2015年2月28日土曜日

「ザル」ということ、思うこと。

「ざる」。♪誰か故郷を思わざる♪って歌にもあったような、“否定形”としての「ざる」ではない。

「笊」のことだ。どこの家庭にもある必需品は笊。竹のものもあれば、金属で作ったものもある。あの水だけが落ちていく“すぐれもの”。
家庭にあっては、農家にあってはザルはすぐれものだ。ザルが無いとどうにもならないくらい不便だ。

郡山に「うすい」というデパートがある。今は三越系の全くの都市型、高級デパートだ。
20数年前まで、今のような近代的ビルになる前、そこはいわばデパートとはいえ、大型スーパーのようなところだった。

そこの食品売り場、魚や野菜。そこにあったのは「ザルスター」と呼ばれる“名品”だった。天井から吊り下げたザルがレジだった。売り上げはそこに入れる、つり銭もそこから出す。

レジスターが行きわたっていたころのザルスター。味があったような。

政治資金規正法は「ザル法」と呼ばれてきた。抜け穴だらけという意味に使われていた。

同じ「ザル」という言葉にもいい意味と悪い意味があるということ。

ザル法は何度も改正され、政党助成金なるものまでが導入されるようになって、献金、カネにまつわる“抜け穴”は無いようにとされてきた。企業献金の禁止や個人献金への制限などなど。

しかし、やはり「ザル」は「ザル」だったのだなという実感。

そう、今言われている、問題になっている“疑惑”の数々。
国の補助金を受けた団体や企業は1年間献金出来ないとされているが、これとて「ザル」の延長にあるもの。

政治にかかわる人、政治家や秘書、後援会。なんとかして抜け穴を見つけて「献金」に励む。なぜ献金があるのか。見返りがあるからという以外にない。

違法献金がバレると「知らなかった」が連発される。あげく、“補助金から1年間”の条項さえ知らないかったという政治家。

「知らなければ合法」。そんな屁理屈通用しないはず。

そういう奴を「ザル頭」と言う。ザルどころか中身まで抜け落ちている。
「知らなかったと言っているのだから違法ではない」。なんと総理大臣さまが大音声でのたまわったお言葉だ。

こんな川柳もどきの句があった。
「世の中は住むと濁ると大違い。ハケ(刷毛)の毛があり、ハゲ(禿げ)に毛は無し」。

濁点があるかないかでの日本語の洒落。

ならば、ザルの濁点を取ってサルにしたらどう見えるかだ。

サル知恵なんて言って、お猿さんを馬鹿にしたようにいう人間。猿の世界でも通用しないようなザルを見つけるのに営々と励む政治家たち。

サル知恵をかばうボス猿。

原発事故現場からは、そう、まるでザルのように汚染水が漏れている。“猿知恵”を働かせて、それを隠す。それがバレるとまた猿知恵を働かせてなんとかごまかそうと言い繕う。

あらゆるインテリジェンス(情報)は、まるで「ザル」の中にあるように漏れ出ている。

「ザル法」から浮かんだサルのこと。猿山はボスが支配している。でも、そのボスは子分を守る。子分とはその山(国)のあまねく国民だ。

だけど・・・取り巻きだけは庇うが、その他には冷遇をもってあたるし、攻撃の対象にする。

今やるべきこと。このザル法を徹底的にあらためることだ。助成金があるのだから、なんであっても献金は止めるという制度だ。政治に見返りを求める意地汚い根性を選挙民が無くすことだ。

「井戸塀政治家」って言葉があったよな。政治家になったら、井戸と塀しか残らないという“要諦”。

おおよそ、今の「センセイ」たちは豪邸や瀟洒な家にお住まいだ。安い家賃の高級マンションまがいの議員宿舎にお住まいだ。

ザル法やめてサル法にしては如何。濁点とれば、清くなり、サルは“去る”にも通じるかもしれないし。

汚染水・・ザルの代わる妙手ってあるのだろうか。猿にでも聞いてごらん。

2015年2月27日金曜日

「隠ぺい」の結果として・・・

東電の2号機屋上からの汚染水の流出問題。報道によれば、爆発時から起きていたことだという。
1年間の不公表でへない。4年間もだ。

なぜ東電は「隠ぺい」を続けるのか。日常的にそうするのか。その意図を忖度しても始まらない。

隠し続けて来た結果が何を招いたか。

いわき漁協は「信頼関係は完全に崩れた」とする。県民の怒りの感情は増幅される。

あまりにも「想像力」が無さすぎる。いわば「出口戦略」を考えていないという企業の在り方。

外洋の放射性物質検査では“異常”は見られないという。でも、それが東電の発表である限り、信用する人はいないだろう。
漁協も独自に検査している。獲れた魚の検査もしている。「安全」は保たれている。

でも、この事が「福島」を見る眼に変化を与える。せっかく回復してきたいわき産の漁業に対して「不安感」をまた生む。

実はこういうことはあまり書きたくないのだ。いらぬ風評を招くこと必定だから。

でも、信頼を失った企業、信頼できない国家。そこに生きているという立場に立てばその非を問題視しないわけにはいかない。

人は都合の悪いことは隠したがる。そして隠し通せると思っている。それは、国家にとって都合の悪いと思われることに於いては歴史も隠す。

きょう国会では「政治とカネ」を巡っての集中審議が行われている。

西川公也につづいて、文部科学大臣、環境大臣、あげく法務大臣までが政治資金疑惑の俎上にあがっている。
「知らなかった」という単純な言葉で事を隠ぺいしている。

官邸はその「隠ぺい」に加担する・・・。

「嘘をついたら閻魔さまに舌を抜かれますよ」。子供の頃はそんな諭がまだ生きていたけど。

1F構内に視察に行った人達は何を見て来たのだろう。取材者だってそうだ。東電のバスに乗せられ、東電の都合のいい部分だけ見せられ、測られ、それで納得して帰ってくる。見てきた、視察してきたと自慢げに語る。

見るべきところを見ていないということ。

外洋につながる「水路」はわかるはず。それをたどっていけばどこに戻るのかもわかるはず。素人考えではそう思う。

東電の作業員である「ハッピーさん」はツイッターでこう指摘している。
久しぶりに開いたツイッターのお気に入り。

「今回の汚染水流出の件はかなり問題になるかも。東電が隠し持ってる全てのデータを過去分も含め洗いざらい公表しない限り、前には進めない気が・・・。
東電が公表していないデータも相当ある。港湾内外の魚は毎日採取してるはずだし、海のデータもあらゆるポイントデータを持っているはずだし」。

