「私はね、ずっと思っているのですが、原発事故を起こした責任の問題。誰も責任をとっていない。いや、責任というか、事故を発生させた責任者を、なんで刑事罰に問えないのかっていうことなんです。
刑事罰を科して当然でしょ。政府は電力事業者に一義的責任があると言ってほっかぶりの様だった。東京電力の刑事責任を問う法律は無い。おかしいですよ」。
40歳の彼は力説していた。職業は会計士。系譜を言えば、昭和の大物政治家の孫。
「祖父が生きてい居たらなんといったでしょうかね。どうしていたでしょうかね」。逆に問いかけられた。その祖父を知っているものの一人として。
原発事故避難による損害賠償は、訴訟も含め民事だ。金での解決。刑事告訴の動きはあったが不成立。
なにしろ、3年前、ゴルフ場が汚染された時、「無主物」なんて判断が示されているくらいだから。
法的に責任は問われていないということ。
事故後、国による経営管理がいわれて時も、国は拒否した。金だけ出した。形成責任を問われたくなかったからだろう。
鹿児島の川内原発再稼働。
規制委員会は、安全審査基準に適合しているかどうかを判断しただけ。再稼働を決めるのは政府だとする。
政府は地元の自治体の判断にゆだねるという。
自治体は事業者の判断だという。
事業者は規制委や国から“お墨付き”を貰ったという。
再稼働させて、仮に事故があった時の「責任」。それはうやむやのまま。
もし事故があれば、現場の作業員含め、住民の避難が必要になる。それは誰しもが認めている。
しかし、避難計画があるかどうか。それが実施可能なものかどうか。それは再稼働の「判断基準」に入っていない。
結論だけ言えば、福島の経験者から言えば、避難は不可能ってことだ。
それが一番重要なことであるにも関わらずだ。
避難しなかった人、避難出来なかった人にだけ「自己責任」が課せられる。
桜島がどうこうだけではない。他の要因だってある。テロだって十分有り得る。
それは1%の「リスク」かもしれない。「全くの安全」は何に於いても、何処に於いても存在しない。
99%の安全に寄るか。1%のリスクを危惧するか。
どこにも「責任」なるものが存在しない中、その「責任の所在」が無いということが分かった今でも、人はエネルギーを、電気を欲しがる。地元の経済、国の経済。
企業で「不祥事」が発生すれば、経営者はおおむね責任を負わされる。中には刑事告訴されて企業人もいる。
原発と言う巨大産業の中にはそれが無い。
「戦争責任」と合わせて語るつもりはないが。
原子力発電が始まったころ、一世を風靡していたのは「日本一の無責任男」。時代は「無責任時代」と言われていた。
その歌にもあったな。「わかっちゃいるけど、やめられね」。なんだい、時代は同じなんだ。「福島」ってなんだったのだい。
2014年7月17日木曜日
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