2014年7月3日木曜日

・・・結果、「自衛」はおろそかになる

思い出して欲しい。東日本大震災の後、被災地には多くの自衛隊員が派遣された。自衛隊員は自国民を守るために、寝食を忘れて救援活動に、支援に奔走した。

皆、自衛隊に感謝し、涙を流して礼を言った。自衛隊員は多くの命を救った。瓦礫の中から、孤立した避難場から。

そこには“敵”はいなかった。少なくとも武力攻撃を仕掛けてくる敵は。

自衛隊員は、己に課せられた使命を自覚し、行動し、全うした。

原発事故現場にも自衛隊員は向かった。放水に飛散した瓦礫の撤去に身を挺して闘った。そこには“放射能”という敵があった。

原発避難民の搬送、除染、給水。避難所に作った風呂。

「自衛隊さん」と、皆、敬称を付けて彼らを称賛した。

被災地の子供たちは、いや、日本国中からも、将来の選択として「自衛隊」と言った若者が多かった。親もそれに賛意した。

自衛隊に対しておぼろげながら抱いていた感情、それを一挙に払拭したのがあの大震災だった。

被災地で活躍する自衛隊員の姿を見た、知った人たちは思った。
「今の若者を鍛えるために、自衛隊に入れるべきだ」と。
その声は女性に多かった。

あれから3年。若者の間で自衛隊への入隊希望者は減っている。
あの時、自衛隊に助けられた人達は言う。「あの人たちが戦場に行くのは許せない」と。「もし、戦争で死んだら耐えられない」と。

お母さんの声だ。

安倍が提起し、議論を巻き起こした集団的自衛権。それをいささかでも学び、考えた若者は、“戦争に行く自衛隊”に疑問を抱くようになった。
自衛のための戦争では無く、先制攻撃に加わる可能性に。

自衛隊入隊をためらう若者が増えている。

それかあらぬか、いや、織り込み済みだったのだろう。想定内だったのだろう。

若者が熱中するAKB現象。そのAKBの女の子を使って自衛官募集のCMが出来た。7月1日を機に流されるらしい。流されているのかどうかは、テレビで見てはいないが。

自衛隊入隊を呼びかける封書が、高校生はじめ、若い男性がいる家に送られているという。
日本全国でだ。

一時、自衛隊入隊者は激減していた。地方連絡事務所というのが全国に作られ、そこを拠点に勧誘が行われていた。
時には「強引な手法」も伝えられていた。

地連事務所は、いつの間にか、地方協力本部と呼称が変わったらしい。勧誘の封書の差出者は地方協力本部となっている。

自衛隊員の多くは、そのための訓練は、戦争を想定した訓練は日々行っている。でも、武器を持って外地に行くことは、例えばイラク特措法の時のことは知っていても、殺すか、死ぬかの戦地に赴くことは想定外だったのだろう。

人を助けるための自衛隊には入りたい。殺す自衛隊は、殺される可能性がある自衛隊は嫌だ。そういう若い自衛隊員もいる。その命令を下すことを逡巡する上官もいる。

AKBのCMで入隊する人がどれだけいるのか。勧誘状を送られて、それに応じる人たちがどれだけいるのか。

多分、自衛隊員は減っていくだろう。自衛隊員が減る。それは、結果として、本当の意味での「自衛」がおろそかにされるということにならないのか。

自衛隊発足時、世間は「日陰者」扱いをした。それを払拭するために要された努力の数々。

仮に、集団的自衛権の行使が発動された時、そこに派遣されるであろう自衛隊員をなんと呼べばいいのか・・・。

もちろん、自民党の改憲草案では「国防軍」とその呼称すら変えることになっているが。

北朝鮮の軍事力としてのミサイル発射。拉致被害者の生存者リスト。制裁の解除・・・。

読み解くすべが見つからない。安倍が再三使用する母親と子供のパネル。絵柄は朝鮮半島を想像させるようなものであったのだが。そう見えたのだが。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...