「やっぱり最初から1F廃炉作業に関わる環境データは、東電や政府、官僚と利害関係の無い第三者機関で行うべきなんだよね。そうでないと当事者の都合のいい情報しか出てこないのは、今回の件ではっきりしたし。毎日、毎日、廃炉の為に頑張っている作業員も浮かばれないよ。オイラもガックリでし」。

「今日の東電の会見でわかったこと。これからも情報公開すると言い続けるが、データはすべて出すわけじゃないって事。
“我々が理解できないデータは出しても意味が無い”って言葉から、東電は事故前と変わらず物凄いプライドが高いって事。以上二つのことがわかったでし」。

そうなんだよな。作業員の士気もそいでいるのだ。

隠ぺいのイタチゴッコ。それが意味することは・・・。

お白洲に東電幹部を引っ張り出しても大岡越前はいないというこの時代。
そして、よくもまあ次から次へと明るみに出る政治資金疑惑。

「民主党政権時も外国人から献金受けていた幹部がいたでしょ」。相変わらず安倍は開き直っていたし。

2015年2月26日木曜日

「2月26日」という日

今はあるかどうかわからないが、麻布の龍土町、六本木の交差点から乃木坂に向かったところに「龍土軒」という洋食屋があった。

そこは、2・26事件を起こした陸軍歩兵連隊があったところであり、蹶起する下士官たちが最後の謀議を企てたところと聞いている。

昭和11年2月26日。雪の降る中、陸軍の若手下士官や兵士たちが首相官邸はじめ、都内の枢要な官公庁、屋敷を襲った軍事クーデター。「2・16事件」と言うのがあった。その4年前、昭和7年には「5・15事件」が起きている。
海軍によるクーデター。首相の犬養毅が暗殺されている。

それらの事件があったのは事実である。「昭和維新」を掲げた。なぜ、この事件が起きたのか、その「なぜ」の真相は解明されていない。さまざまな“見解”がある。歴史の「事実」として、これらは記録されている。

2・26事件に加担した兵士には東北出身者が多かったという話がある。
その兵士たちの多くは貧しい農村の出身者だったという。長年にわたっての、彼らの中にあった“ルサンチマン”的なものが、そこに帰結したのではないかと言う説。

事件に精神的影響を与えたという北一輝という人物が、「右翼」だったのか「左翼」だったのか。その評価も分かれている。

昭和天皇の「言葉」で、このクーデターは収束した。2・26のことだ。そして、昭和16年から始まった戦争。その終戦時、時の内閣が恐れたのは、やはり陸軍によるクーデターだった。それも昭和天皇の「聖断」で大きな出来事には至らなかった。

昭和40年代、「三矢研究」という自衛隊内部の図上計画が国会ですっぱ抜かれ、“クーデター”と書かれたこともあったが。

翻って今、平成の時代。軍事クーデターが起きる気配は無い。むしろ政権がクーデターを起こそうとしているようにも見える。

その“クーデター”は「改憲」と呼ぶ。それが平成天皇の宸襟を悩ましている。

昨夜、きのうのここに書いた仮設のばあちゃんと、結果メシを食った。細々いろいろな話をした。置かれた環境に甘んじている姿も「東北人」のようにも映って来た。

1Fから汚染水が垂れ流されている。2号機の屋上からの汚染水は外洋に流れ出ていると言う。
その事実を東電は1年間「隠して」いた。なぜ、それを今、公表したのか。その「なぜ」は寡聞なのかもしれないが、伝えられていない気がする。

人は誰でも「都合の悪い事」「嘘」は隠す。隠し通せると思っていることもある。

いわき市内であった漁業関係者と東電との会議。

「裏切られた」。

漁業関係者の言葉は切実だ。信頼関係が崩れた中で、今後どんな話し合いがもたれるのか。多分、漁協内部でも揉めるだろう。

「フクシマ」。それはクーデターの対象に匹敵することかもしれない。

以前、「東北独立」ということを書いた。井上ひさしの吉里吉里国を引き合いに。

「沖縄独立」ということが、半分真顔で語られる。少なくとも現政権は沖縄を「無視」しつづけるのだから。

“独立”とて一種のクーデターだ。

アルプスは稼働していない。汚染水はたびたび問題をおこす。
外洋に流れ出ているというのに官房長官は「コントロールされている」と開き直る。

中間貯蔵施設を巡っての動きが急だ。「3月11日」搬入開始が目途だという。なんでそれが3・11なのだ。鎮魂の日であるにも関わらずだ。

3月8日には今日来日するイギリスのウイリム皇太子が福島を訪れると言う。安倍も同行する。その時の「心証作り」ではないのか。

現政権のアンダーコントロールという見解。それは東京オリンピック招致からはじまった。オリンピックの為の「福島利用」「英国皇室利用」「重ねられる嘘」・・・。ほんと、もう御免だぜ。

1年間隠し続けてきた東電の「嘘」。それが今になっての公表。その「なぜ」を知りたい。場合によっては嫌なことばかり押し付けられる東電の政府に対するある種の“クーデター”とも受け取れるから。

2015年2月25日水曜日

仮設住宅で亡くなった犬のこと

今朝、郡山のビッグパレット脇にある仮設住宅の「ばあちゃん」から電話があった。川内村から避難して、そこに“居住”している人。
沈んだ声だった。

愛犬のマックが亡くなったという知らせ。

その人たちと、その一家と、犬たちと出会ったのは2011年の3月の終わり頃だったと思う。ビッグパレットが川内、富岡の人たちの避難所になった時。

二頭の犬を連れて線路わきの植え込みに座っているその人と出会った。こっちは我が家の犬「ゲンキ」を連れていた。

マックはマルチーズ、もう一頭のミックはミニチュアダックス。仲のいい「二人」だった。

川内村に避難命令が出されて時、そのばあちゃんは、自分の軽自動車に犬と爺ちゃんを連れてまずは三春の避難所に行き、郡山にやってきた。

爺ちゃんは、酸素マスクを手放せない病人だった。

犬は避難所の中には入れない。ビッグパレットの自転車置き場がペット用に開放されていたが、そこはすざまじい鳴き声で溢れていた。

大方が完全に鎖でつながれた犬では無かった。ケージも体験したことのない日常を送っていた犬たちだった・・・。

ミックとマックも、家の中を自由に駆け回り、時には家の周りも走り回り、散歩させてもらえる環境にいた。
自由だったのだ。

ミックとマックの居場所は軽自動車の中だった。まだ寒かった頃、夜には車の中でも冷える。熱湯を入れたペットボトルを毛布でくるみ、彼達の湯たんぽ代わりに毎日のように持って行った時もある。

