2014年7月26日土曜日

「約束の地」

神がユダヤの民に与えたものに「約束の地」がある。聖書では、それは「カナン」というヨルダン川の流域。イスラエル人はエルサレムをそう呼ぶ。
パレスチナ人にとっての約束の地は・・・。ガザだったのだろうか・・・。
ガザは単なる入植地ではなかったのか。


“約束の地”で、おおよそ神の意志に背くような殺戮行為が繰り返されている。
多くの人が、子どもが亡くなる。

あの近代兵器としての強力な武器を神は与えたのだろうか。プロメテウスに火を与えたように。

イスラム教徒にとって約束の地はあるのだろうか・・・。

約束の地。それは、そこに住むことになった地なのかもしれないと思う。
そこで生まれ、そこで育ち、家庭を持ち・・・。

その地に住むことになったのは、その人それぞれの事情があろう。その家それぞれの歴史があろう。

約束の地は安住の地でもなければ、定着できる土地でもなかった。「約束の地」とは、追われる地かもしれない。

中間貯蔵施設建設の候補地とされている大熊。双葉。そこに居た人たちは「約束の地」を追われることになっていた、流浪の民となることを約束されていた人たちなのかもしれない。

5年も前か。作家の村上春樹がエルサレムで行った「演説」。壁と卵のはなし。
卵の側に立つという作家に共感したことを、そのころの、このからから亭でも書いた。
その「論」が、いま、また蘇ってくるようだ。

中間貯蔵施設。その建設予定地を国が買い取るか、借り上げるか。買い取られて「国有地」となれば、そこは最終処分場になると住民は危惧する。実際問題、30年後には「そうなる」という実像は見えていても。国は折衷案もどきを出す。地上権は住民に与えると。

30年後「強制収用」してしまえばそれまでのこと。その頃は、文書や記録として“中間”は残っているだろうが、その任に当たる人にとっては過去の古証文なのかもしれないし。

孫子の代に残すはずの地だとしても、その孫子はそれを求めるかどうか・・・。

貯蔵施設の周りには、巨大な壁がはりめぐされるだろう。その壁に向かっての「卵」は存在するのか。

女のいない男たちを書いている場合じゃ無いよ春樹さん。とも言いたい。新たな「卵」論を述べる時ではないのかとも。

福島はぼくにとって「約束の地」だったのだろうか。
大阪、姫路、東京、福島。遍歴の地。

終焉の地として「福島」は僕に約束されていたところなのだろうか。無意識、無感覚の中で、「そうだった」のかもしれない。「用意されていた場所」なのかもしれない。

いわばデラシネの民、エトランジェとしての福島。そこは、やはり本人の意志とは無関係に「用意されていた土地」なのかもしれない。
だとすれば、それに拘るのしかないのだ。「故郷論としての福島」は全く持たない身ではあるが。

さてさて、今日の「約束の場所」に向かう。約束の相手は、郡山生まれ、郡山育ち。終焉の地を東京と決めた、元外交官、元東宮大夫。
必定、話題は「イスラエル」となろうか。

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