいとする政治家が語ることでもない。

戦争を語るのは一国民であり、一市民が語るべきことなのだ。なぜなら、一番の当事者となり犠牲者になる人なのだから。

今、戦争を語る人たちは「戦争文学」を読むべきだと思う。戦記ではなく戦争そのものを書いた本を。

もう一度、五味川純平を読みたくなった。「戦争は人類に対する犯罪」だと書いていたはずだから。探したが書棚に無い。散逸してしまったようだ。本屋に聞くつもりだ。あるかないか。

ただ、それを読み切る体力、気力が有りや無しや。そのために許された時間を持っているのかどうか。

2014年7月21日月曜日

何かと腹立たしい日々なのであり

どうも頭の件の影響なのか。行動が思う通りにいかないことが腹立たしい。
時間はかかるし、疲れるし。ま、それは私事。

きょうは海の日だという。国民の祝日。国旗を立てて祝う家がどこかにあるのか。祝日は昔は「旗日」と言った。つまり、国旗を門々に立てて祝う日。

元日、天皇誕生日、春分の日、秋分の日、文化の日。それぞれ祝う「価値」があった。どうでもいい祝日。単なるやすみ・・・。

安倍晋三がフェイスブックに投稿していた。
「今日は海の日です。海の恵みに感謝し、海の大切さを考える祝日です。海辺に出かけたり、船に乗ったりして海に思いをはせてみませんか」。

バカやろう!!

海の恵みとともに、海に感謝する日々を送ってきた人たちは漁すらままならないのだぞ。
福島の海はどうか。海開きをした海水浴場はたったの二か所。さほどの賑わいとてなく。海水浴客は完全に減ったままなのだぞ。

原発からは、今でも「汚染水」が、たぶん、量の多寡はともかく海に流れ出しているのだぜ。海は汚染されているままなのだぜ。「250キロ先」は。
あえて不知火海をも引き合いには出さないけど。

みんなの党の東京都議、音喜多 駿という「有名ブロガー」という評判の男のブログがどこかのサイトが、意図不明だがのっけていた。

「状況は絶望的?技術者たちに最大の敬意を!福島第一原発に行ってきた」。見出し。
昨日の投稿だ。

「公党の議員といえども簡単には入ることが出来ないところ」。って書き出し。「貴重な機会をいただきました」とも。

なんだい、この公党の議員と言えどもって。“偉い”ってことの“特別な地位”ってことの自慢かい。

「いわき駅では0,05μシーベルト程度だったが、近づくにつれて数値上昇。ホットスポットになっている交差点では、バスの車内にもかかわらず9,9μ㏜まで上がり、明確に自分の身に危険が迫っていることが理解でき、生まれて初めて放射線に恐怖を感じました」。

あのね、そこを毎日通っている人がいるんだよ。たった数時間で、その線量でなんの危険ありやだ。今頃、3年以上経って、東京都議であろうと、初めての恐怖なんてよくもぬけぬけといえるもんだ。

縷々、“見学”の模様がつづられて。構内の模様なつづられて。
「過酷なスケジュールの中で、文字通り命がけの作業を続けているにも関わらず、世間からは酷評にさらされている、そんな作業員に最大のリスペクトが払われるべきだ」。

世間って、あなた方でしょ。作業員の多くは福島県民。福島県民は東電本社には批判を浴びせるが作業員には、皆、応援をしているんですよ。

今頃、のこのこ登場して、あらわれて能書きたれてるんじゃねえよ。公党の議員さんよ。

福島では、過酷な作業員を支援するためにさまざま活動している人もいる。冬はインナーを送り、夏は熱中症予防のためのグッズを送る運動をしているひとも。

皆、作業員には敬意を払っている。

朝、テレビのワイドショー。会津の「風評被害」なるものを取り上げていた。八重の桜で、観光客が回復したと。「風評被害なるもの」をまき散らしたのは、多くがテレビのワイドショーだ。

八重の桜で人が増えた。なら、そこには放射能の影響はどうだったのかということ。放射能への恐怖で来なかった人が、大河ドラマがあれば足を運ぶってどういうこと。
ならば、NHKはくだらないニュースなんかやめて有名女優使って福島を舞台にした、それこそ原発なんか無かった時代の時代劇だけやればいい。

散りじりになり、離散された、家族の物語を予断交えずドラマ化したっていい。

地域経済の「運命」をNHKのドラマが担っているってどういうこと。

その地に行く、その地を見る、その地で感じる。その地を知る。それが始まりなんだ。
見ずして知らずして語る人のなんと多いことか。

それは、この国のさまざまな事象にも重なる。

原発構内の海を、どれだけの為政者が見たのか。大臣が見たのか。

こんなことにいちいち腹を立てている自分にも腹が立ってきた。
ばかばかしいとしか言えない海の日に見聞きしたこと。


2014年7月20日日曜日

「民主主義」と「福島」

身の回りにあり、普段何気なく使っている言葉。民主主義、平和。自由・・・。
あまりにも、それは「空気」と同じように「あるもの」として「ある」がゆえに、そのことについて深く考えないようになってきてしまった。

民主主義とは何か。あらためて問われた時、人は、おおかた、どう捉え、なんと答えるかにたぶん窮するはずだ。

民主主義。その概念は、それこそ古代ギリシャにまでさかのぼる。日本だって、たとえば明治維新。五箇条の誓文。「広く会議をおこし、万機公論に決すべし」。この一文だって民主主義の“原理”を説いている。

民主主義はデモクラシーと言われる。大正デモクラシーと呼ばれる時代があった。

だいたい、「主義」っていうのは何か。イデオロギーなのか思想なのか、価値観なのか。
「私は菜食主義です」と言われて時の主義って・・・。

今、この国は民主主義国家である。そのことを誰も否定はしまい。呼称として。
だから、あえて言えば「戦後民主主義」という見方が妥当なのかもしれない。

理念としての民主主義。それは民意が正しく反映され、それこそ「民本主義」、主役は民だということになる。
制度としての民主主義。それは主権在民であり、議会制民主主義ということになる。議会制民主主義とは、議員内閣制とは制度としての、手段の民主主義を具現化する方法。

そこにあるのは「多数決原理、少数意見の尊重」。それが現実のものとして存在しているのか。まともに認識されているのか。

事例をいちいち挙げないが、今、この国の民主主義が問われている時だと思う。

納得できる説明、住民合意。福島で3年間言われてきた言葉だ。それが民主主義の在り様として。でも「完全な住民合意」なんてありえない。

議会制民主主義だって、代議制だって、そもそも「国」と「地方自治体」では、その在り様を異にする。

選挙制度は、時の為政者や政治家によって変えられる。中選挙区が小選挙区になった。あげく多くの「死に票」を生む。それをやむなしと見るかどうかだ。
民主主義の名のもとに。

軽々に言うべきではないかもしれないが、「津軽選挙」と呼びならわされるものがある。金で票を買うという“民主主義”。

政治を論じ、断ずる人たちは、最後に必ずいう。彼らを選んだのは最終的には
“国民”なのだから、“国民全体”の責任だと。理屈はそうだ。でも、それに納得している人はどれくらいいるのか。
なんか「綺麗ごと」に逃げた論のような気がする。

福島における民主主義とは。民意の反映とは。合意とは。納得とは。今、福島にある様々な事象。それを民主主義という概念、理念で理解することは難しい。

個人が尊重されているのか。いない。民主憲法で保障された権利が行使されているのか。いない。

議員内閣制は地方には無い。間接民主主義の結果として生まれた地方議員。直接選挙で選ばれた首長。国の在り様とは、また違った観点で見なければならない。

なんでこんなことを書いているのか。昨夜のNHKの番組。日本人は何を考えてきたのか。そこで丸山真男が取り上げられていたからだ。個人の、個々の考えがどこまで生かされているかという観点からの。

戦後民主主義と書いた。なぜか。戦争を体験した人が考える民主主義と、戦争を知らない世代の人たちが考える民主主義には、どこか相容れないものがあるような気がしたから。

畢竟、こんな考えにもなる。原発再稼働。それも、議会制民主主義の結果として今の内閣に与党に、それを一任した覚えは無いということ。
「個」は、再稼働の流れの中で、再稼働を求める空気にの中で、“埋没”させられてしまっている感ありと言うこと。

あらゆる意味で「民主主義とは何か」。今、時間をかけてでも再考する時代なのかもしれないと思い・・・。

これも恒例、日曜妄語なのであります。

2014年7月19日土曜日

「本物の愛国者は、自分を愛国者とは言わない」

現存する右翼の大物と言ってもいいだろうか。一水会の顧問を務める鈴木邦男がこんなことを言っていた。

「安倍さんだって戦争はしたくないだろうし、安倍さんなりに戦争を防ごうと考えているだろう。でも集団的自衛権は行使すべきではない。米国の歓心を買うために世界を敵に回すようなものだ。自主憲法は必要だ。しかし、今の空気の中で変えても、自衛隊は米国の傭兵になるだけだ。理想が無い。自衛隊が誰の血も流していないことは世界に誇るべきことで卑屈になることではない。
安倍さんを支持する“愛国者”の人は、自分を国家に重ねて大きなことを言う。
三島由紀夫は“愛国心という言葉があまり好きでない。官製の匂いがする”と書いた。本物の愛国者とは、自分を愛国者とは言わない」。

