イスラエルのガザへの攻撃。ハマスの反撃。多くの犠牲者は子供たちだ。
世界は「戦争」という実態を大きくとも小さくとも抱え、向き合っている。
「戦争」という言葉が使われ、考えさせられている。
戦争で犠牲になるのは常に弱者だ。子どもだ。
だれも、どの国も止められないのだろうか。戦争が起きる“理屈”はわかっていても、感情がそれを許さない。
なぜなら・・・戦争体験者の端くれだから。
世界の警察官を自認していたアメリカも手をこまねいている。常に自国の利益を優先させる。
大げさかもしれないが、この21世紀の地球は、国と国との戦争に始まり、同じ国の中にあっても、それぞれに言い分はあろうと戦争に支配されている。
マレーシア航空機がミサイルで撃墜された。ウクライナ紛争の影響だ。
その飛行機の残骸から、犠牲者の持ち物が親ロシア派の兵士によって持ち去られる。遺体はどこかに運ばれてしまう。死者への尊厳は存在しない。
ブラックボックスはマレーシアに引き渡された。その経緯、そしてその中がどうなっているのか、“ブラックボックス”だということ。
だれもこの愚挙、暴挙、許されざる行為を止められないのか。
いったいロシアっていう国はなんという国なのか。いまだ、あの大陸にあって覇権を行使できる国だと思っているのか。
日本政府のスタンスも不明だ。何も言わないに等しい。
昔、戦争にかかわる本をずいぶん読んだ。その本の多くは戦争を体験した、実際に戦地に兵士として行っていた人たちが書いた本だ。
たとえば、五味川純平の「人間の条件」、「戦争と人間」。何部にもわたる本だった。
戦争と人間では、ロシア軍の満州侵攻の模様が書かれている。
満州から帰国した人たちの話をよく聞いた。中学の同級生にもいた。
ロシア軍の“恐ろしさ”を語っていた。
戦争を知らない世代が書いた戦争小説。浅田次郎の「終わらざる夏」。ヤルタ協定を受け入れたのに、樺太で多くの日本人を殺したロシア。
ヤルタ協定に突然参加していたスターリン。それを知らなかった当時の日本政府の在り様。
戦争史を語るつもりでは無い。戦地では多くの兵士が死んだ。民間人も犠牲になった。沖縄戦でもそうだった。ということだけ。
戦争はだめなんだ。犠牲になるのは子供なのだ。多くの場合。
国家と国家の間で、その理由が何があろうとも、争いになれば、悲惨な出来事があれば、犠牲になるのは常に「弱い立場のもの」だということ。
戦争で金儲けする奴らもいる。戦争を望む奴らだっている。
原発事故だって、結局、犠牲者になったのは弱者なのだ。被ばくの影響を受けやすいのは子供なのだ。行動を束縛され、子どもが子どもとして育つ環境の是非が言われる。
夏休み。「保養」に行く子も多いだろう。
なんか、戦時中の「学童疎開」という言葉が浮かんできてしまうのだ。
同じ光景なのだ。
弱者の犠牲に上に、強者の戦争の論理、経済の論理が成り立っている。
「集団的自衛権」が即「戦争」と言うことにはならない。それはあまりにも単略思考だ。しかし、その可能性はあり得るということ。
戦争とは学者や法律家が難しい言葉で語ることではない。
権力を誇示したい、権力にすり寄りたいとする政治家が語ることでもない。
戦争を語るのは一国民であり、一市民が語るべきことなのだ。なぜなら、一番の当事者となり犠牲者になる人なのだから。
今、戦争を語る人たちは「戦争文学」を読むべきだと思う。戦記ではなく戦争そのものを書いた本を。
もう一度、五味川純平を読みたくなった。「戦争は人類に対する犯罪」だと書いていたはずだから。探したが書棚に無い。散逸してしまったようだ。本屋に聞くつもりだ。あるかないか。
ただ、それを読み切る体力、気力が有りや無しや。そのために許された時間を持っているのかどうか。
2014年7月22日火曜日
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