車の所に行って中を覗くと二人は折り重なるようにして寝ていた。窓を叩くと眼を開け、狂ったように窓に飛びつき、出せ!出せ“と言わんばかりに吠えた。

好みだというドッグフードも持って行った。

5月。もう車の中は日中は暑い。仮設住宅が出来るまで、二人は大越にあるペット用の“施設”にあずかってもらっていた。

仮設が出来た。二人とも仮設の中で住まわせると言う。たまたま我が家にあった大きめのケージを持っていった。4畳半二間の仮設。酸素を必要とする爺ちゃんのことを考えるとケージしかなかった。

その爺ちゃんもやがて亡くなった・・・。

マックは老いてきていた。思うに「ストレス、過剰なストレス」を感じていたからだろうか。歯を患い、動物病院で歯を全部抜かれた。

ケージの中のマックは舌を垂らしたままだった。

ミックはばあちゃんの孫が連れていった。今は仮設に出来た動物用の建物の中にいるという。

ばんちゃんは、避難所の時は元気だった。一昨年から腰を患った。病犬とは居を共に出来たが、元気で力が強い方の面倒を見るのは無理だと判断したからだろうか。顔だけ毎日見に行っていたという。

そして今日の知らせ。看病疲れもあっただろう。声に元気がなかった。

「犬に会いたくなったら瀬川さんの家に行く。ゲンキ君の顔見に」。すでに火葬したお骨は仮設に持ち帰って来たと言う。

ゲンキの姉さんのようだった甲斐犬の澪。ともに東京から連れてきた犬だ。澪は幸い「3・11」を体験することなく、前年の秋に亡くなっている。骨はまだ我が家の中にいる。澪のことは、だから、2010年のこのブログに書いた記憶があるが。

今朝の電話のやりとりを、どうやらゲンキは聞いていたようだ。
なんとなく悲しそうな眼をして、疲れたように寝てしまった・・・。

口はきけないが、犬たちはみなわかっているということ。

鎖につながれたままだった犬、餓死した犬、鎖を食いちぎって野良になった犬。
飼い主が週に一回訪れるのをひたすら待っている犬・・・。
犬だけでは無い。牛も豚も鶏も。福島には残酷な運命をたどる、たどった動物たちがいる。

ボランティアが支えているシェルターもある。多くの人がペットに心を寄せていてはくれるが・・・。

マックは「避難」さえなければ、まだ長生きできたはずだ。犬の震災関連死だ。

夕方、花を買ってマックを訪ねるつもりだ。仮設に行くと「大歓迎」してくれていた、あの光景には出会えないが・・・。

2015年2月24日火曜日

皇室と安倍政権との間にある「壁」

昨日は皇太子の誕生日だった。55歳。談話を出された。その談話を聞き、読み、再読し、皇室と安倍政権の間にある壁、あるいは溝、いやそれは亀裂といっていいのかもしれない。埋めがたい「歴史認識」があることを再確認した。

「天皇陛下がいて助かった」。戦後史を振り返って田中角栄がしみじみとして語った言葉だ。

昭和天皇の存在が戦後の混乱期、この国の中に動乱が起きず、同じ民族同士が争うことなく、その混乱期を乗り越えられてきたことを指して言った言葉だ。

吉田学校の出身者。「臣 茂」と自らを読んだ吉田茂。その後の保守本流の系譜にあった者としてかどうかはともかく。

「3・11」後、ネットのツイッターに田中角栄語録が「角栄BOT」として流れていた。多くの人がフォローしていた。その中に「天皇陛下がいて助かった」という語録もあったはず。

そしてそれは「事実」として再現された。大震災というあの“国難”。原発事故と言う“文明の崩壊”。その中で、動乱も大混乱の起きず、被災地の人たちがあまた矜持を保ち、“耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んだ”には平成天皇、皇后両陛下がおられたおかげであると思っている。あらためての記述だが。

身をもって皇居内で、暖房を断り、被災者と同じ立場に立とうとされた両陛下。自らの意志を示され、被災地に赴かれた両陛下。
あの避難所の中の両陛下の姿。それは、まさに「寄り添う」ということの象徴であったとあらためて思う。

平成天皇によっても日本国民は救われたのだと。

皇太子の言葉の要旨。
「阪神大震災から二十年を迎え、東日本大震災より四年となります。震災を乗り越え、未来を創造する取り組みも生まれてきているように思います。昨年十一月に訪れた兵庫県では、震災の経験を地域や世代を超えて伝えようとする取り組みがなされていました。東日本大震災からの復興の取り組みとして、昨年八月にパリで行われた『東北復幸祭』に参加した高校生と先日会い、自ら企画した催しが成功を収めたことをうれしく思いました。被災地の復興に心を寄せ、防災に私ができることをやっていきたいと考えています」。

冒頭の部分でもお言葉だ。目線は「被災者目線」だったということ。

そして最近のこと。
「中東などで武力紛争が続き、わが国国民を含め市民を巻き込むテロが発生したことに深く心を痛めています」。
言葉を選んでの懸念の表明。そして、戦後70年の節目にあたっての感想。

「戦争の惨禍を繰り返すことのないよう、平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思います。子どもの頃から沖縄慰霊の日、広島や長崎への原爆投下の日、終戦記念日には両陛下と一緒に黙祷しており、原爆や戦争の痛ましさを伺ってきました。沖縄での地上戦の激しさも伺ったことを記憶しています。私自身、戦争を体験しておりませんが、戦争の記憶が薄れようとしている今日(こんにち)、謙虚に過去を振り返り、戦争を体験した世代から、戦争を知らない世代に悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切だと考えています。わが国は戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受しています。本年が日本の発展の礎を築いた人々の労苦に深く思いを致し、平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればと思っています」。

そして戦後に関連して昭和天皇に触れ、こう述べている。
「多くの人が昭和天皇のご事跡に関心を持ち、昭和という時代への理解を深めることになればと思います。激動の時代にあって、六十年を超える長きにわたり国民を思われ、真摯(しんし)にご公務に当たられた昭和天皇のお姿がしのばれます」。

そこには安倍政権が目指す、集団的自衛権の発動、行使、戦争へ加担しやすくなる「思想」への、歴代天皇の意向に、教育に添った、意思表示がある。
それは平成天皇のお言葉にあった意向とも重なる。美智子妃殿下の意志とも重なる。

天皇を「錦の御旗」としつらえて、維新を断行した薩長の藩閥政府。明治天皇も、昭和天皇も、「政治利用」されて来た。昭和天皇はあの戦争にも“反対”の意向であった。その意向は軍部によって“無視”されていた。
再度皇太子の言。
「わが国は戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受している。平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればと思う」。どう読んでも改憲反対って言うことでは無いのか。

