2014年7月4日金曜日

見果てぬ夢としての「違憲立法審査権」

違憲立法審査権、それは、憲法に書かれていることであり、各種の法律や法令が、憲法の条項や精神に違反していないかどうかを審査することであり、その権限は最高裁が有している。

未だ、日本では、それが俎上にあがり、審査されたことは無いはずだが。

この事、3年前に時々書いた。
憲法25条のことだ。
「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」というくだり。

3・11後、すべてではないが、一部の国民、一部だってすべてに包含される。
その国民が自分の意志に反して「健康で文化的な最低限度の生活を営む」ことが出来なくなったこと。

状態としては明らかに憲法の条項に背いている。

しかし、新たな立法がされたわけではなく、理論上は違憲立法審査にはなじまない。それはわかっているが、その不条理を問い質したかったから。

集団的自衛権の行使。それは閣議決定だけでなされるものではない。来年にかけた国会に提出されてくる自衛隊法の改正含めた10本以上の法律。それが成立しないと“行使”は出来ない。

閣議決定をもってして、違憲確認訴訟を起こそうという動きがあるとも聞く。

だけで「違憲」を司法に問うのは関連法が成立してからではないかとも。

そういう「かすかな望み」は無きにしも非ずだ。だが、最高裁がそれを受理するか、判断を下すか。多分、答えはノーだ。馴染まないの一言で退けられるだろう。

三権分立をされている。相互不可侵とされ、個別の権とされている。建前は。
実際は、立法府の長は、選挙後の「人事」の一環として取り扱われる。
議長は「いっちょあがり」って位置づけでしかない。

最高裁長官は内閣の指名に基づき、天皇が任命するとされている。人事権は総理大臣にあるということ。

すでにして安倍は最高裁人事にも平然として介入してきている。

最高裁が首相の、内閣の意に反した判断を示すことは不可能に近いのだ。
選挙制度の問題だって、「違憲状態」どまりなのだ。

総選挙時、最高裁判事の「国民審査」というのがある。丸かバツかの。国民は真面目に判断しようが無い。形骸化した国民審査。

法の番人とされた内閣法制局。そこも安倍が手を突っ込んで骨抜きにしてしまった。

「最高権力者は私だ」。そう、その通りなのだ。三権は安倍の意向のままに操られているという構図。

だけど、この「違憲立法審査」というのを使わない手は無い。たとえそれが「見果てぬ夢」に終わろうとも。
事の次第によっては司法の根幹をゆるがすようなことになる可能性だってあるのだから。

法の在り方として、それが出来ないってことは無いのだから。それは法に精通した弁護士や、それを支持する国民の意志におうところも大ではあるが。

三権全部を巻き込んだ問題としてもいいはずだ。そんなことすら思ってみたりする・・・。気骨ある最高裁判事がいることを期待したいとも。

もちろん、それは「長期戦」になるのは間違いないが・・・。

あれから数日。すでに世間の耳目は「北朝鮮問題」にすり替わっている。

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