鈴木邦男が福島県出身者だからということではなく、この論に共鳴する。


自衛隊・・・。

「3・11」後、彼らの活躍に多くの人たちが救われた。彼らは“無私”であり、その活躍は目を見張るものがあった。みな、彼らに感謝した。
疲れ切った自衛隊員を、松島航空基地を中心に、歌手の長淵剛が慰問に激励に訪れた。
隊員たちは「あにき~」と叫び、一緒に拳を突き上げ、歌っていた。時には思いっきり涙を流しながらも。

♪とんぼ♪からはじまって圧巻は♪hold your last chance♪

「傷つき打ちのめされても、這い上がる力が欲しい。人は皆、弱さを背負って生きている。
苦い涙をかじっても、微笑む優しさが欲しい。君が愛にしがみつくより、先ずは君が強くなれ。

頬を突き刺す怖さがあっても、立ち向かう勇気が欲しい。曲がりくねった迷路で真実の自分を探すのだ」。

こんな歌詞の曲。

2011年の4月。塾生たちと涙を流しながら歌ったよな・・・。

昨夜、NHKのソングスという番組を見た。往年の名曲♪親不知♪

歌詞の一部だけが現在を歌うために変えられていた。

「ペンチで親不知を引っこ抜き、そいつをボリボリかじりながら
ぽっこり顎が膨れ上がった暗い朝に、根っからの貧乏性のこの俺ときたら、
黒いコウモリ傘さしてTVを見てる。
よこしまなマスコミはいつも臭い息を吐き知識と教養をふりかざす、点数稼ぎのバカ野郎どもが、はるか地球の上から人間見下しても、日銭暮らしの俺たちにゃもっともっと大切なことがある。
もっともっと自分を激しく愛し、貫いていけ。銭はヨウ、銭はヨウ、そりゃ欲しいけれどヨ! なんぼ積んでも譲れないものがある。

俺の祖国日本よ!どうかアメリカに溶けないでくれ!誰もがわが子を愛するように。俺の祖国日本よ、ちかごろふざけすぎちゃいねえか。

プーチン、オバマ、習さん、朴さん、金さん、安倍さん。お暇なら俺の家へ遊びにきてくれないか。何もおもてなしは出来ないけれど聞いて欲しい歌が三つほどあるんだ。

いったい俺たちは自由という本当の意味をどれだけ深く知っているのか。目的の無い自由に身を任せて生きるくらいなら、俺は死ぬまで、一睡もせずにカラオケかじったほうがマシだ」。

普通の若者たちが拳を振り上げ、一緒に歌い、中には涙までしていた。歌詞に共感するところがあったのかもしれない・・・。
直接的な言葉ではない「愛国心」があるような。

しばらく、長淵フアンでいるのも悪くないなと思う。

2014年7月18日金曜日

結界としての「0,23」という数字


「結界」という仏教用語を、一つのアイロニーとして使うのはいかがかとは思うが・・・。区別、識別、判断基準とでも解していただきたい。

預託実効線量、毎時0,23μシーベルト。年間1ミリシーベルト。
国際放射線防護委員会、ICRPの基準を遠用して、いつの間にか、国が決めた基準。

「0, 23」という数字が、それ以上なら、それ以下ならどうなるのか。
誰もはっきりわかっていないのに。

毎時0,23μが、あらゆることの判断基準になった。それを見直す、例えばその年間1ミリを2ミリに引きあげようという動きもあるが、たぶん、それはもう納得されないだろう。

先日のWBCの検査。「検出限界値はいくらか」と担当の人に聞いてみた。
「250㏃です」という。じゃ、それのシーベルト換算はと聞く。はっきり答えない。
届いた結果通知は「検出されず」だけ。つまり毎時「0,23以下」だったということなのだろう。1㎏あたり、250㏃以下だったということなのだろう。


除染の基準も同じだ。空間線量や地表の線量測っての基準が「0,23」。
この数字が、除染を中心にした「帰還問題」をも左右する。

なんか、「数字の魔界」に住んでいるような。

南相馬の水田に1Fの瓦礫撤去作業の影響によって、この基準値の6倍を超える放射線が飛散し、稲が被害を受けたという。「健康被害」という観点から、それがどれくらいに意味を持ってくるのか。

片や、県立医大などでの検査では、受診した3万622人のうち、体重1キロ当たり50ベクレル以上のセシウム137が検出されたのは0・03%に当たる9人。慢性的な内部被ばくは、ほとんどの住民で低く抑えられていたという。 

何がなんだかさっぱりわからない。

ただ、ただ、「0,23」という数字に“支配”され、それで多くの事が語られているということ。

シーベルトにしても、ベクレルにしても、それが「永遠のゼロ」では無いということ。

冗談かどうか知らないが、一時、ネットで話題にされていた「ゼロベクレル食堂」。結局あれって何だんたのか。


数字を気にしていても始まらない。しかし、数字を無視する訳にもいかない。
1Fの瓦礫からは、さらに「放出」の可能性は大だ。
そして、それがどこに行くか。風任せっていうこと。

ベクレルとシーベルトの換算式はある。だけど空間線量と食品などによる“内部被ばく”はその意味合いを異にする。

うまく意を尽くせないが、とにかく「厄介」なことが続いているってことだけは間違い無い。
「0, 23」に“縛られる”ことが無くなる日がくることって有るのかな・・。

「0,23」という数字は、やはり意識の中の“結界”ということなのだろうか。

2014年7月17日木曜日

「原発」と「責任」と

「私はね、ずっと思っているのですが、原発事故を起こした責任の問題。誰も責任をとっていない。いや、責任というか、事故を発生させた責任者を、なんで刑事罰に問えないのかっていうことなんです。
刑事罰を科して当然でしょ。政府は電力事業者に一義的責任があると言ってほっかぶりの様だった。東京電力の刑事責任を問う法律は無い。おかしいですよ」。

40歳の彼は力説していた。職業は会計士。系譜を言えば、昭和の大物政治家の孫。

「祖父が生きてい居たらなんといったでしょうかね。どうしていたでしょうかね」。逆に問いかけられた。その祖父を知っているものの一人として。

原発事故避難による損害賠償は、訴訟も含め民事だ。金での解決。刑事告訴の動きはあったが不成立。

なにしろ、3年前、ゴルフ場が汚染された時、「無主物」なんて判断が示されているくらいだから。

法的に責任は問われていないということ。

事故後、国による経営管理がいわれて時も、国は拒否した。金だけ出した。形成責任を問われたくなかったからだろう。

鹿児島の川内原発再稼働。

規制委員会は、安全審査基準に適合しているかどうかを判断しただけ。再稼働を決めるのは政府だとする。
政府は地元の自治体の判断にゆだねるという。
自治体は事業者の判断だという。
事業者は規制委や国から“お墨付き”を貰ったという。

再稼働させて、仮に事故があった時の「責任」。それはうやむやのまま。

もし事故があれば、現場の作業員含め、住民の避難が必要になる。それは誰しもが認めている。

しかし、避難計画があるかどうか。それが実施可能なものかどうか。それは再稼働の「判断基準」に入っていない。

結論だけ言えば、福島の経験者から言えば、避難は不可能ってことだ。

それが一番重要なことであるにも関わらずだ。

避難しなかった人、避難出来なかった人にだけ「自己責任」が課せられる。

桜島がどうこうだけではない。他の要因だってある。テロだって十分有り得る。

それは1%の「リスク」かもしれない。「全くの安全」は何に於いても、何処に於いても存在しない。

99%の安全に寄るか。1%のリスクを危惧するか。

どこにも「責任」なるものが存在しない中、その「責任の所在」が無いということが分かった今でも、人はエネルギーを、電気を欲しがる。地元の経済、国の経済。

企業で「不祥事」が発生すれば、経営者はおおむね責任を負わされる。中には刑事告訴されて企業人もいる。

原発と言う巨大産業の中にはそれが無い。

「戦争責任」と合わせて語るつもりはないが。

原子力発電が始まったころ、一世を風靡していたのは「日本一の無責任男」。時代は「無責任時代」と言われていた。

その歌にもあったな。「わかっちゃいるけど、やめられね」。なんだい、時代は同じなんだ。「福島」ってなんだったのだい。

2014年7月16日水曜日

病名“脳梗塞”、いただきました

昨日は、こちらの方言で言う「あっぱとっぱ」の一日でした。
だから当店の“講釈”も短め。

病院から病院への一日でありまして。

全くの私事ですがご容赦くだされ。

昨日は、朝、恒例の坪井病院の健診。6月7日に転倒した“後遺症”が気になり、そう硬膜下血腫が。たんこぶも引かず。頭は重く痛く、なんとなく歩行がしんどくありで。

「MRIやりましょう」ということで、検査。結果は後日ということだったのですが・・・。

当稿書いているところへ坪井先生から電話。
「今、画像を診断したのだが、硬膜下血腫の疑いは無い。しかし、脳梗塞の症状を確認した。手配するから、紹介状書くから。太田西ノ内病院の脳神経外科に行け」とのご託宣。そこは6月に救急搬送されてところでもあり。

