2014年7月8日火曜日

“首都機能移転”の幻影

東京から郡山に帰る途中、一枚の看板を探していた。そして、それは在った。
田んぼの中に“毅然として”立っていた。
忘れ去られた存在としての彫像のごとくに。

「那須野が原に首都機能移転を」。

1990年代、日本中は「首都機能移転」で沸きに湧いていた。法律が出来、審議会が出来、候補地が取沙汰された。

絞られてきたのが福島・栃木・岐阜だったと記憶している。
福島県の誘致活動に奔走していた。

せめて国会機能だけでも。とにかく、福島県民の多くが、それに狂奔していた。
そして福島県が考えていた候補地、いや、実際に国に提出していた書類の中にあった候補地。
それは阿武隈高原だった。その理由は岩盤が強い。地震があっても大丈夫。6万人の「民族大移動計画」も真面目に話し合われていた。

政府のごく一部には原発の存在を危惧する意見もあった。でも、それは「安全神話」の中にかき消されており。

結果、当時の移転論は、石原慎太郎が都知事になり「移転反対」。首相の小泉も反対・・・。結果、立ち消えになった“日本列島改造”。

まだ国土交通省の中には、それを担当する部局があると聞く。数人いるかいないか。
福島県庁でも、数十人いた“準備室”もどきが、1人の「後処理係」のような人を置いているとも聞く。

阿武隈高原。原発から40キロくらいの範囲にあたる。もしかしたら都路だってその地域に入っていたかもしれない。

あの時の移転構想が実現していたら・・・。首都機能の一部が原発事故の避難対象区域にされていたら・・・。
国会の機能がある。国会議員の宿舎だってある。多くの職員がいる。

その光景を想像しただけでも、不謹慎だが面白い。

首都機能の一部が原発被災を免れたのは僥倖だ。もし、あったら・・・。

そのことは多くの日本人が忘れている。そんな毎日のようにその動向が推移が伝えられていたマスコミからも。

そして、それは再燃した。3・11後だ。大阪への移転という話。首都直下型地震が言われて。

なんとも皮肉なお話ではありませんか。

橋下の都構想に、移転の事が入っていたかもしれないが。

それも、今は話題にならなくなった。

とにかく「忘れっぽい」のが日本人の特性なのだ。

集団的自衛権をめぐる関連法案の国会提出。先送り。1年以上経てば、もう忘れているって目論見なのか。

満腔の皮肉を込めて言う。
「福島県に首都機能移転を」。その運動を再燃させよう。移転のための法律はすでにあるのだから。国が決めればいいことだけなのだから。

あはは、国会議員のなり手は急減するかも。

東京の高層ビル群を見てくると、あの人波を見てくると、こんなことも言いたくなるのさ。

渋谷の駅を降りて、目当ての高層ホテルを目指す。駅を出た途端の尿意。
記憶の中にあった、忘れていない場所。公衆便所のあった場所。南口の246沿い。ありましたね。それは。化粧直しして外観は綺麗になっていたけれど。

中も綺麗に清掃されてました。

でもね、あの独特の、公衆便所のあの匂い。それは、そのままだったのです。
懐かしい匂いだった。臭いという字が正解か。
ゆっくり用を足しながら、その臭いを記憶とダブらせていた数分。
はい、場所も臭いも忘れてはいませんでした。

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