あれから3年4か月ということになる。
7月11日。セブンイレブンの日では無い。
3年4か月。「3・11」。それはまさに“くびき”のように、そこから逃れられない。逃れてはいけない。そう思っている。
気候のせいもあるかもしれない。重い日の朝だった。
世の中の関心は、もはや別のところに行っているかもしれない。
さまざまな出来事、そこに向けられる目線。それは「福島」を過去のもの、遠いものにしているとあらためて感じる。
嬉しいことがあった。仮設に暮らす川内村のばあちゃんが我が家を訪ねてきてくれた。何回も書いた人。その人を通して知る川内村。
律儀な人だ。どうも季節のご挨拶ということらしい。
このところしばらくご無沙汰状態になっていた。気にはなり案じていたがいたってお元気だった。頼りになる娘さんが一緒に。その娘さんがいるから、その娘さんにかまけての無沙汰と言う言い訳もある。
ばあちゃんにこっちが励まされいる。立場は逆なのに。鬱々とした気分をばあちゃんの大声と笑顔が励ましてくれる。
3年前のあの頃、コートに熱い握り飯を持って行った時、「このご恩は決して忘れない」と言われた。そしてそれを実行してくれている。
わが身を恥じるとこ大なのだ。
「あの頃が懐かしいな」と言い合う。感じ方は違うだろうが、同じ「空気」を一緒に吸っていたということ。
「3・11」があって出来たご縁。人と人とのつながり。
なんか、すごく、「近しい人」に感じるのだ。うれしいのだ。
今、川内村は「帰還、帰村問題」を巡って揺れている。
他の者が語り得ない、そこに居た人たちの心情。
「とにかく仮設から出されるまではこっちにいるさ。帰ったって何にも無いし」。
1年後、なるようにしかならないと腹をくくっているような。
娘さんは別の場所での借り上げ暮らし。家族もいる。
「台風が来るって言われて怖かったよ。風が吹いたら仮設なんか吹っ飛んでしまうだろうし」。「ま、その時は瀬川さんの家にいけばいいと思っていたから安心だったけど」。
嬉しいのだ。
元気そうだけど足腰はだいぶ弱っている様子だ。しかし、どこかに「強さ」がある。
「孫もいれば、玄孫もいるからな。まだまだだ」。
助けるべき人にこっちが助けられている。励まされている・・・。元気をもらっている・・・。
3年前の7月。国中が女子サッカーの「なでしこ」に沸いていた。なでしこの活躍に力を、元気を貰ったと被災地に人たちは言っていた。
あのおバカな菅直人は「無私」という字をノートのあちこちに書いていたと、後日側近が明かしていた。
まだ避難所に居た時、風呂に誘った。「自衛隊さんのお風呂が一番いいや」って言っていた。
仮設でご主人を亡くした。
とにかく、そんな人と出来た「かかわり」。大きな財産かもしれない。
まもなくあの時間がくる。
なんか数時間、仮設のことを考えていた。だからどうなったわけでも無いが、それとても11日には許される、いや、そうすべき日にちかと。
台風は去った。各地に大きな爪痕を残して。蒸し暑い。仮設はもっと暑かろう。エアコンはなるべく使わないとも言う。からだに悪いからと。
昨日から明日への通過点としてのきょう11日。毎月くる11日。
思うことしかできない日・・・。
2014年7月11日金曜日
“チェルノブイリ”異聞
ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...
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新しい年となった。雪の中だ。 良寛の詩作を引く。「草庵雪夜作」の題名。 回首七十有餘年 首 ( こうべ ) を回(めぐ)らせば七十有餘年 人間是非飽看破 人間の是非看破(かんぱ)に飽きたり 往来跡幽深夜雪 ...
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そう、あれは6月の初めだったか。 急に視力が悪く、パソコンの画面が見え難くなった。 脳梗塞で入院した時、最初に診察してくれた当直の麻酔科の医師が「白内障が出てます。手術した方がいいですよ」と教えてくれていた。 その後転倒して、それも二回。 CT 検...