2014年7月2日水曜日

「原発ゼロ」の夏

今日は暑い。さっき31度という数字を見た。
まだ、いや、あの日以来、冷房は使っていない。

もっか日本の原発は一機も稼働していない。原発エネルギーゼロなのだ。
伝えられるところでは、節電要請はあっても数値目標などは定めない。とりあえずこの夏の電力需要はまかなえるということらしい。
発電施設に、このまま何事も無ければ。

西の方では「不足」が心配されているという。そこへは東電が電力を融通するという。

日本の電力自給率は4%だといわれる。“資源”がないからだ。代替エネルギー論が盛んだ。太陽光・風力・地熱・・・。
確かに一酸化炭素は出さない、空気は汚さない、爆発もない。クリーンエネルギーだ。

でも、それですべてが解決するのか。太陽光パネルの寿命は。使えなくなったパネルの廃棄物としての処理は。誰も「解答」を持っていないはず。
風力発電。風が無い時は電気でモーターを回して、“景観”として、あの羽を回している。

これらのコストのことは言わない。カネを払えばいいだけの話だから。

そして、おそらく、これらの“業者”は儲かっている。

友人の農場経営者に持ち込まれた話の詳細を聞いた。彼の農場は、大げさだが広大だ。農家として生き延びりために、原発事故後、当時は600万円もした測定器を買い、線量を測り、あちこちで勉強に勉強を重ねて、「安心できる作物」を作り続けている。

彼は、結果、自然エネルギー装置の勧誘を断った。そこにはあからさまな「金儲け」のシステムが見てとれたから。
「やることは、出来ることは節電しかないのです。出来る限り電気を使わないようにすることなのです」。彼は僕にそう言った。
「家電製品を使うのを止めました。不便だけど」とも。


日本全国、とりわけ都会。そこの夜景は凄い。いや、日本だけではない。100万ドルの夜景を誇る国も含めて。

節電意識を持っている人も大勢いる。しかし、あらゆるところで、特に経済成長の指針となるところでは、それこそ「ジャブジャブ」と電気が使われている。

テレビのCMでは、省エネを唄いながらも、それを隠れ蓑にするかのようにして、高額な家電製品を買え、買えと迫る。
買い換えた家電、いらなくなった家電製品。その処分には大量の電力を必要とする。

原発が無くても過ごせる夏。いいことだ。そうあるべきだ。でも、それが「本物の姿」では無いとも思う。

去年まで、官邸前を取り囲んでいたのは「再稼働反対」のデモだった。それがバカ殿の“ご乱心”があって、「集団的自衛権行使反対」の声にとってかわった。

集団的自衛権の問題。改憲問題。たしかに安倍の悲願だ。しかし、彼の短絡的思考の中では、アンダーコントロールと言ってのけた福島原発、再稼働させなくてはならない原発。それへの反対運動を、どこかに「めくらまし」する必要があったのではないかと勝手に妄想する。

原発反対運動を改憲反対、戦争反対に転嫁させようとの目論見にも見える。

北朝鮮問題も、どこか、めくらましの延長戦上にあるように思えてならない。

目先のことに飛びつくマスコミ、メディアの習性を逆手にとっての。

原発は明白に国民の生命を脅かした急迫のことだ。
寓話ではあるが・・・。日本の自衛隊で個別的自衛権の中で収束を図ろうとした民主党政権。アメリカからの助け舟を、“集団的自衛権”を断った菅政権。

国を守る。その国を事故で危機に陥れた東電の当時の最高責任者、最高権力者。罪科無く、今は「海外」で優雅な老後を送っているとも聞く。その消息は誰も伝えない。追わない。

原発と自衛権の問題。まったく次元の違う話ではあるが、どこか、賛成・反対問題含め、“戦争”という括りの中で、同じ構造が見えてしまうのは、福島県在住者としての「ひがめ」か。

1F,そこは未だ戦場なのだ。そこで作業員という“兵士”が酷暑の中、働いている。戦っている。それだけは事実。

「原発ゼロ」の夏を手放しでは喜べない・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...