坪井に行って紹介状もらい西ノ内へ。脳外の先生の診察。
画像見ながら先生曰く。「ここ、前頭の横の方にくっきりした映像が。これですよ、この白いUFOみたいな奴」ってことで、確認の為にこの病院のでも検査してください。CTとMRI。両方やって・・・。

呼ばれた入った診察室。
「結論が出ました。脳梗塞です」。

ただし、今のところ下肢に特に左足に際立った異常は無いようなので、あれば即刻入院、監禁だけど、とりあえず薬でいきましょう。

書かれた病名、ついた罪名。「無症候性脳梗塞」。大きさ1cm弱。今後症状が出る可能性もあるので“プレタール”という内服薬を処方と。

原因はなんですか。ま、加齢もあるでしょうし、うん、うん、また来たな加齢。
それとストレス、煙草。

全部当てはまっているっていうこと。

「ま、そんなにストイックな生活することは無いですが、薬だけは忘れずに」。

夕方、一応無罪放免なれど、なんか気分はよろしくなく。入院ともなればこの先のもろもろの日程どうするんだい。
昨日が締め切りだった原稿、二本ともまだ書いてないし。穴あけるわけにはいかないだろうし・・・。

でね、この脳梗塞、最近、数日前に出来たものだということなのです。画像の鮮明さから判断されたのか。転倒・挫傷とは関係無いとのことだったのです。

しかし、もし、転倒・挫傷を負っていなかったら、この梗塞、見過ごされていたはず。負け惜しみのように捉えれば「怪我の功名」ってことと納得させてみたり。

でも、なんか不安感はつきまとうので有り。

禁酒とは言われなかったが、控え目にとは言われた。煙草はとりあえず減らす努力。バカ野郎と思われるでしょうが。

煙草とストレス。「3・11」の時は禁煙治療中だった。半壊状態に近い家を見て、とっさに吸った煙草が運のつき。

そんなやりとりの結果が「あまりストイックに」という医者の配慮かと勝手に解釈するこのダメおやじ。

家に帰ったら来てました。WBCの結果通知。あの~~ワールドベースボールクラシックじないですよ。ホールボディーカウンター。被ばく線量検査。

「3・11」の前も後も、外出含めて特に暮らし方変えていた訳でもないし、避難所には歩いて何度も通っていたし。

結果は、まさに予想通りの「未検出」。137も134も。出ないってわかっていたから当然なんだけど。

てなことで、これから原稿急ぎます。頭の中身は大丈夫のようだし(笑)。

そして夜はかねて約束の会合へと。

まだまだ病気になんて「負げでらんに」。

2014年7月15日火曜日

「経済」こそが戦争の原因なのだ

安倍晋三という人は、ある意味正直な人だと思う。調子に乗るとけっこう“本音”を言う。オブラートに包んだような物言いもあまりしない。鎧の下の衣ってのは時々あるけれど。

ホルムズ海峡の機雷除去。「中東のホルムズ海峡が封鎖されれば、日本経済に相当な打撃となる。武力行使にあたる機雷掃海をすることはあり得る」。そう国会で断言した。

戦争が起きる主要な原因。なぜ戦争が起きるか。経済問題なのだ。それは歴史を見ればわかること。

大陸の権益擁護。日本には圧倒的に無い資源。それを求めて、それが封鎖されたから戦争に拡大した。

そして、戦争が起きれば、必ず軍需産業は潤う。洋の東西を問わず。

戦後の日本の経済成長。それは、日本は直接関与しなかったが、朝鮮戦争の特需だったのだ。

電気とうエネルギー。それを求めて原発が出来た。経済は成長した。原発関連産業は潤った。

経済を前面に据えれば再稼働だってあたり前ってことになる。

“原発戦争”だって、主因は経済。

そう割り切ってしまえば、集団的自衛権論議は、なんだかばかばかしくさえなってくるのだ。

さてさてきょうの国会。どんな論議が交わされているのか。テレビを見ている時間無し。

なにやかにやと慌ただしくあり。きょうは短文にて。

2014年7月14日月曜日

「安倍政治」の終わりの始まり・・というけれど

「終わりの始まり」。こんなフレーズが何時の頃からかしばしば使われるようになった。ちょっと気取った“うまい表現”とも思ったが。

滋賀県知事選で自公は負けた。卒原発を訴えた前民主党議員が当選した。

卒、脱、反。原発を巡るこの頭に付けられた言葉がようわからん。どう違うのかがわからない。それはともかく、原発は嫌だという人が勝ったのだ。

三日月は選挙戦の後半は集団的自衛権反対も訴えた。そして勝った。

政権に打撃とマスコミは書き、安倍政治の終わりの始まりだと論評する人もいる。

たしかにそうだ。しかし、安倍はひるむまい。

原発には財界はじめ、多くの支持者がいる。

三日月の勝利。それが「原発」問題よりも「集団的自衛権」の方が大きな要素だったのではないか。

多分、選挙の焦点が「原発」だけなら負けていたかもしれない。

投票率50%余り。この数字をどう見るか。国の命運を左右する大きなテーマであるはずなのに。

公明の動向がカギを握っていたとみる。三日月に入れた人は少なかったが、投票所に足を運ばなかった。なぜか。
集団的自衛権に関する与党協議の結果に不満があったからだ。

50%少々だたのは、民主党に入れることをためらった人もいるってことじゃないか。

「一地方自治体の選挙結果にはいちいちコメントしません」。従来の政権はよくそう言ってきた。

安倍は予算員会で答えた。その表情は弱弱しくも思えたが。
「集団的自衛権の閣議決定が影響していないと申し上げるつもりは毛頭ない」。

影響を認めた。

ならどうする・・・。閣議決定は取り消せるはずもなく、関連法案だって提出の準備は着々とすすめられていいる。
突き進むしかないのだ。

内閣への信任を取り戻すためにはどうする。もっかは“拉致”ということだろう。

たぶん、安倍よりもショックを受けているのは公明党だろう。党勢は確実に低下している。与党協議なるものの「茶番劇」だったことは見抜かれている。

「マスコミにやられた」と自民党は言いづらいだろう。マスコミには自民と同じ、いあや、それよりも過激な論陣を張る社もあったのだから。

さてさて、問題は福島県の知事選だ。

自民は独自候補を決めるって宣言した。でも、候補は決まらない。この滋賀の結果をみて、多少色気もあった人も尻込みし始めるのでは。

雄平が三度立つのか。民主党にはもう福島県民の多くは懲り懲りだ。民主の単独支援では雄平は勝てない。

福島の選挙の最大の争点は、やはり「原発」だろう。原発事故のその後だろう。

小泉進次郎が、ネットに面白い書き込みをしていた。
「このところ、福島にばかり行っているので、遅まきながら昨日兄貴の誕生日をやりました。兄貴が言ってました。東京に美味い福島料理を出す店があるから今度一緒に行こうってことになりました」てな投稿。

なんだか意味深でもある。そして彼は下馬評にあがっているとも言われているのだ。

面白いっていう人もいれば、ばかばかしいって人もいるだろう。でも、旧態依然の候補者選考をしている各党の県連の動きをきくと、さもありなんとも思えてくる。

そして最大の課題の知事選は沖縄。

終わりの始まりにしないために安倍陣営はどう出てくるのか。
「殿の口をふさぐ」ってのも手かもしれないし。

祖父の岸信介の時の安保反対闘争と、今、官邸の周りで行われている反対運動とは全く違うなんてNHKのインタビューで言っていたけど。

なんか、おもいつくままに・・・。

2014年7月13日日曜日

一人の手

フォークソング全盛期、「人の手」という歌がうたわれていた。

♪一人の小さな手 何もできないけど
それでも みんなの手と手をあわせれば
何かできる 何かできる
一人の小さな目 何も見えないけど
それでも みんなの瞳でみつめれば
何か見える 何か見える
一人の小さな声 何も言えないけど
それでも みんなの声が集まれば
何か言える 何か言える
一人で歩く道 遠くてつらいけど
それでも みんなのあしぶみ響かせば
楽しくなる 長い道も
一人の人間は とても弱いけれど
それでも みんながみんなが集まれば
強くなれる 強くなれる
それでも みんながみんなが集まれば
強くなれる 強くなれる♪


アメリカのシンガー、ピート・シガーの作だと記憶している。

「3・11」後、この歌が応援ソングとして使われていた場もあったが、テレビから流れてくるのは「ふるさと」であり「花は咲く」だった。

時々、なんかの拍子に歌が浮かぶことがある。昨夜からはこの「一人の手」。
流行っていた時代、ギター一本で歌われていたこの歌。あまり興味は湧かなかったが・・・。

3・11後の反原発運動。集団的自衛権反対運動、イスラエル大使館への抗議行動。
なぜか、それの意味が全くわからないが「ドラム隊」というのがいる。
ドラムの大音量に、リズムに合わせてのシュプレヒコール。どこか「お祭り」のようにも映る。

