2014年7月27日日曜日

「福ケッチャーノ」のこと

郡山の開成山野球場の前に「福ケッチャーノ」というフレンチレストランがある。オープンしたのは今年の3月頃だったか。
一風変わった店だ。トレーラーハウスなのだ。
山形県の鶴岡で「アル・メッチャーノ」というイタリアン料理の店をやっている奥田政行というシェフが“悲願”として出した店だとか。

店の料理人、スタッフは全員が福島県出身。郡山にある日本調理技術専門学校の卒業生。山形などに行き、奥田シェフのもとで修行してきた人たちだという。

そして、そこで使われている食材、特に野菜はほとんどすべてが郡山の農業者が生産したもの。鈴木光一君と言う農家が毎日のように食材を運んでくる。


日本の農業人口は約239万人だという。そしてそれは毎年減っている。国の人口減と歩調を合わせるように。
毎年、離農者は10万人という話も聞く。全体的に見て、農家をやっているのは高齢者だ。50歳以下の農家は40万人に満たないという。

「農への回帰」が言われる。農家を継ぐために故郷に帰る若者の話題も聞く。しかし、それはわずかの数なのだ。

漁師の数も減っている。50歳以下の漁業従事者は20万人に満たないという。

農林水産業。第一次産業。明らかに衰退している。
それに拍車をかけたのが「3・11」だ。「原発事故」だ。

かたや、調理師は増え続けているという。25万人いるとも聞く。シェフに憧れる若者は多い。食材をおいしく料理する人の社会的評価は高い。人気がある。
その食材を作る人、生産者の社会的評価は、必ずしも高くない。

食の需要と供給といえばいいのか。どこか「ミスマッチ」の様相がある。それを「マッチング」させようとしているのが、奥田政行という人の思想ではないのかと思う。

彼の店では、福ケッチャーノでは、生産者も料理人も“同格”だ。いや、むしろ生産者の方が敬われているような気がする。

「食」をめぐる生産者と消費者の関係。

第一次産業従事者の質、日本は極めて高い。創意工夫が生み出している食材。しかし、その「価値」が正当に評価されているのかどうかという問題。

また、奥田シェフを引き合いに出すが、彼は「食」を通して、被災地の“復興”の一助としたいと考えているとも聞いた。

東北には、古くからの土着信仰として「マレビト」思想と言うのがある。「客人」と書いてマレビトと読む。遠野物語の柳田国男と交友のあった折口信夫が言った“思想”。
あの世から戻ってきた人を本来はさすのだが、客をもてなすことへとつながっていく。客人には、朝採れたての野菜を供する。魚も卵も。
「お・も・て・な・し」ではない。「もてなし」だ。

3年前、ある著名なジャーナリストが郡山に来て、放射能汚染の苦悩を伝える農家の人たちと話し合いをして行った。
「生産者と消費者が一堂に会して話し合うのが重要だ」との“提案”をしていた。風評被害なるものが横行していた時期。でも、彼の“構想”は実現しなかった。

食べ物は外国から、産業は外国へ。そんな風潮が日本を覆っているのかもしれない。経済成長の“理論”として。
食品を外国に依存する。もし、“兵糧攻め”にあったらこの国の食はどうなる・・・。

映画「無人地帯」にあったナレーションスーパーの一行。
「日本は侍の国ではない、農民の国だったのだ」。

だから、我々は「3・11」から学ぶことが多いのだ。

福ケッチャーノという店の在り様は、そのことを「実践」の場にしているような気がして。

奥田シェフの本拠地、山形の「アル・ケッチャーノ」というイタリアンレストラン。その名前はイタリヤ語では無い。「あそこにいい店があったよな・・・」そんな庄内弁、方言をもじったものだとか。

過日書いた「人間は食べなければ生きていけない」の続編として。

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