私は喫煙者です。紆余曲折ありましたが、結局たばこを吸っている意志薄弱者です。喫煙と言う反社会的行為をしているものであります。
きょうも暑いです。周りに熱中症で入院した人もいます。外出できない人もいます。熱中症にかかったというひとも大勢います。
今日は、熱中症寸前といった自覚症状ありです。
だからって、天に唾してもはじまらない。暑いのは当たり前と開き直るしかないような。
で、開き直りというか、自己弁護というか、煙草について毒を吐きます。それは嫌煙者、禁煙者を責めるものでは決した無く、たばこ文化論をいうものではなく、煙草全盛期の昔語りをするものではありませんが。
朝日新聞のきょうの県版。第2福島版。
記事の見出し。列挙します。
「全面禁煙の飲食店、東北なぜ少ない」「喫煙者多く、消極的?」「人間関係優先し寛容」「受動喫煙対策店任せ」。
リード。
春に東京から仙台に転勤し、たばこを吸うことができる飲食店の多さが気になった。調べてみると東北全体の課題のようだ。なぜ、東北では、他人のたばこの煙を吸わされる受動喫煙への対策が不十分なのか。
中林加南子という女性記者の記事。この見出しとリード読んだだけで、瞬間的に思う「東北蔑視」の思考。そう感じる方がおかしいのかもしれませんが。
何も、東京から仙台に来て気になったなんてその優越感ぶりが気に入らない。
「飲食店検索サイト“ぐるなび”によると、全面禁煙をうたう登録店の割合は宮城県は29位、これでも東北では多い方で、ほかの5県はワースト10に入る」ときたもんだ。
店の数と喫煙者の数は比例するのかな。
それは書かれていません。店の話とそれに絡めた風土の話しです。
煙草飲みの言い訳かもしれません。勝手な言い分ですが。
2011年3月11日。それの二週間くらい前から、一か月かけての禁煙治療をやっていました。
COPDと診断され、右肺中葉切除の経験あり、なにより値上げもあって、医師からの強力な勧めもあって。
「チャンピクス」という薬を飲みながらの禁煙。最初は吸ってよし。だんだん吸いたくなくなる。もちろん本人の意思が一番なのでしょうが。
多少本数が少なくなってきているところでのあの大地震。とにかく家に飛んで帰っての惨状。
どうする。
まずは気持ちを落ち着けて。
おもわず煙草に手が出るという喫煙者の悲しい性だったのです。
翌週が薬の切れる日。病院は本館半壊状態。ロービーで処方箋だけ発行業務とのこと。薬を貰いに行きました。
人で賑わっていた病院。それがロビーに数人の医師と看護師、事務だけの閑散とした光景。
病院を出た途端、また煙草に手が出ていました。
テレビが伝える惨状。原発の爆発、避難者・・・。家の修復、片付け。発行するという月刊誌の原稿など・・・。煙草の本数は増えました。いや、元にほぼ戻りました。
次の診察日。医師にその旨いいました。
「同じような患者さんが多いです。辞められた人も復活した人、ずいぶんいるようです」とのお話。
卑怯なようですが、「3・11」が無ければ辞められていたかもしれない・・・。
連日通った避難所。そこで交流が深まったのは、煙草のやりとりでした。表で煙草を吸いながら交わす会話で、お互いが打ち解けて行った・・・。
記事にはさらにこうあります。
「しかも東北は喫煙者の割合が多い。東北大の教授はこう指摘する。“たばこの害への認識が足りない”と。正しい禁煙教育を受けた若い世代が多い職場では受動喫煙への意識が高い。年齢層が高めの人が多い東北の職場では意識が低いとみる」。
つまり、東北では正しい教育を受けた人がいないということか。
「さらに、喫煙者に対する寛容な風土もあるという。東北では人と人との関係性を優先する気持ちが強く、自分は吸わなくても吸わせてあげたいと感がえる人が多いという」と大学の先生の言を借りて書く。
この東北の風土を悪くとるか良くとるかだ。人と人との関係性を重要視するから「助け合い」があったのではないかとも思っているのです。
そして結び。「本来は国が規制すべき話だ」と。なんでも国という強権力の「規制」を、行使を良しとしないはずの朝日新聞なのにとも。
今でも、海に出られない漁師は、海を見ながらぽつねんと煙草をくゆらしています。もちろんそこには受動喫煙の問題はないけれど。
かつて東北の農村では煙草耕作が大きな産業でした。たばこ農家と東北は切っても切れない関係にあったのです。それが習俗として残っているってことがあるのかもしれませんし。
禁煙の方がいろんな意味で、健康にも社会的にもいいに決まっています。だからハンシャなのです。
吸わない方ごめんなさい。禁煙に努力せよと医者から言われている“隠れ脳梗塞”患者の、新聞記事を見ての違和感です。
ちなみに仙台支局の記者が仙台で取材したり思ったりした記事。東北の他県の県版を見ても、もちろん宮城県版にも載っていなかったのはどうしてでしょうか。
東北は遅れた地域でも劣った地域でもない。なんか東京人が東北を見る目に共通したものを感じてしまったので。
おやかましゅうございました。
2014年7月30日水曜日
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