安保闘争を体験した世代には、デモと言えばジグザグだったけど・・・。

デモ行進。みんな手と手をつないで歩いている。
あの頃はやったフォークの歌をみんなで歌っているってないのかな。

一人の力は弱い。集まれば強い力になる。それはそうなんだけど。

きのうの「海」の話ではないが、一人で海を見に行って、一人で感じてくる。

集団の中に己の身を置き、埋没させていくことが是なのか。一人で思索を深めることが求められるのか。

今の世の中の風潮の中で、この歌の意味を理解するのは難しい。

♪戦争を知らないこどもたち♪。こんな歌がやはり流行っていた頃があった。ベ平連の全盛期だったか。

この歌を理解するもの難しかった。

戦争を知らない世代を誇っているような。子どもながらに戦争を知っている、体験している世代には、どこか“違和感”を感じていた。おかしいということではなく。

そして「東京」をテーマにした歌がいくつも生まれていた。東京に憧れ、挫折してという内容の。

石川セリや山崎ハコのあの物悲しい歌に魅かれていた時代。

一人の手。石川啄木の歌。
働けど、働けどわが暮らし楽にならず。じっと手を見る。

なぜか好きだったな。あの詩が。

梅雨の鬱陶しさの中、歌が浮かび、鬱陶しいことを書いてしまった。まとまりのつかない日曜。

だれか、これらの歌を解き明かしてはくれぬか・・・。

一人の手という歌。いわゆる被災地には“必要”な歌だとも思えたので。

2014年7月12日土曜日

「福島に連れていくな」と「福島の海を見よ」と

週刊朝日の記事が目に留まった。作家というかテレビのコメンテーターというか。
室井佑月の「しがみつく女」というコラム。
そこにこんな事が書かれていた。

「テレビを観ていて仰(の)け反(ぞ)ってしまったよ。あたしが観たのはテレ朝のニュース。ニュースではこういっていた。

“原発事故による風評被害の払拭に向け、政府は、修学旅行先として福島のモデルコースを設定し、全国の学校に提案することなどの強化策をまとめました”

  福島県では子どもたちに甲状腺の検査を受けさせ、2次検査で穿刺(せんし)吸引細胞診を受けた子どものうち90人が悪性または悪性疑いとなり、51人が摘出手術を実施し、50人が甲状腺がん確定となったという。

 このことについて福島県は、過剰診断じゃないかといっているが、「被曝影響の解明の仕方については今後、検討する」ともいっている。

 つまり、放射能の影響かどうかまだわからないといっている。

 あたしはなぜ、全国の子どもたちをわざわざ福島へ連れていかなきゃいけないのか理解できない。

 逆じゃないの? 福島の子どもたちを、被曝の影響があるかどうかまだわからない場所から、一時でも避難させたほうがいいのでは……そういう考えになぜならない?

 事故当時よりはずいぶんマシになったとはいえ、まだ汚染水は漏れているし、まだ放射性物質も漏れている。そして、一歩間違えばさらなる大事故につながるといわれている燃料取り出し作業をしている最中だ。

 政府は福島へいって(住んで)「大丈夫」という人間が増えれば、それが真実だっていいたいのか。

 だとすれば、健康被害を受けたといっている少人数の人間は、嘘をついていることになるのか。大丈夫じゃなかった人には、大丈夫じゃなかったということが真実だろう。

 政府の意見が正しいことの証明に、子どもを使うのはやめてくれないかな。大丈夫であることの証明に、子どもを使うって野蛮すぎる。

 大丈夫じゃなかった人たちはなぜそうなったのか……そこの部分の追及・解明に命をかけることこそ、今の大人のやるべきことだとあたしは思う。」

福島に関する部分を抜き書きした。
どうも短絡的に捉えられているような感じ。修学旅行で原発事故現場に連れて行くってことではないと思うし。

現実に福島で暮らしている子供たちも大勢いる。親は“被ばく”に気を配り、“保養”も積極的にやっている。
政府の「安易な考え」を批判されるのは結構。でもね・・・。

東京にいる“有識者”の目線ってこういうことなのかとも。修学旅行に行って“被ばく”のおそれのあるところに連れて行く学校関係者はいないと思う。

長くなるが、“福島に行け”という高校の渡辺憲司校長の言葉を引く。立教新座高校の、今年の卒業式でのはなむけの言葉。「福島の海を見よ」。全文ではないが。

「私は、今、諸君がその歴史を踏まえて旅立とうとする時、一つのことを提示しておきた
い。それは生き方といった道徳的理念もしくは抽象的理想ではない。
きわめて具体的な提示だ。
“捨てて二時間福島の海を見よ”
あらゆる身の回りのものを捨てて、二時間、福島の太平洋に向き合いなさい。
二時間で十分です。二時間は長いそれで十分です。
体で海を凝視しなさい。身についているすべてのものを脱ぎ去りなさい。
携帯電話。
スマートフォン。
書物も、カメラも。
友達も、恋人も、家族も置いて行きなさい。
忘れなさい。自分を取り巻くすべての情報から離れるのです。
あまりに過剰な情報に沈黙を与えなさい。行為として沈黙を作りだすのです。
独として海に向き合うのです。そして感じなさい。
五感を震わせて海を感じなさい。
波頭をその目で見つめなさい。潮のにおいをその鼻でかぎなさい。
波の音を聞きなさい。吹く風を身に受けなさい。
息を胸いっぱいに吸いなさい。
自然を体感するのです。若き体をいっぱいに開いて感じるのです。
新聞やテレビで分かった気になってはいけない。
今からでも遅くない。否、今だからこそ。震災から 3 年たった福島の海を見つめなさい。
朝、自分の町を出れば、夜、家に帰って来ることが出来るのです。
すぐ近くで悲劇がおこり悲劇が続いているのです。
誰もいない海を見なければならないのです。
君は、大人に踏み出したのだ。
君が子供を持った時、君の子供はきっと聞くだろう。
「お父さん。震災の時何してた」と。
君が外国へ行った時、君は聞かれるだろう。
「日本の海はどうだ・・。福島の海はどうだ・・。」
「あの頃どうしていた」と聞かれるのは、君達の青春史に刻まれた宿命なのだ。
君は「忙しかったんだよ」と答えるのか。 忙しいと忘れるは、同源の語である。心を亡くすることだ。
「僕は福島を忘れていたよ」と答えるのだろうか。
福島に対して忙しいと言える者はこの日本にはいない。
福島に対して忘れたと言える人はこの日本にはいない」。



話の論点や視点は違っているのは承知だ。忌避を勧める人と、出向くことを勧める人。

週刊誌に載ったテレビのコメンテーターは有名人だ。与える影響は大きかろう。高校の校長は、いわば無名の人。その言を目にする人は少なかろう。

もっとも、室井氏のコラムのタイトルは「尊敬できない大人たち」。集団的自衛権のことも併記されている。挿絵として添えられていた漫画風のイラスト。「今年の修学旅行は福島です」「え~~、ディズニーランドじゃなにのかよ」という吹き出し。
福島への悪意は無いと思う。でも「福島」は傷つくはず。

渡辺校長の言に信を置く。畏敬の念すら抱く。

2014年7月11日金曜日

またも「11日」、必ず来る「11日」

あれから3年4か月ということになる。
7月11日。セブンイレブンの日では無い。

3年4か月。「3・11」。それはまさに“くびき”のように、そこから逃れられない。逃れてはいけない。そう思っている。

気候のせいもあるかもしれない。重い日の朝だった。
世の中の関心は、もはや別のところに行っているかもしれない。

さまざまな出来事、そこに向けられる目線。それは「福島」を過去のもの、遠いものにしているとあらためて感じる。

嬉しいことがあった。仮設に暮らす川内村のばあちゃんが我が家を訪ねてきてくれた。何回も書いた人。その人を通して知る川内村。

律儀な人だ。どうも季節のご挨拶ということらしい。

このところしばらくご無沙汰状態になっていた。気にはなり案じていたがいたってお元気だった。頼りになる娘さんが一緒に。その娘さんがいるから、その娘さんにかまけての無沙汰と言う言い訳もある。

ばあちゃんにこっちが励まされいる。立場は逆なのに。鬱々とした気分をばあちゃんの大声と笑顔が励ましてくれる。

3年前のあの頃、コートに熱い握り飯を持って行った時、「このご恩は決して忘れない」と言われた。そしてそれを実行してくれている。

わが身を恥じるとこ大なのだ。

「あの頃が懐かしいな」と言い合う。感じ方は違うだろうが、同じ「空気」を一緒に吸っていたということ。
「3・11」があって出来たご縁。人と人とのつながり。
なんか、すごく、「近しい人」に感じるのだ。うれしいのだ。