元首ではなく象徴であったとしても、天皇の、皇太子の意向を“無視”するかのような政治の方向。

安倍はこの皇太子のお言葉をどう読んだのだろうかと。

2015年2月23日月曜日

「お上」と「ジャーナリズム」と

どうも日本人は「お上」という言葉が好きなようだ。馴らされているということか。「お上」に、それのやること、いう事に反発心を持ちながらも、“長い物には巻かれろ”じゃないけれど、世の中をわたっていく都合上、その存在に意義を持たせているような。

「上の者を出せ」「上のものに相談します」「上からの意向です」・・・。

上には逆らえない。

殿さまを「上さま」と呼んだ。「上位下達」という言葉もある。

「上」の意向で世の中すべてが決まるのか。決まっていいのか。「上」とは権限をもった人。権力者。
最高権力者としての安倍晋三。

あの人が最高権力者である、その地位にいるということが、すなわち今の「日本」という国をいろんな意味で象徴しているとも思えるのだが。

「お上」のお目付け役は誰だ。「お上」に物申すのは誰か。

それが「ジャーナリズム」ではないかと思っている。

昔、田中角栄がこんな話をした覚えがある。
「君たちは、年がら年中わしらを批判する。どんどん批判しろ。それが君たちの仕事だ。そんな批判をされないような政治をやる。それがわしらの仕事だ」。

彼は自分を批判する人間を忌避しなかった。いや、むしろ批判する人間を受け入れようとすらした。懐の深さを感じたことがある。

彼は本能的にジャーナリズムというものを認めていた。それを“善”だとして。

結果論としてそれが“正解”だったかどうかは別問題だ。

批判勢力、反対勢力があることでこの国はよくなるのだと思っていたような節があった。

ある日、朝早く目白の私邸に行った時、事務所の応接間に右翼の青年がいた。あの戦闘服を着た。その青年がどうやって面会できたのかはわからない。
顔面蒼白になって、何かを語っていた。それが日中問題だったか、金権もんだいだったか。政治的抗議あったことは間違いない。その青年の背後には秘書がすぐ抑えられるように中腰で身構えていた。その青年に対して角栄は滔々と持論を語っていた。そして「わかったか、わかったなら帰れ」と言った。帰った。

その後角栄が言った一言。「なんだ、かんだと皆、わいわい言ってきやがる。それもまたいいことだ」。おしぼりで顔を拭いた。

懐が深かったと思う。来る者拒まずの態だった。

今のお上には批判を許容する姿勢全くない。許容どころか、批判勢力を徹底的に排除しようとする。攻撃されると、物凄い勢いで反撃する。受け止めるという度量も存在しない。

いつの間にか、この国からはジャーナリズムなるものも衰退していったような気がする。

ジャーナリズムとはあくまでも「批判精神」を持つということだ。単に起きた物事を伝えているとういうのはジャーナリズムでは無い。

権力を恐れ、それになびかないまでも、批判精神を失っている。

戦後70年ということで「安倍談話」が出されると言う。その談話を作るために「有識者懇談会」が作られた。

有識者懇談会・・・。最近の政界の風潮。第三者委員会なるものも然りだが、なんでも「隠れ蓑“を作り、世論をくみ上げたような体裁を作る。

その有識者懇談会にはマスコミ人も入っている。読売、毎日の記者だ。それは「取り込まれた人」にも等しい。
その会議は政府が主宰し、主導で開かれる。議事の進め方にしても官邸や内閣府の書いたシナリオに沿って行われる。

下世話な話かもしれないが、いくらかの報酬だって支払われるのかもしれない。

その二人の新聞記者の意見がどこまで“採用”されるのか。入った人も入った人。それを認めた会社も会社だ。「お上の意向」には歯向かえぬということか。

ジャーナリズム、それは在野に於いてこそ可能なものだと思うのだが。

「総安倍化」の風潮が増してくるような・・・。

2015年2月22日日曜日

「現在」ということ

~すべて人の一生は神の手によって書かれたお伽噺にすぎない~。
アンデルセンが遺した名言。

きのう「お前はただの現在にすぎない」と書いた。それは“テレビ論”ではあったが、”自分論“として考えた。

現在とは人の一生のことと。

生まれて生きている限り、それはその人の「現在」。生まれる前はもちろん過去。
逝った先は未明なのだと。

あの体験した、見聞きした「3・11」。あれは現実だった。決してお伽噺ではなかった。でも、どこか、心の深層では「お伽噺」であって欲しいとも思った。
そんなお伽噺を神が書くとは思えなかったが・・・。

いくつかのお伽噺を信じ込まされてきた。信じ込んで来た。その最たるものが原発だった。明るい未来のエネルギーというお伽噺。

そのお伽噺の中で「現在」を終えることが出来なかった。

人はいつかは死ぬ。

たとえば戦争。戦争を現在として体験した人が、経験した人が死ねば、「戦争」は終わりだ。過去のものとされる。

しかし、そういう意味での“戦争の終わり”が来るには間違いない。戦争の時に生まれ、戦争を知って、戦後を知って・・・その僕にだってあと何年後か何十年後には“終わり”が来る。

でも、その意味での“戦争”を終わらせてはならない。だから語る。

記録としての、文字になった戦争はある。映像、画像としての戦争はある。録音テープとしての戦争はある。それらの「記録」に接して、それを知ることは出来ても、問いかけは出来ない。質問に対しての答えも返ってこない。

戦争は語り継がれる。あったこととして語り継がれる。それを必死で願う。
しかし、それは聞いた、読んだ戦争・・・。「現在」として存在する戦争ではない。

だから考える。現在を持っているうちに何が出来るかを。

幻想かもしれないが・・・。
広島、長崎に原爆が投下されて以来、たとえばビキニ環礁での「実験」はあったが、現実の戦争の中で原爆は使用されていない。
ベトナム戦争でも、イラク戦争でも、それを使用することは可能だったにも関わらず、保有国はそれを使わなかった。使えなかった。
広島、長崎の被害があまりにも大きく、非人道的だったからかもしれない。

原発。それは最初からエネルギーとしてだけ考えられていたものだろうか。この国も核兵器を、原爆を持ちたかったからではないか。

戦時中、福島県の石川町でウランを原爆製造のために採掘していたという事実がある。それは精度が悪く使用に適さないとされただけ。
原発のためのウランをこの国は持っている。それは「兵器」にいつでも加工できるはず。

