2014年7月24日木曜日

人間、食べずには生きていけない

日本の食糧自給率は平成になってから、おおむね40%くらいだと言う。
残り60%は、食材も加工品も含めて輸入に頼っているということなのだ。

ある時代から、東北は「穀倉地帯」と言われ、日本人の食をまかなう「供給基地」とされてきた。
歴史をちょっと振り返れば、明治以前の天明、天保の飢饉もあった。昭和になっても大飢饉が発生していた。それは恐慌の発端ともなり、「コメよこせ運動」などの社会的事件を引き起こしもした。

かつて「猫の目農政」という言葉があった。食糧の増産を言うかと思えば、減反を強いる。

「3・11」は、日本の第一次産業の在り方に大きな影響を与えたはずだ。
三陸の漁業は60%方”復活”したという。米は・・・。

「食の安全」ということが言われて久しい。

昔、外国に行くとき必ず言われたこと。現地の水を飲むな。フランスではエビアンという硬水のペットボトルだけを飲まされていた。

食の安全が言われ、それにかなり神経質になっている。都会では常に食料は満ち足りていて、しかも「美味しいもの」が求められている。
山海の珍味を、貪り食っている。

自給率40%のなかで、その胃の腑をまかなうために外国からいろんあ食糧、食材が持ち込まれる。

ここ数日の中国上海での”腐った牛肉”事件。マクドナルドやファミリーマートに飛び火している。

量だけの問題ではない。コストの問題もあろう。もしかしたら、この一件、氷山の一角なのかもしれない。

原発事故。放射能汚染は、”穀倉地帯”をもろに襲った。風評被害がどうだ、こうだと言ってる場合じゃないのかもしれない。

1Fの撤去瓦礫から飛散した放射能。1兆㏃を超える値だという。

「コメの循環運動」。人はコメを食べる、コメを食べねば生きていけない。コメとはさまざまな農作物の表象的言葉だ。
人間はコメを食べて糞を出す。糞はまた、あらたな作物を生む。食べるということは人間が生きていくうえでの”循環作用”。

福島のコメは、食材は、いまだ厭われる。食の安全という考えから。
それを厭う人達が、有り余る食べ物の中で摂っているもの。輸入されてもの。

「コメとは人間そのものだ」。「食とは人間や動植物の”親”なのだ。」。コメの精が満ちて食に耐えられるようになるのだ。

放射能汚染とは、たんなる”被ばく”だけの問題ではない。コメ、すなわち、人間とすれば、人間そのものの価値すら否定したことになるのだ。
「自然」ということに視点を置けば。

とにかく、40%の自給率。胃の腑を満たすためには、外国に頼らざるを得ないという「第一次産業」の現実。

漁業にしても農林業にしても、その就労人口は減っていく。高齢者がその主役。
なかなか若年層の後継者は生まれない。

食の安全。それは、中国の企業のモラルを追求して済むだけのことではない。

”異常気象”が言われている。思い過ごしであればいいが、それが「大飢饉」を生まないという保証はどこにも無い。

食の確保、食の安全。生きるための最大課題。

自給率40%の国の食糧問題。食の安全を脅かす事件があるたびに、それを契機に考えるべきことなのだと。

自分が田畑を耕しているわけではないが。「穀倉地帯」と言われた東北を考えなおしてもらう時代だと思うのだけど。

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