今、川内村は「帰還、帰村問題」を巡って揺れている。

他の者が語り得ない、そこに居た人たちの心情。

「とにかく仮設から出されるまではこっちにいるさ。帰ったって何にも無いし」。
1年後、なるようにしかならないと腹をくくっているような。

娘さんは別の場所での借り上げ暮らし。家族もいる。

「台風が来るって言われて怖かったよ。風が吹いたら仮設なんか吹っ飛んでしまうだろうし」。「ま、その時は瀬川さんの家にいけばいいと思っていたから安心だったけど」。

嬉しいのだ。

元気そうだけど足腰はだいぶ弱っている様子だ。しかし、どこかに「強さ」がある。
「孫もいれば、玄孫もいるからな。まだまだだ」。

助けるべき人にこっちが助けられている。励まされている・・・。元気をもらっている・・・。

3年前の7月。国中が女子サッカーの「なでしこ」に沸いていた。なでしこの活躍に力を、元気を貰ったと被災地に人たちは言っていた。

あのおバカな菅直人は「無私」という字をノートのあちこちに書いていたと、後日側近が明かしていた。

まだ避難所に居た時、風呂に誘った。「自衛隊さんのお風呂が一番いいや」って言っていた。

仮設でご主人を亡くした。

とにかく、そんな人と出来た「かかわり」。大きな財産かもしれない。
まもなくあの時間がくる。

なんか数時間、仮設のことを考えていた。だからどうなったわけでも無いが、それとても11日には許される、いや、そうすべき日にちかと。

台風は去った。各地に大きな爪痕を残して。蒸し暑い。仮設はもっと暑かろう。エアコンはなるべく使わないとも言う。からだに悪いからと。

昨日から明日への通過点としてのきょう11日。毎月くる11日。

思うことしかできない日・・・。

2014年7月10日木曜日

「被ばく検査」に行ってきた

市役所、保健所から来ていたホールボディーカウンターによる“被ばく検査”通知。きょうがその日。

何をやるのか、結果がどう出るか。全く持って“興味半分”で行ってきた。
別に、それを軽視しているとか無意味なことと言っているわけではない。
小さな子供さんにとっては必要なことかもしれないし。

自分なりの“知見”の中では、結果は見えている。NDとくるか未検出とくるか、結果の報告は後日来るそうだが。

面倒くさい。ってことなのだ。でも、なんでも経験しておこうってことかな。

名前呼ばれて着替えて検査室へ。両手を差し出して手のひら、手の甲、顔にカウンター。「これって何の意味あるの」。またもや偏屈親爺登場。
担当の人、笑顔で言う。「決まりなので。今や意味ないでいよね」と。

検査器の前に座って2分間。
担当の人に聞く。「測定基準値はどうなの」って。「250ベクレルです。検出対象の放射線はセシウム137です」と。


待合室で、保健所の4階にいる知人を呼び出した。久しぶりに顔を見たかったし。
「何にも出ませんよ。最近CTなどの検査やってなければ」とのご託宣。
「いや、一月前にやったと。転倒して頭部やられて、救急搬送されてCTで頭部検査したよ」。「じゃ、どうかな」。


郡山市内で、福島県内で、これまでにどれくらいの人数がこのWBC検査やったのだろうか。
そんなこと知らないって友人もいたし。

この事にしても、除染の話にしても、まだまだ、ずっと尾を引いている・・・。

たまたま手にしたスポーツ紙。音楽家で、反原発の急先鋒、坂本龍一に咽頭癌が見つかったという。反原発だから、放射線治療は受けないという。主治医にその治療を拒否する意向を伝えたと書かれていた。

その癌は何の検査で発見されたのだろう・・・。

医療、治療は本人の意志。とやかく言うことはないが、彼自信のロジックにも驚く。

治療のための放射線、検査のための放射線。原発事故による放射線。分けて考えるべきだと思うのだけど。
患者さんにこんなこというのは失礼、無礼かもしれないが、なんか坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってことかって。
宗教上の理由で輸血を拒否する人達とどこか似ているような思いも。

病院の放射線治療を拒否して、放射線がいっぱいの、温泉治療に励んでる人もいるし。

余りにも彼は著名人。放射線治療拒否っていうのを書きたてると、ネットで流布すると、それに同調する人だって出てくるはず。

3年前、線量の多寡を比べるのにレントゲン検査、X線検査の数値が比較として挙げられていた。X線検査を拒否した人も結構いたと病院で聞いた。

来週、また頭部のCT検査に行く予定。硬膜下血腫の検査。

もう20年近く前か。肺がんとやらで放射線治療もやった。リナックスって言ったかな。照射後は半日、全身を倦怠感が覆っていたけれど。最後は切除だったけど。

未だに、目下、健康に異常は無い。

原発事故直後、電気楽器を多用している音楽家が「たかが電気」と言ったことをいまさら持ち出すつもりはない。でも、あの時、あの発言を聞いて、あの時の反原発運動を支持する気にはなれなかった。ひいた。

台風が気になる。町中の側溝は、「どぶさらい」が禁止されているため、側溝にはかなりの土がたまっているはず。水の流れのよくないはず。
大雨で側溝の水があふれたら・・・。廃棄処理されていない“汚染”された側溝の泥が町中に溢れるんですよ。

なんだかんだと袋小路のようなのでもあり・・・。

2014年7月9日水曜日

“再稼働は国民全体の願い”と言ってのける人

経団連の榊原会長はきのう、女川原発を視察したあとこう言ってのけたという。
「安全が確認された原発は、速やかに再稼働すべきだ。国民全体の願いでもある」と。

国民全体とはこれまた大きく出たもんだ。全体っていえば100%ってことでしょ。願ってない人大勢いるんだけどな。

何にも見てない人なのかな。そんなことは無い。知った上で言っている。
全体とか、皆とか言って、それこそ「挙国一致」思想を育もうという人達。

あの戦争を止められなかったのは、内閣でも軍部でもない。国民「全体」の“熱狂”がそこにあったから。


榊原会長はさらに言う。
「老朽化した火力発電所を無理に稼働させている今は綱渡り状態。電気料金は家庭用、産業用とも上昇しており、経済成長の大きな足かせになる」と。


これもまやかしだ。確かに老朽化した火力発電所には“危険”が潜む。電気料金の話になると別問題だ。
原発はコストが安い。廉価なエネルギーとされて来た。事実、安かった。なぜか。原発燃料には税金がかけられていないから。
化石燃料には税金がかかっているから。
“化石燃料税”を廃止すれば、電気代は安くなるはず。

延長線上の事は言うまい。このことだけででもそうだ。間違った擦りこみ。それがまことしやかに喧伝され、信じられている。原発の方が安いというロジックが。

エネルギーも問題、経済成長の問題は、税金の問題と関連しているのだ。法人税引き下げ、すなわち経済成長への道といった具合に。

消費税引き上げで困惑する人達、それは事故が起きた時の「原発被害者」に一番近いところにいる人なのだ。

とにかく、今の経済三団体、日本商工会議所、経済同友会。その財界と言われるところの安倍政権への傾斜は目にあまるもの有りだ。

勝手な思い込みかもしれないが、トヨタの奥田会長が経団連の会長だった時は、「大企業優遇」とはあからさまに言わなかった。政権にも折に触れてもの申していたと思う。

今は、官邸の言うがまま。

大企業の社員も労組も、目先の賃上げ、高額ボーナスで嬉々としているような。

・・・だから原発は再稼働する。無くならない。

「福島」の後始末の多額の税金が使われている。電力事業者はとっくに当事者能力を無くしている。いくら税金を投入しても足りない。その費用としての税金で儲け、収益を向上させているのが、そこに関わる大企業・・・。

なんにしても原発は「金儲けの道具」なのだということ。

この人は、大番頭、女房役として、苦労している人だと半ば同情もするけれど、時々おかしなことを言う。菅官房長官のことだ。

規制委員会の委員になる人が原発業界から報酬を受けていた。“50万円以下の少額”を。それは全く問題ないと言った。
「前政権が作ったガイドラインは内規だ。法に定められた要件に照らし合わせて考えるのが政府の基本的考え方だ」と。

法に定められた要件に照らし合わせれば、“解釈改憲”なんて出来る訳ない。憲法は最高法規でしょ。
集団的自衛権の解釈変更閣議決定。それをも「内規」と後世に言わせるつもりか。それは内規ではない。立派な政府の意思決定だ。

“偉い人”達が吐く言葉が、とんでもなく軽すぎる。軽い言葉で“洗脳”がまかり通っているような気がする。

一昨日東京行、昨日塾。きょうはこの天気。低気圧に抑圧されてように頭が重く機嫌とて悪い。その上での八つ当たり。

あの~~わたくしメも国民全体の中の一人ではあるんですが。

2014年7月8日火曜日

“首都機能移転”の幻影

東京から郡山に帰る途中、一枚の看板を探していた。そして、それは在った。
田んぼの中に“毅然として”立っていた。
忘れ去られた存在としての彫像のごとくに。

「那須野が原に首都機能移転を」。

1990年代、日本中は「首都機能移転」で沸きに湧いていた。法律が出来、審議会が出来、候補地が取沙汰された。

絞られてきたのが福島・栃木・岐阜だったと記憶している。
福島県の誘致活動に奔走していた。

せめて国会機能だけでも。とにかく、福島県民の多くが、それに狂奔していた。
そして福島県が考えていた候補地、いや、実際に国に提出していた書類の中にあった候補地。
それは阿武隈高原だった。その理由は岩盤が強い。地震があっても大丈夫。6万人の「民族大移動計画」も真面目に話し合われていた。

政府のごく一部には原発の存在を危惧する意見もあった。でも、それは「安全神話」の中にかき消されており。

結果、当時の移転論は、石原慎太郎が都知事になり「移転反対」。首相の小泉も反対・・・。結果、立ち消えになった“日本列島改造”。

まだ国土交通省の中には、それを担当する部局があると聞く。数人いるかいないか。
福島県庁でも、数十人いた“準備室”もどきが、1人の「後処理係」のような人を置いているとも聞く。