「平和で明るいエネルギー」の暗部に、それが本当に無かったのかどうか。
目くらましの原発では無かったのか・・・。そんな幻想、妄想。

原子力規制委員長が「絶対安全とは言えない」と言っている原発。誰しもが、フクシマを経験しているにも関わらず、「安全だ」と自分に言い聞かせて目指す再稼働。

PAZ,つまり原発から5キロ圏内、UPZ、つまり原発から30キロ圏内。それの“避難計画”が、どこかで真面目に語られていることへの滑稽さ。全くとしての避難なんてありえないはずだ。もし、一台の車がエンストを起こして、燃料切れを起こしたという些末な「不測の事態」なんていくらでもあり得る。
秩序だった行動。無理だ。

フクシマの経験則は、今後の対策としての経験則には成り得ない。フクシマを経験した、見知った人達は、より恐怖感を覚えるはずだ。既知のことだから。その恐怖が。福島で起きたことは何等の対策にも成り得ない。福島の人の多くはその恐怖を「知らなかった」から、まだあの程度の混乱で済んだ。
これから先はそうはいかない。

それが、今生きている人の「現在」として存在しているということ。お伽噺がお伽噺ではなくなるということ。

「現在」への思考、認識。それが欠け始めているという現実・・・。

2015年2月21日土曜日

「お前はただの現在にすぎない」

1960年代、テレビマンたちは「テレビ」について、テレビとは何かについて、テレビはいかにあるべきかにについて、日夜語りあっていた。

たとえば映画界出身者、たとえば演劇関係出身者、たとえば雑誌出身者。「未知との遭遇としてのテレビ」。そこにそれぞれが“価値観”を見出し、寄り集まり、そして「いかにあるべきか」「そもそもテレビとは何か」を模索していた。

彼らが出した結論、結論と言うより、そういう言葉でしかまとめられなかったこと。

「お前はただの現在にすぎない」。

「お前」とはテレビを指すものであり、はたまたテレビの仕事に携わる者たち、それを見る人たちへの“総称”ではなかったかと思っている。

彼らがまとめた「お前に捧げる18の言葉」というのがある。幾つかを抜き出してみる。

*テレビは時間である。(移り変わりゆくそのこと。終わりの無さ)
*テレビは現在である。(後戻りの無さ。予定調和の無さ。整序の拒否。視る人・視られる人同士の、超空間での“時間の共有”)
*テレビかケ“日常”である。(生活そのものー送り手にとっても、受け手にとても。俗。聖なるものとの出会いまでの膨大なディテイル。日付のあるドラマ)
*テレビはわが身のことである。(刻々の情念、刻々の生活。刻々の思想、刻々の生、刻々の死―わが身の刻々)
*テレビは窓である。(覗けば見える。覗かなくても見えている。考えれば見える。考えなくても見えている)
*テレビは対面である。テレビは参加である。テレビは装置である。テレビは機構である・・・などとある。そして最後に。
*テレビは非芸術・反権力である。(即ち、装置による表現。現在による表現。表現とはすなわち私。装置による私。現在による私。民衆による私)。で結ばれている。

生中継を多用すべきか、ドキュメンタリーなのか。立ち位置はどうあるべきか。

まだフィルム映像の時代にして、真剣に考え抜いていた男たちがいた。

それから幾星霜。テレビの“装置”としてデジタル技術が登場し、どこにでも
小型の衛星中継車が出動し、その技法も演出の思想も大きく変わった。

でも50年も前、テレビマンたちが語ったテレビの在り方、この18の言葉は
普遍性を持っていると思うのだ。

「3・11」。その実相を伝えたのはテレビだった。テレビから多くのものを視
た。視て考えた人も、考えなかった人もいる。
多くの“情報”をテレビに頼った。その期待に応えていたかどうかはともかく。

が、しかしだ。デジタル技術の氾濫はテレビの在り様も変えたようだ。意図的
に画像は作られる。1秒24コマだったものが15コマにも36コマにも変え
られる。時にはテレビの画像が「現在」ではなく「虚」の世界も作れる。

デジタル技術。テレビだけではない。ネットの社会を席巻している。「加工映像」
「加工画像」が“情報”として流される。過去が現在にもすり替えられる。

視る側に、それへのリテラシー能力を求めるのは愚だ。

デジタルという「加工技術」を前にして、アナログであるべき人間は、その狭
間で戸惑うのだ。

思考は限りなく「アナログ」であるべきなのに。

漠然とした言い方だが、そこに「思考停止」を招いた一つの要因があるのでは
なかろうかとも。

「テレビは反権力である」。この言葉は重い。それはジャーナリズム論につなが
って行く。そして「現在」とは何かということも。

そんなことをちょっと思った。

そして、哂えるようだが、“ラジオ体操”を、そう名付けられた体操をテレビが
やっているということ。

2015年2月20日金曜日

幼児性と攻撃性に愉悦する宰相

この人のことはあまり書きたくないし、触れてたくもないのだが。そう思いながら俎上に載せることに嫌悪感も覚えるのだが。
「バカを相手にするのはやめなさい。同じようになるから」。祖母に言われた言葉を思い出す。子どもの時の喧嘩のこと。

だけど、この人の“意志”で、この国の命運が決まって行くことに耐えられない苦痛感を覚えるから。

国会、予算委員会の質疑。きのうも民主党の岡田の質問に、色を成して答えていた場面があった。野次が飛ぶと「野次はやめなさい」と怒鳴る。
籾井と全く同次元の人格。

何回も言うが、野次を制し、委員会の運営は委員長の権限。全く持って国会の鉄則だ。

きょうは時間も無かったこともあり、国会中継はみていない。どういうやりとりがあったか定かにはしないが。

昨日の委員会で、民主党の玉木雄一郎が質問中、農水大臣の政治献金の問題を取りあげていると安倍が総理大臣席から野次を飛ばした。
「日教組はどうした」「日教組、日教組」と何回も。

野党席から飛ぶ非難の声にまた応酬する。

委員会の総理大臣席で、その人が野次を飛ばすと言う光景は初めて見た。憲政史上あっただろうか。吉田茂の「ばかやろう」だって野次で言ったことではない。答弁席で言った。

野次を嫌う首相が野次を飛ばすということ。

まして玉木は日教組出身では無い。東大法学部卒の大蔵官僚だった男。
政治献金のことを持ち出されて、「日教組どうした」と言うのは、かってあった
日教組加盟組合による民主党議員への献金事件を指したということなのだろう。

農水相の問題を逸らし、問題無しとする自己弁護の為に持ち出した、過去の事件のこと。

玉木は「日教組の話はしていない」と応酬。委員長の大島理森がたまりかねて、「ヤジ同士のやりとりをしないで。総理もちょっと」と言い出す始末。

「あきれて物も言えない」とはこのことだ。

安倍の中には限りない幼児性と攻撃性が存在している。意に沿わない質問に対しては、論点はどこへやら、やたら攻撃的に応対する。理性のかけらもなくなる。これが一番怖いのだ。

