2014年7月18日金曜日
結界としての「0,23」という数字
「結界」という仏教用語を、一つのアイロニーとして使うのはいかがかとは思うが・・・。区別、識別、判断基準とでも解していただきたい。
預託実効線量、毎時0,23μシーベルト。年間1ミリシーベルト。
国際放射線防護委員会、ICRPの基準を遠用して、いつの間にか、国が決めた基準。
「0, 23」という数字が、それ以上なら、それ以下ならどうなるのか。
誰もはっきりわかっていないのに。
毎時0,23μが、あらゆることの判断基準になった。それを見直す、例えばその年間1ミリを2ミリに引きあげようという動きもあるが、たぶん、それはもう納得されないだろう。
先日のWBCの検査。「検出限界値はいくらか」と担当の人に聞いてみた。
「250㏃です」という。じゃ、それのシーベルト換算はと聞く。はっきり答えない。
届いた結果通知は「検出されず」だけ。つまり毎時「0,23以下」だったということなのだろう。1㎏あたり、250㏃以下だったということなのだろう。
除染の基準も同じだ。空間線量や地表の線量測っての基準が「0,23」。
この数字が、除染を中心にした「帰還問題」をも左右する。
なんか、「数字の魔界」に住んでいるような。
南相馬の水田に1Fの瓦礫撤去作業の影響によって、この基準値の6倍を超える放射線が飛散し、稲が被害を受けたという。「健康被害」という観点から、それがどれくらいに意味を持ってくるのか。
片や、県立医大などでの検査では、受診した3万622人のうち、体重1キロ当たり50ベクレル以上のセシウム137が検出されたのは0・03%に当たる9人。慢性的な内部被ばくは、ほとんどの住民で低く抑えられていたという。
何がなんだかさっぱりわからない。
ただ、ただ、「0,23」という数字に“支配”され、それで多くの事が語られているということ。
シーベルトにしても、ベクレルにしても、それが「永遠のゼロ」では無いということ。
冗談かどうか知らないが、一時、ネットで話題にされていた「ゼロベクレル食堂」。結局あれって何だんたのか。
数字を気にしていても始まらない。しかし、数字を無視する訳にもいかない。
1Fの瓦礫からは、さらに「放出」の可能性は大だ。
そして、それがどこに行くか。風任せっていうこと。
ベクレルとシーベルトの換算式はある。だけど空間線量と食品などによる“内部被ばく”はその意味合いを異にする。
うまく意を尽くせないが、とにかく「厄介」なことが続いているってことだけは間違い無い。
「0, 23」に“縛られる”ことが無くなる日がくることって有るのかな・・。
「0,23」という数字は、やはり意識の中の“結界”ということなのだろうか。
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