阿武隈高原。原発から40キロくらいの範囲にあたる。もしかしたら都路だってその地域に入っていたかもしれない。

あの時の移転構想が実現していたら・・・。首都機能の一部が原発事故の避難対象区域にされていたら・・・。
国会の機能がある。国会議員の宿舎だってある。多くの職員がいる。

その光景を想像しただけでも、不謹慎だが面白い。

首都機能の一部が原発被災を免れたのは僥倖だ。もし、あったら・・・。

そのことは多くの日本人が忘れている。そんな毎日のようにその動向が推移が伝えられていたマスコミからも。

そして、それは再燃した。3・11後だ。大阪への移転という話。首都直下型地震が言われて。

なんとも皮肉なお話ではありませんか。

橋下の都構想に、移転の事が入っていたかもしれないが。

それも、今は話題にならなくなった。

とにかく「忘れっぽい」のが日本人の特性なのだ。

集団的自衛権をめぐる関連法案の国会提出。先送り。1年以上経てば、もう忘れているって目論見なのか。

満腔の皮肉を込めて言う。
「福島県に首都機能移転を」。その運動を再燃させよう。移転のための法律はすでにあるのだから。国が決めればいいことだけなのだから。

あはは、国会議員のなり手は急減するかも。

東京の高層ビル群を見てくると、あの人波を見てくると、こんなことも言いたくなるのさ。

渋谷の駅を降りて、目当ての高層ホテルを目指す。駅を出た途端の尿意。
記憶の中にあった、忘れていない場所。公衆便所のあった場所。南口の246沿い。ありましたね。それは。化粧直しして外観は綺麗になっていたけれど。

中も綺麗に清掃されてました。

でもね、あの独特の、公衆便所のあの匂い。それは、そのままだったのです。
懐かしい匂いだった。臭いという字が正解か。
ゆっくり用を足しながら、その臭いを記憶とダブらせていた数分。
はい、場所も臭いも忘れてはいませんでした。

2014年7月7日月曜日

「田中政治」と“再会”する日

まいったな・・・雨なんだよな・・・。今日はこれから東京へ行く・・・。
七夕会という集まりに出席するために。毎年一回、男同士の再会。およそ「七夕さま」、「牽牛と織女」の昔話には似合わない集まり。

1972年、昭和47年7月7日。田中角栄内閣が発足した。それと同時に、それまで彼を毎日追いかけまわしていた記者たちは“解散”した。

競争相手であった者たちだが、どこか「同志」のような感情がある。記者と、当時の秘書官、外務、通産から“出向”していた元官僚も集まる。

政治の世界に一時身を置いていただけの年寄たちの集まり。昔語りにふける会。

たぶん、政治のことが話題の大半を占めるだろう。内容は見えている。「政治の劣化」を嘆くだけってこと。

全員が現役では当然無いにもかかわらず、“情報”を持っている人もいる。聞き手に回って話を楽しもうとも思う。

田中政治の回顧談は当然のようにあるはず。たぶん、「集団的自衛権」の話も遡上にのぼるはず。「田中内閣ではこういう見解だったのに」から始まって。

全員が「戦争」を知っている世代だ。戦争を知らない世代の、今の政治との埋められない距離も話題になるだろう。

それはそれで楽しみなのだが・・・。無力感を伴うのかもしれない。

目的地の、会場のホテルにうまく行きつけられるかどうかが問題なのだ。
東京で戸惑い、迷子寸前になることを危惧するのだ。
いやはや、なんとも・・・。

東京に行くことへのもう一つの戸惑い。記憶の中にある、あった街がもう無いということ。
東京に行くたびに強くなるその思い。

子供の頃の記憶にある街はもう無いんだよな・・・。

昨日書いた短歌の話。その中にあった名取市の高校生の短歌。

町が流されて、見晴らしがよくなって、感じた「海の近さ」という趣旨の一首。

高層ビルが立ち並び、町並みが変わった。相反する光景と、どこか似ているような感情。

6年前までは、それでも初台に家があった。そこも変わっていたが、匂いも違ってはいたが、そこには「帰る場所」があった。時々の犬の散歩コースがあった。そこが無くなったということ。

たとえば富岡の、もう住めない家を壊そうと決意した人の心情がわかるような。

東京に行くたびに想う。あの時、3年前の3月11日に福島県にいてよかったと。東北の一端にいてよかったと。
身近に「あの日のこと」を感じられたことが。

もし、東京に戻って生活していたら、結局はあの惨事は「他人事」になっていたのではないかという不安。

東京に帰れば帰れたものを、なぜ郡山に住みついてしまったのか。よく聞かれること。自分でも明確に説明できないこと。
そこに居ることは、どこか見えざる差配があったのかもしれないという思い。

おぼろげな記憶では、田中角栄は首相になってから、あまり外出しなかった。
ある時、砂防会館の一室で聞いた覚えがある。
「俺が動くと、多くの警護官や警察が動き回らねばならない。店に行けば他の客に迷惑をかけることになる。必要以外は夜の会合含め、表に出ないようにした」。そういう趣旨のことを。

そう、首相が動けば、最低でも30人くらいの警察官がつくのだ。先回り含め。
警護の警察官にあれほどの気遣いをしていた首相を知らない。
ある人は、それが、護衛さんが付くのがステイタスシンボルだと公言していた。

日帰りの東京行。疲れるだろうな・・・。駅の階段で転ばないように気をつけます。頭はまだ完治してないし。


2014年7月6日日曜日

“風になりたいでしょね”

日曜の朝、午前中のテレビ。NHKの国会討論では、各党の幹事長クラスが顔を並べて集団的自衛権の問題で、なにやら語っている。もうどれもが聞き飽きた口説。
片や相変わらずのバラエティー系の民放。
そこに、いまだ、そう、報道番組にだって連日登場しているのが、あの泣き喚いた県議のこと。

それを伝える意図がわからない。馬鹿な県議がいるってことで「政治」をおちょくっているつもりだろうが、こんな恥ずかしい奴がいることを、もう“興味本位”でやる必要はない。

政治の劣化というよりも、国民の劣化なのかもしれない。もし、そのニュースを求めているとしたら。

集団的自衛権の問題。

やがて提出される関連法案。そこで丁寧な説明があると自民・公明が言う。
丁寧な説明って何だ。

わかりにくいと市民は言う。わかりにくくしたのはもちろん当事者の政権だ。
わかりにくくすることに意味があったから。
的外れな論点も持ちだして煙に巻く。常套手段だ。

わかりやすい説明。わかりにくい。
こっち側にも責任がある。説なんていう前に、それを「知ろう」とする努力を、いささかの時間と労力をかければ「わかる」こと。

論調は別だ。どの新聞を見たって、それを読んで考えれば「わかること」なのだ。
丁寧な説明を求める。マスコミも含めて言っているかぎり、どこかで“他人任せ”のこととなるのだ。

与えられるものを待っているだけでいいのか。自分から取りに行かなければ。
その努力を惜しむから為政者に国民は「馬鹿にされる、甘く見られる」。

丁寧な説明。それは「福島」でもさんざん聞いた。為されていないし、為されたとしても、時間切れの一方通行。

もし、国会議員に、矜持というものが、使命感があるのなら、たぶん、その時間とて少なかろうが、論戦の“技術”を磨くことだ。
長々と薀蓄聞いているのが国会論戦ではない。

説明と議論、論戦とは違う。相手の「非」をどうやって追求し、その矛盾点を突き付ける。それが国会という場の「論戦」だ。

お互いの「お題目」のような持論を述べあっていても論戦にも議論にもならない。

国運にかかわること。国会が目覚めてほしいのだが。いかんせん、その能力がある議員はいないな。

下卑な野次を飛ばす奴はいても。

鬱々として晴れない。そんな中で見たNHKの番組。
「明日へ、三十一文字」。被災した、避難した人たちが詠んだ短歌。梅沢富三男がレポーター。

見ながら書き留める。

「我が土地に結界をなす柵ありて、風は静かに行きて来しあり」。
富岡から避難している人の一首。

もう、帰ることは不可能だと思う。ここにはもう住めないよ。富岡の自宅脇でその人はぼそっと言う。

梅沢が言う。「出来るなら風になりたいでしょうね」と。その人はうなずく。

悲しく悔しい短歌に、心が慰められる。救われるような思いがするという皮肉な自分。
三陸の高校生の短歌を聞く。そこに没頭する。涙ぐむ。被災者の句に浄化を求める・・・。助けてもらっているのはこっちだ。

「日々、短歌を詠むことで、短歌に詠むことで、今の自分の気持ちを留めておきたい」。そう言っていた富岡の人。

おもわず思い出す峠三吉の詩。「人間を返せ」。
死者だけを返せと言っているのではないと受け止める。

まともな人間をと、生きている人たちに呼びかけているように感じるから。

ほとんどの人の「仮住まい」は来年が期限だ。その後のことは誰もわからない。

住まいを失った。生活権を奪われた。安心できる生活は無い。そんな国民がいる。それを助けるのが「国」ではないのか。「国家」ではないのか。

国を守るとは何か。今、困っている人、放り出されたままの人。それは国民だ。目先の国民を無視して「安全保障論議」にうつつを抜かす、立派な家を持った人たちよ。

この国はやはり間違っている。あらためてそう思う。

2014年7月5日土曜日

「仮置き場」と「中間貯蔵施設」

紆余曲折(この言葉が適切かどうかはともかく)をたどりながらも、中間貯蔵施設は作られることになるだろう。大熊と双葉に。
用地取得だけで1,000億円がかかる。
施設建設費用も膨大な数字だろう。