「イスラム国」の時もそうだ。咄嗟に言ったこと。テロには屈しない。テロと戦う。それが事件をより深刻なものにした。

守りに弱い人は攻撃するだけで相手を屈服させようとする。

そして幼児性。無関係なことまで持ち出して溜飲を下げようとする。

「祖父、父、そして支援してくれる方々のおかげがあって今日の地位についた」。
きのう、そう言っていた。祖父や父の庇護のもとに育てられたお坊ちゃまそのものだ。
政治家としての「教育」はゼロ。晋太郎さんも草葉の陰で悔やんでいるのかもしれない。

総理大臣に求められるのは、「品性」だ。「品格」だ。彼のおかげで日本人の品性、品格も疑われかねない。

いや、国民の半分が、すでにしてそういう品格になっているということか。

施政方針か所信表明か。演説原稿がどこかに撮影されていた。漢字にはおおむねルビがふってあり、「拍手」「水を飲む」というト書きもついていた。

かつて麻生太郎の“読み違い”が多々あったことに、事務方が懲りて書いた演説にルビをふったのだろうが、それって官僚に、事務方に結果「バカにされている」ということではないのか。
”所詮、首相なんてその程度」と。ルビがふられた原稿を「バカにするな」と蹴飛ばしてこそ宰相の器なるぞ。

堕ちている、堕ちている。この国の政治の有り様は。

攻撃的性格の人は、“敵”の攻撃になにがなんでも、理性をかなぐり捨ててても立ち向かう。

安倍を“攻撃”する、“批判”する勢力がある限り、彼はなんでも反対の立場に立つ。再稼働反対のデモと音が官邸を囲む限り、彼は再稼働に走る。事の理非曲直はどうでもいいのだ。自分に刃向って来る奴が許せないのだ。

沖縄問題だって然りだ。

ばかばかしい、見苦しい。だから言う。大島理森がたしなめたように、自民党内部から、安倍を戴くことへの疑念が生まれるべきだと。
自民党は安倍と一緒に「心中」してはならないと。

なんか、悲しい・・・。

2015年2月19日木曜日

どっちもどっちの感、されど傲慢なNHKの籾井。

きのう本会議での野次のことを書いた。そこに「議会制民主主義」なる文言はあえて入れなかったが・・・。

きのう、NHKの経営計画をめぐり、民主党の会議にNHKの籾井会長が呼ばれた。
民放のニュース番組でみたその映像、やりとり。

これが大NHKの会長たる人物か、これが国会議員なのかと言いたくなるようなやり取り。

ああいえばこういう、こういえばああいう。そんなどっちもどっちもの感ありではあったが。

階議員は全理事から辞表をとった時の自分の質問をとりあげ、「社会ではよくあること」だという答弁のやりとりをしたあげく「撤回しろ」と迫る。「撤回しない」と応じる。
野次が飛ぶ。野次に血相を変え反撃する籾井。

言葉尻を捉えるな、屁理屈だと返す籾井。

従軍慰安婦問題をめぐる考えにものらりくらりの感の答弁。

籾井の心中・・・。まったくもって相手を見下している。態度にも言葉にもそれが表れている。それこそ「俺を誰だと思っているんだ」といわんばかりの。

なんとも「傲慢」なのだ。顔も態度も。答弁というか、話の内容も。木で鼻をくくったような。


そして始まる「場外乱戦」。会議が終わったら階が籾井のところに行き、なじり、話を蒸し返す。ほとんど喧嘩状態。籾井は「くだらん」との捨て台詞残して去る・・・。

テレビで目にした光景だけだが。前後に何があったのかはわからないが。

結果見ていて残った印象。「どっちもどっち」の感。
NHKは「公共放送」だ。「国営放送」ではない。しかし、予算は国会の承認を必要とする。国会が予算を承認しなければNHKの経営はたちいかないということになる。

だから、下世話な話しだが、NHKの理事には政治部出身者がいる。会長秘書室にも政治記者あがりがいる。
彼らの“仕事”は予算を審議する委員会での野党の質問要旨を手に入れること。承認にこぎつけるように一種の“根回し”をすること。

国会担当の各省役人と同じ。友人の記者が昔言っていた。「やってられない」って。しかし、その“職務”を上手くこなせるかどうかが、その人の出世を決める。

下世話のついでに・・・。籾井会長さんの左腕にあった時計。金ぴかの。どう見ても“舶来品の高級時計”と見えた。「爆買い」の対象のような。

鬼瓦みたいな顔とまったく不釣り合いだった。
「議論」よりも、時計に目が行くと言うばかばかしさ。

NHKの職員はどう思っているのだろう。

「3・11」に関わる番組をNHKは真摯に取り組んでいると思う。それを作っている人達はどう思っているのだろうか。
会長さんが国会議員相手にふんぞり返っている様子を見て。

現場と会長の間にある乖離。そこに、3・11の風化の一断面を見たような気にもなって。

2015年2月18日水曜日

「さすがテロ政党」という野次

昨日の衆院本会議での代表質問。共産党の志位委員長の質問中に「さすがテロ政党」という野次が飛んだ。共産党はテロ政党だというのだ。

産経新聞の記事にはこうある。
“ 共産党の志位和夫委員長が17日の衆院本会議で代表質問した際、議場から「テロ政党」とのやじが飛んだ。共産党は問題視し、林幹雄衆院議院運営委員長に事実関係の究明を申し入れた。
 問題のやじは、志位氏が過激派組織「イスラム国」による邦人人質事件に関する認識や、テロ組織をどう解体に追い込むかを安倍晋三首相にただした際に飛んだ。「さすがテロ政党」との内容だった。
 共産党によると、どの位置から声がしたか、はっきりしなかったという。やじが聞こえなかった共産党議員もいるといい、議場は一瞬ざわついたが、混乱は起きなかった。“
昨日の国会、衆院本会議の代表質問。共産党の志位委員長の質問中に「さすがテロ政党」という野次が議場から飛んだ。



これが今の日本の国会の現状である。

「院の品位」。国会法にも規定されていることだ。この野次が「品位ある“発言”」として許容されるのか。されない。

今、日本はいうに及ばず、国際社会があげて「イスラム国」なるもののテロを非難し、後藤さんたち被害にあった、殺された人達の死を悼んでいる。悲しみ、嘆き、怒りに燃えている。

