2014年7月7日月曜日

「田中政治」と“再会”する日

まいったな・・・雨なんだよな・・・。今日はこれから東京へ行く・・・。
七夕会という集まりに出席するために。毎年一回、男同士の再会。およそ「七夕さま」、「牽牛と織女」の昔話には似合わない集まり。

1972年、昭和47年7月7日。田中角栄内閣が発足した。それと同時に、それまで彼を毎日追いかけまわしていた記者たちは“解散”した。

競争相手であった者たちだが、どこか「同志」のような感情がある。記者と、当時の秘書官、外務、通産から“出向”していた元官僚も集まる。

政治の世界に一時身を置いていただけの年寄たちの集まり。昔語りにふける会。

たぶん、政治のことが話題の大半を占めるだろう。内容は見えている。「政治の劣化」を嘆くだけってこと。

全員が現役では当然無いにもかかわらず、“情報”を持っている人もいる。聞き手に回って話を楽しもうとも思う。

田中政治の回顧談は当然のようにあるはず。たぶん、「集団的自衛権」の話も遡上にのぼるはず。「田中内閣ではこういう見解だったのに」から始まって。

全員が「戦争」を知っている世代だ。戦争を知らない世代の、今の政治との埋められない距離も話題になるだろう。

それはそれで楽しみなのだが・・・。無力感を伴うのかもしれない。

目的地の、会場のホテルにうまく行きつけられるかどうかが問題なのだ。
東京で戸惑い、迷子寸前になることを危惧するのだ。
いやはや、なんとも・・・。

東京に行くことへのもう一つの戸惑い。記憶の中にある、あった街がもう無いということ。
東京に行くたびに強くなるその思い。

子供の頃の記憶にある街はもう無いんだよな・・・。

昨日書いた短歌の話。その中にあった名取市の高校生の短歌。

町が流されて、見晴らしがよくなって、感じた「海の近さ」という趣旨の一首。

高層ビルが立ち並び、町並みが変わった。相反する光景と、どこか似ているような感情。

6年前までは、それでも初台に家があった。そこも変わっていたが、匂いも違ってはいたが、そこには「帰る場所」があった。時々の犬の散歩コースがあった。そこが無くなったということ。

たとえば富岡の、もう住めない家を壊そうと決意した人の心情がわかるような。

東京に行くたびに想う。あの時、3年前の3月11日に福島県にいてよかったと。東北の一端にいてよかったと。
身近に「あの日のこと」を感じられたことが。

もし、東京に戻って生活していたら、結局はあの惨事は「他人事」になっていたのではないかという不安。

東京に帰れば帰れたものを、なぜ郡山に住みついてしまったのか。よく聞かれること。自分でも明確に説明できないこと。
そこに居ることは、どこか見えざる差配があったのかもしれないという思い。

おぼろげな記憶では、田中角栄は首相になってから、あまり外出しなかった。
ある時、砂防会館の一室で聞いた覚えがある。
「俺が動くと、多くの警護官や警察が動き回らねばならない。店に行けば他の客に迷惑をかけることになる。必要以外は夜の会合含め、表に出ないようにした」。そういう趣旨のことを。

そう、首相が動けば、最低でも30人くらいの警察官がつくのだ。先回り含め。
警護の警察官にあれほどの気遣いをしていた首相を知らない。
ある人は、それが、護衛さんが付くのがステイタスシンボルだと公言していた。

日帰りの東京行。疲れるだろうな・・・。駅の階段で転ばないように気をつけます。頭はまだ完治してないし。


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