我が家の除染作業は終わった。線量がどう変わったのか。まだ、計測は来てない。

剥ぎ取られた土は地中に埋めた。近所でも進行中だ。
草木や樹木の一部が無くなった。

「さっぱりしたな」という一言。複雑な、いろんな意味で。

地中に埋められていない「廃棄物」。黒いビニール袋の山が、郡山の市中でも、あちこちに見られる。

仮置き場。異様な光景。フレコンを呼ばれる袋。その山は福島の光景となってしまった。景観もへったくれもない。

やがてそれは中間貯蔵施設や指定廃棄物焼却場に回されることになっている。

やがて・・・だ。

施設が出来れば、県内各所にある仮置き場の袋が無くなると考えたら大間違いだ。

中間貯蔵施設。そこに搬入される廃棄物の総量は2,800万立方メートルと予想されている。数字はあっても、その実相は想像できない。

総重量は3,500万トンだとされる。
仮に10トンが積載できるダンプで運んでも、一日あたり3千台必要とする。最低3年間はかかるという。

3千台のダンプが県内を走る光景・・・。
双葉、大熊に向かう道路はダンプで大渋滞になる。
簡易舗装に等しい道路はダンプの重みで大方“損壊”するだろう。

そこへの運搬。そのことはあまり多く語られない。国もあえてそれを遡上には乗せない。

運搬途中で「事故」があったらどうなるのか。ダンプが通過することでの線量を気にする人だって少なくない。

一日3,000台のダンプが確保できるのか。その手当、手立ては考えられているのか。

その費用はいかばかりになるのか。運転手は確保できるのか。

貯蔵施設の建設費用は・・・。

そのことについての「説明」は無い。施設の管理は特殊会社「日本環境安全事業(JESCO)」が行うとされているだけだ。その会社は国では無い。

巨費を投じて「施設」は建設される。しかし、そこにどれだけのものが搬入されてくるのか。
搬入が物理的に不可能となった場合、それは十分予想されることだが、施設は“宝の持ち腐れ”ってことになりはしないか・・・。

下種な話、施設の建設業者だけが“儲かる”ってことで終わらないのか。

最終処分場の議論の前に、目の前にある「仮置き場」をどうするって問題があるのではないか。

県もそれを公然とは言わない。順調な運搬なんて考えられないと思っているからだろうか。

国は、まずは施設建設にむけての住民対策が大事ということなのか。建設後のことには無関心のように見える。

「ま、どうにかなるんじゃないの」なんて具合の、数年経てば持ち場が変わるっていう官僚のずるさも透けて見える。

環境大臣は「もうごめんだ」てなことを言ったとも伝えられる。

運搬計画の詳細は、施設が完成してからということなのか。

ともかく施設が出来ても運搬はとてもじゃないが3年では終わらないということ。

いくら住宅除染が進んでいるからと言って、「元に戻す」という作業は何も進んでいないということ。それをメディアが、敢えてかどうかはともかく“失念”してるということ。

これとても「福島」の一断面。

2014年7月4日金曜日

見果てぬ夢としての「違憲立法審査権」

違憲立法審査権、それは、憲法に書かれていることであり、各種の法律や法令が、憲法の条項や精神に違反していないかどうかを審査することであり、その権限は最高裁が有している。

未だ、日本では、それが俎上にあがり、審査されたことは無いはずだが。

この事、3年前に時々書いた。
憲法25条のことだ。
「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」というくだり。

3・11後、すべてではないが、一部の国民、一部だってすべてに包含される。
その国民が自分の意志に反して「健康で文化的な最低限度の生活を営む」ことが出来なくなったこと。

状態としては明らかに憲法の条項に背いている。

しかし、新たな立法がされたわけではなく、理論上は違憲立法審査にはなじまない。それはわかっているが、その不条理を問い質したかったから。

集団的自衛権の行使。それは閣議決定だけでなされるものではない。来年にかけた国会に提出されてくる自衛隊法の改正含めた10本以上の法律。それが成立しないと“行使”は出来ない。

閣議決定をもってして、違憲確認訴訟を起こそうという動きがあるとも聞く。

だけで「違憲」を司法に問うのは関連法が成立してからではないかとも。

そういう「かすかな望み」は無きにしも非ずだ。だが、最高裁がそれを受理するか、判断を下すか。多分、答えはノーだ。馴染まないの一言で退けられるだろう。

三権分立をされている。相互不可侵とされ、個別の権とされている。建前は。
実際は、立法府の長は、選挙後の「人事」の一環として取り扱われる。
議長は「いっちょあがり」って位置づけでしかない。

最高裁長官は内閣の指名に基づき、天皇が任命するとされている。人事権は総理大臣にあるということ。

すでにして安倍は最高裁人事にも平然として介入してきている。

最高裁が首相の、内閣の意に反した判断を示すことは不可能に近いのだ。
選挙制度の問題だって、「違憲状態」どまりなのだ。

総選挙時、最高裁判事の「国民審査」というのがある。丸かバツかの。国民は真面目に判断しようが無い。形骸化した国民審査。

法の番人とされた内閣法制局。そこも安倍が手を突っ込んで骨抜きにしてしまった。

「最高権力者は私だ」。そう、その通りなのだ。三権は安倍の意向のままに操られているという構図。

だけど、この「違憲立法審査」というのを使わない手は無い。たとえそれが「見果てぬ夢」に終わろうとも。
事の次第によっては司法の根幹をゆるがすようなことになる可能性だってあるのだから。

法の在り方として、それが出来ないってことは無いのだから。それは法に精通した弁護士や、それを支持する国民の意志におうところも大ではあるが。

三権全部を巻き込んだ問題としてもいいはずだ。そんなことすら思ってみたりする・・・。気骨ある最高裁判事がいることを期待したいとも。

もちろん、それは「長期戦」になるのは間違いないが・・・。

あれから数日。すでに世間の耳目は「北朝鮮問題」にすり替わっている。

2014年7月3日木曜日

・・・結果、「自衛」はおろそかになる

思い出して欲しい。東日本大震災の後、被災地には多くの自衛隊員が派遣された。自衛隊員は自国民を守るために、寝食を忘れて救援活動に、支援に奔走した。

皆、自衛隊に感謝し、涙を流して礼を言った。自衛隊員は多くの命を救った。瓦礫の中から、孤立した避難場から。

そこには“敵”はいなかった。少なくとも武力攻撃を仕掛けてくる敵は。

自衛隊員は、己に課せられた使命を自覚し、行動し、全うした。

原発事故現場にも自衛隊員は向かった。放水に飛散した瓦礫の撤去に身を挺して闘った。そこには“放射能”という敵があった。

原発避難民の搬送、除染、給水。避難所に作った風呂。

「自衛隊さん」と、皆、敬称を付けて彼らを称賛した。

被災地の子供たちは、いや、日本国中からも、将来の選択として「自衛隊」と言った若者が多かった。親もそれに賛意した。

自衛隊に対しておぼろげながら抱いていた感情、それを一挙に払拭したのがあの大震災だった。

被災地で活躍する自衛隊員の姿を見た、知った人たちは思った。
「今の若者を鍛えるために、自衛隊に入れるべきだ」と。
その声は女性に多かった。

あれから3年。若者の間で自衛隊への入隊希望者は減っている。
あの時、自衛隊に助けられた人達は言う。「あの人たちが戦場に行くのは許せない」と。「もし、戦争で死んだら耐えられない」と。

お母さんの声だ。

安倍が提起し、議論を巻き起こした集団的自衛権。それをいささかでも学び、考えた若者は、“戦争に行く自衛隊”に疑問を抱くようになった。
自衛のための戦争では無く、先制攻撃に加わる可能性に。

自衛隊入隊をためらう若者が増えている。

それかあらぬか、いや、織り込み済みだったのだろう。想定内だったのだろう。

若者が熱中するAKB現象。そのAKBの女の子を使って自衛官募集のCMが出来た。7月1日を機に流されるらしい。流されているのかどうかは、テレビで見てはいないが。

自衛隊入隊を呼びかける封書が、高校生はじめ、若い男性がいる家に送られているという。
日本全国でだ。

一時、自衛隊入隊者は激減していた。地方連絡事務所というのが全国に作られ、そこを拠点に勧誘が行われていた。
時には「強引な手法」も伝えられていた。

地連事務所は、いつの間にか、地方協力本部と呼称が変わったらしい。勧誘の封書の差出者は地方協力本部となっている。

自衛隊員の多くは、そのための訓練は、戦争を想定した訓練は日々行っている。でも、武器を持って外地に行くことは、例えばイラク特措法の時のことは知っていても、殺すか、死ぬかの戦地に赴くことは想定外だったのだろう。