そして、テロからどうやって国や身を守るか、テロはどうしたら無くせるのかについて、それぞれが腐心し、苦悩している。

昨日の本会議、テレビ中継を見ていた。その野次は聞き取れなかった。音声は演壇のマイクが拾うから、よほどの野次でないと、マイクは拾えない。
本会議場を俯瞰するところに記者席がある。そこからは議場の野次も生で聞くことが可能だ。すべてではないかもしれないが。
本会議場の記者席にいた記者なら、その野次は聞こえたはずだ。でも、おおかた記事になっていない。捨て置く程度のことと判断したのだろうか。

共産主義者でも無ければ共産党に肩入れしているわけでもない。「まともな保守」だと自認している。約30年、自民党の中にどっぷり浸かっていた身。
政治の恥部も承知している。政治とはなにかということも、その実態もよく承知している。むろん“経験則”にしか過ぎないが。

仲のいい政治家の一人に浜田幸一という人がいた。通称「ハマコー」。国会の暴れん坊という異名をとっていた。本人もそれを是としていた。
彼が予算委員長だった時、委員長席から共産党の正森成治が質問しているとき、宮本賢治を名指しで「殺人者」と言った。

結局彼は委員長を解任された。単なる「やくざもの」(本人もそう言っていたし、そう呼んでも怒らなかった)ではなかった。彼はテレビ中継が入っていることを計算して言った。褒めてるわけではないが「正々堂々」とやった。彼なりの過去の“事実”への認識があったから。

昨日の野次、発言者は名乗り出ていない。あの野次の背景には、それまでの安倍の答弁があったのかもしれない。「あなたがたはテロリストを擁護するんですか」と言ったような答弁・・・。

都議会でもあった「野次事件」。

つくづく国家の品位は落ちたものだと思う。国会議員の質も低下した。言っていいこと悪いことの区別すら出来ないような。そんな議員を送り出したのは国民だ。

たぶん、この件は「うやむや」にされるのかもしれない。この野次を巡って、各政党がどういう反応をみせるのか。

テロを無くそうと、テロに屈しないと皆が思っている時、世界がその方向に動いていると言う時、いくら共産党が嫌いだとはいえ、「テロ政党」という言葉を使うと言う感覚。

彼は「テロ」について考えたことも無い人だと断じる。

2015年2月17日火曜日

「ふるさと」とは・・・「家」とは・・・

演歌の歌詞にこんな一節がある。
♪人は皆故郷が恋しくなって
一度は泣きに帰るものなの・・・♪

富岡町に住む、いや正確には住んでいた人。一時帰宅し、娘のためにお雛さまを飾ってあげた。居間を綺麗に片付けて。

今年が最後の雛祭りだという。

そこに住むのを諦めたから、そこには住めなくなったから。
避難先にその雛飾りは持っていけない。なぜなからそれらは放射能汚染物だから・・・。

雛飾りが「汚染物質」とされるということ・・・。人の営みが「物質」にされてしまうということ。

間もなく4年になる避難地域の一つの家にあったことだが。白い防護服のまま、お雛さまの前にたたずむその女性・・・。

「3・11」後、さまざまな「故郷論」があった。その中で答えがみつけられないこと。それはもう帰れないとわかっていても、頭が理解していても、なお「帰りたい」という心情。

その心情の一つには「骨を埋める場所」としての故郷があるのかもしれない。骨を埋める、つまり人生の終焉。その地を本能的に求めているということではないかということ。

故郷と書いて、「こきょう」とは読みたくない。音読みしたくない。日本語、大和言葉としての訓読み。「ふるさと」「ふ・る・さ・と」と呼びたい。

僕は故郷は東京の渋谷区初台だと思っている。40年間住んだ地。きのう、初台に住む知人から、あの町の変貌ぶり伝える便りがあった。

三河屋酒店が、吉沢コメ店が・・・。その他いろいろな景色が・・・。変わって行ったという。

代々飼っていた犬のマーキング場所、電柱や壁。それらも無くなるのだろう。
なんか「泣きたくなる」のだ。

事情はなんであれ、故郷を捨てたのではなく、故郷に捨てられたという想いに捉われる。

「家」となにか、どういう存在か。あの「3・11」の日、あの夜、東京でも多くの人がまったく交通手段が無いにも関わらず、徒歩ででも家路についていた。その行列・・・。
なんで「家」に帰るのか。旅行に行けば何日でも家を空けるのに。

帰るところとして存在する家。ただいまと声を掛けられる家。帰趨本能ということなのだろう。

例え段ボール作りであってもビニールシートであっても路上生活者にとって、そこは家だ。戻るべきところとして作った家だ。それを無価値なものしてみるか、大事なこのとして見るか・・・。

鳥であっても巣を奪わそうになるとその侵入者を攻撃する。巣を守ろうとする。
帰巣本能だ。

街ごと津波に奪われて人、家ももちろん流された人。その人たちが帰る場所は・・・故郷は・・・。答えを持てない。

他人事のように言ったことがある。海というふるさとがあるではないか。と。迎え入れてくれる海があるではないかと。海と言う字の中には“母”がいるではないかと。なんの慰めにも励ましにも足しにもならない言葉だったが。

自分の中での「故郷論」。きちんと構築しなければならない年齢になってきた。
「郡山に骨を埋めるんだね」と人に言われる。戸惑う。たぶん、ここに住み続けることだけは確かだ。しかしその先・・・墓の問題はまだ自分の中で解決していない。東京の八王子にある都営の霊園には母が眠っている。祖母の分骨もある。幼くして逝った弟の子もそこにはいる。

そこが「帰る場所」なのか・・・。また戸惑いも生まれる。

“ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの
よしやうらぶれて異土の乞食となるとても帰るところにあるまじや”