人を助けるための自衛隊には入りたい。殺す自衛隊は、殺される可能性がある自衛隊は嫌だ。そういう若い自衛隊員もいる。その命令を下すことを逡巡する上官もいる。

AKBのCMで入隊する人がどれだけいるのか。勧誘状を送られて、それに応じる人たちがどれだけいるのか。

多分、自衛隊員は減っていくだろう。自衛隊員が減る。それは、結果として、本当の意味での「自衛」がおろそかにされるということにならないのか。

自衛隊発足時、世間は「日陰者」扱いをした。それを払拭するために要された努力の数々。

仮に、集団的自衛権の行使が発動された時、そこに派遣されるであろう自衛隊員をなんと呼べばいいのか・・・。

もちろん、自民党の改憲草案では「国防軍」とその呼称すら変えることになっているが。

北朝鮮の軍事力としてのミサイル発射。拉致被害者の生存者リスト。制裁の解除・・・。

読み解くすべが見つからない。安倍が再三使用する母親と子供のパネル。絵柄は朝鮮半島を想像させるようなものであったのだが。そう見えたのだが。

2014年7月2日水曜日

「原発ゼロ」の夏

今日は暑い。さっき31度という数字を見た。
まだ、いや、あの日以来、冷房は使っていない。

もっか日本の原発は一機も稼働していない。原発エネルギーゼロなのだ。
伝えられるところでは、節電要請はあっても数値目標などは定めない。とりあえずこの夏の電力需要はまかなえるということらしい。
発電施設に、このまま何事も無ければ。

西の方では「不足」が心配されているという。そこへは東電が電力を融通するという。

日本の電力自給率は4%だといわれる。“資源”がないからだ。代替エネルギー論が盛んだ。太陽光・風力・地熱・・・。
確かに一酸化炭素は出さない、空気は汚さない、爆発もない。クリーンエネルギーだ。

でも、それですべてが解決するのか。太陽光パネルの寿命は。使えなくなったパネルの廃棄物としての処理は。誰も「解答」を持っていないはず。
風力発電。風が無い時は電気でモーターを回して、“景観”として、あの羽を回している。

これらのコストのことは言わない。カネを払えばいいだけの話だから。

そして、おそらく、これらの“業者”は儲かっている。

友人の農場経営者に持ち込まれた話の詳細を聞いた。彼の農場は、大げさだが広大だ。農家として生き延びりために、原発事故後、当時は600万円もした測定器を買い、線量を測り、あちこちで勉強に勉強を重ねて、「安心できる作物」を作り続けている。

彼は、結果、自然エネルギー装置の勧誘を断った。そこにはあからさまな「金儲け」のシステムが見てとれたから。
「やることは、出来ることは節電しかないのです。出来る限り電気を使わないようにすることなのです」。彼は僕にそう言った。
「家電製品を使うのを止めました。不便だけど」とも。


日本全国、とりわけ都会。そこの夜景は凄い。いや、日本だけではない。100万ドルの夜景を誇る国も含めて。

節電意識を持っている人も大勢いる。しかし、あらゆるところで、特に経済成長の指針となるところでは、それこそ「ジャブジャブ」と電気が使われている。

テレビのCMでは、省エネを唄いながらも、それを隠れ蓑にするかのようにして、高額な家電製品を買え、買えと迫る。
買い換えた家電、いらなくなった家電製品。その処分には大量の電力を必要とする。

原発が無くても過ごせる夏。いいことだ。そうあるべきだ。でも、それが「本物の姿」では無いとも思う。

去年まで、官邸前を取り囲んでいたのは「再稼働反対」のデモだった。それがバカ殿の“ご乱心”があって、「集団的自衛権行使反対」の声にとってかわった。

集団的自衛権の問題。改憲問題。たしかに安倍の悲願だ。しかし、彼の短絡的思考の中では、アンダーコントロールと言ってのけた福島原発、再稼働させなくてはならない原発。それへの反対運動を、どこかに「めくらまし」する必要があったのではないかと勝手に妄想する。

原発反対運動を改憲反対、戦争反対に転嫁させようとの目論見にも見える。

北朝鮮問題も、どこか、めくらましの延長戦上にあるように思えてならない。

目先のことに飛びつくマスコミ、メディアの習性を逆手にとっての。

原発は明白に国民の生命を脅かした急迫のことだ。
寓話ではあるが・・・。日本の自衛隊で個別的自衛権の中で収束を図ろうとした民主党政権。アメリカからの助け舟を、“集団的自衛権”を断った菅政権。

国を守る。その国を事故で危機に陥れた東電の当時の最高責任者、最高権力者。罪科無く、今は「海外」で優雅な老後を送っているとも聞く。その消息は誰も伝えない。追わない。

原発と自衛権の問題。まったく次元の違う話ではあるが、どこか、賛成・反対問題含め、“戦争”という括りの中で、同じ構造が見えてしまうのは、福島県在住者としての「ひがめ」か。

1F,そこは未だ戦場なのだ。そこで作業員という“兵士”が酷暑の中、働いている。戦っている。それだけは事実。

「原発ゼロ」の夏を手放しでは喜べない・・・。

2014年7月1日火曜日

7月の憂鬱な始まり

朝、犬の散歩。いつもと違うコースで初見の犬に出会う。飼い主のおじさんがいた。話好きだ。
「避難区域で保護された犬だ。保健所に保護されていたのを一年前にもらって来た」と。
やっと慣れたという。餌を食べるようになったという。ドッグフードは食べない。食べるのは米と野菜だとか。そうか、農家にいた犬なのかもしれない。

まだ保護されたままの犬は多いという。

最近見かけない近所の「キーウイー君」の所に回った。いない。お母さんが二回で洗濯物を干していた。声を掛けたら駆け下りてきて・・・
6月4日に亡くなったとのこと。しばらく前から弱っていたが、大好きなウッドデッキにあるソファで寝ていた。飲み会があったお父さんが帰ってきた。お父さんが声を掛けると尻尾を二回振って息絶えたという。帰りを待っていたんだなと。

近所の知り合いの犬が通りかかった。名前は「ピースくん」。どこか寂しげだった。

2014年7月1日の朝の光景。

去年とは違う憂鬱な7月が始まった。一部の物価が上がる。ガソリンも上がる。身の回りの憂鬱。

そして、この国のこと。集団的自衛権をめぐること。

昨夜は大勢の人が官邸前に詰めかけ、解釈改憲反対、平和憲法を守れ、安倍内閣打倒と叫んでいた。

官邸から公邸に移動する安倍の姿をカメラがとらえていた。賓客はブータンの首相。デモの声を耳にしながら安倍の顔には、それを睥睨するような薄笑い。
昼間見た安倍の姿。官邸内。彼の眼をいつも凝視することにしている。きのうの彼の眼には、鋭さがあった。それは“狂気”を内在しているようにも見えた。

1961年。安保改定。国会議事堂前にいた。今では想像もつかないような過激なデモ。こだまする「岸を倒せ」、「安保反対」のシュプレヒコール。
樺美智子さんが死んだ。全くのノンポリ学生は、小突かれ水を浴びせられ、騒乱の中の夜空を見ていた。

院内では見事なまでに醜い強行採決が行われていた。清瀬議長の入場を阻止しようとした野党の議員や秘書。機動隊導入が”決断“され、そう、その中には機動隊だけではなく松葉会のメンバーもいた。ごぼう抜きに排除され、抱えられて議場に入った議長はマイクにしがみついて可決を告げた。
採決に加わった自民党議員は233人。河野派、三木派の議員、もちろん野党議員も採決には加わらなかった。

国会前の、官邸前のデモはまったく穏やかなものになった。棍棒も放水車も無い。ジグザグ行進も無い。振り下ろされる警棒も無い。

きょう閣議決定される。集団的自衛権の限定的行使が。

彼らにとっては“快挙”であろう。僕にとっては“屈辱の日”となる。

地方議会が、閣議決定に異論を発する。意見書を採択する。青森市議会では党の決定に背いて、自己の意志として“反対”に回った議員がいる。

その地方議会の数は139議会に及ぶ。そこには残念と言うか、当然と言うか郡山市の名前は無い。福島であるのは南相馬市と石川町、そして三春町。
自由民権運動が盛んだったとされる歴史を持つ市や町。

その議会に対して、高村や菅は言う。一応安倍の側近とされている人達は。
「たとえ地方議会といえども、もっと勉強しないと」と。

やがて行使に向けた関連法案が国会に出る。そこで十分議論すればいいとくる。
論理のすり替えだ。「まだ議論が熟していない」という地方政治家への反論。
地方の議員だってもう十分に勉強している。なまじっかの国会議員よりも熟知している。

地方の出身者でありながら、地方を卑下するその高飛車な言辞。中央の言うことを聞けとする中央集権思想をそのまま押し付ける言辞。

もしかすると国会議員は“二重人格”なのかもしれない。そこに“生息”していた長い経験で、そのことを知っている。
そして祖父の時と同じような光景が、関連法案の採決でもあるのか。無いだろう。表のデモが穏やかになったように、院内の野党は、野党足り得てなにのだから。

今夜も抗議行動があるという。

夏の気配の7月のはじめ。なぜか、ほとほと憂鬱なのだ。キウーウイー君への手向けの花を求めていくつもり。ピースくん、また会おう。