室生犀星の詩が、また重くのしかかってくる・・・。

故郷とは、家とは。解を持たない、持てない問い掛けをまたあらためて書くのでありました。

2015年2月16日月曜日

「言葉」が弄ばれているように思う

今の時代、と言うよりも古今東西か。我々が日々目にする耳にする言葉の数々。

例えば「平和」。何回も問うているが、平和の意味が判らなくなっている。
「平和憲法」というものが否定されはじめている。積極的平和主義とかが言われる。

平和とは何か。戦争がないこと、戦争の反対が平和か。

そうれだけでもなかろう。

小学生の時、書き初めに「平和日本」と書いた。平和という事をしっかり理解していて書いたものではない。あの頃の、いわば“はやりことば”のようなものだったから。

高齢に女性教師が、それを見て言った。
「平和という言葉が無くなった時が本当の平和なのよね」と。

その言葉が胸に突き刺さった。今でも忘れられない「一つの命題」として突き付けられたような「教え」だった。

その先生の一言は、今でも僕の中に静かに横たわっている。

誰しもが、平和、平和という。なんとなく感覚的な捉え方としての平和という言葉の意味だと思う。

原子力発電だって、平和のエネルギーという言葉に、価値観に置き換えられたくらいだから。

イスラム、その語源は、アラビア語で平和を意味する“サラーム”から生まれたものだと言う。
あの過激派の行動から、どうやって平和を読み取れるのか。

平和の名のもとになんでも許されるということなのか。

責任。

言葉だけが一人歩きしている。少なくとも、あの戦争について責任を明確にした人はいない。誰も責任を問われてはいない。70年経った今も、それは先送りされたままだ。

自己責任という言葉が幅を効かせる。その対処に当たった国は、それの責任は口にしない。

強い人たちは責任を取らない。責任を負わない。弱いものに責任を押し付けてすべてを終わりにしようとしている。

とにかく「原発事故」の責任はどこでも明らかにされず、誰も責任をとっていないということ。それは明らかに責任を負うべきことであったにも関わらずだ。

そして自由。

それの意味もよく理解できない。誰しもが、全く違った立場や環境にあってもそれぞれが「自由」と叫ぶ。
自由の反対語は何か。不自由という言葉か。

それだけでは説明がつかない。

今、僕たちが何気なく使っている、当然のように使っている言葉。それらを毎日のように目にし、耳にするたびに、との対象を考える時に、言葉の迷路、言葉の森、それは出口の見えない森なんだけど、そこに迷い込んでしまったような思いに捉われる。

弄ばれているような言葉の数々。

言葉の語源を「言霊」と見る以上、それに向き合うにもっと真摯であるべきと思うのだが。


さっき、新聞の朝刊に目を通した。天声人語が「平和」という言葉について書いていた。

//使用頻度が高い言葉ほど手垢に汚れ、切れ味が鈍麻し、意味が曖昧になる。そう言って井上ひさしさんがまずあげていたのが「平和」だった。たしかに敗戦この方使い古されて言葉本来の力がすり減ってしまった感がつよい//と。

たまには良い事指摘するじゃないか天声人語も。

俺が書いているのは「転生塵語」だと思うけれど、塵には塵の「意地」ってものがあるんだ。そう“わめきたく”なってきた・・・。

2015年2月15日日曜日

「改革」ってなんだろう、なんだろう。

45分間の演説の中で「改革」「改革」という言葉が30回以上も連呼され「断行」「断行」が表明されていた。

改革っていったいなんだろう。辞書には簡単明瞭にある。
「従来の制度などを改めてよりよいものにすること」と。

ならば従来の制度は“悪かった”ということか。悪い制度を作って来たのは誰かっていうのは屁理屈か。

改革しなければならない弊害が、制度の中にあるとしたら、それを作って来たのは、守って来たのは誰か。

大方、自民党の“先輩”達でしょ。小泉の郵政改革も然り。それまでの自民党の政策をやめる、替えるってことでしょ。小泉は「自民党をぶっ壊す」てなことも言っていたことだし。壊れはしなかったけど。

何よりも「改革」なるものの内容がわからない。たしかに「農協改革」には手を付けた。自民党にとって最大の圧力団体であった農協を「負かした」。

民主党が政権を取った時、たしかに“圧力団体”でもあり“集票マシーン”であった各種の業界団体が民主になびいた。
まさか、それへの「腹いせ」ってことではないと思うが。いや、本心はそこかな。

我が家の周り。休耕田が出来た。耕作放棄地が出来た。米農家は価格の値下がりで青息吐息だ。コメの行方が心配だ。

農協改革で農家はどうなるのか。豊かな実りのある田園風景は見られるのか。

「集団的自衛権」を力説した時、会見場にパネルを持ち込んで、具体例まで持ち出して縷々説明していたよね。
農協改革でもそれをやってくれなのかな。

介護制度も改革するという。施設介護から在宅介護にシフトさせるという。
その結果はどうなるか。単なる“危惧”で終わればいいのだが、在宅介護疲れでの“事件”が増えたりはしないのか。

改革と言うより、規制緩和って言った方がいのではないか。もちろんその規制だって官僚や自民党政権が構築してきたものなのだけど。

制度改革を言っているのだろう。

でも、今、この国に必要なのは「意識改革」なのではないかと思う。
戦後70年の歩みを振り返って、この国に根付いた意識。ある種の「価値観」。
それの「改革」が提起されるべきだと思うし。

そして何よりも、「改革」しなければならないのは国会改革、選挙制度の改革、政治改革なんだと思うけど。身を切る改革なんて誰か言っていたよな。

「意識改革」。

目指して来た1億総中流という価値観は幻だったということ。
日米安保があるから日本は安心だという認識。
格差を是とする価値観。

寄らば大樹の陰、みんなが言うからそっちにつくという安易さ。過去を忘れ、未来の想定も出来ず、「いいじゃないの、今がよけりゃ」という逃避。
“日本人の忘れ物”を探しにいかねばという勇気。

政治家に、官僚に任せる以外に無いという、ある種の“自己弁明”。安倍に言われて気づくのではなく、彼がなんと言おうとも、民草が意識を改革するべきだということ。

過去を振り返れば、そんなことはいっぱい学んできたはずなんだけどな。

今でもすぐに考えられ、実行出来る改革。そう、電気に依存しないという、電気をなるべく使わないという生活様式。
少なくとも電力不足になる。国富が流出する。経済が立ちいかない。そんな子供だましのような再稼働容認論議を排斥する知力の構築。
出来ると思うんだけど・・・。

2015年2月14日土曜日

なぜ今「三島由紀夫」なのか

多少、数日前の投稿と重複するけれど・・・。

なぜか不思議なのだ。このところ随所に「三島由紀夫」が“登場”してくるのだ。

昨夜、気の置けない友人たち6人との会合があった。話しのどんな脈絡から出て来たのかは思い出せないが、一人が「最近、三島由紀夫の豊穣の海を読んだ」と言い出した。

輪廻転生を描いたものだと言い、その文体の美しさにあらためて惹かれたと言っていた。
しばらくは「盾の会」、三島の自決をめぐっての会話が続いた。

今朝のテレビ番組。サワコの朝。ゲストは美輪明弘。三島の戯曲「黒蜥蜴」の公演を最後にするという。

「あの芝居は大変なの。特にセリフ。三島さんの日本語はあまりにも美しいのよ」。失われた日本語の美しさがそこにはあるということと聞いた。

週刊朝日ではドナルド・キーンが書いていた。三島のことを。親交の深かった文学者として。彼の礼儀正しさに日本人を見たとも。
「自決の理由はわからない」と結んであった。

そして数日前の塾で三島のことを僕は話していた。祖父、平岡定一郎は、明治30年代の福島県知事だったということから始まって。

いや、その前に「国家」という話をした。それがプラトンの書いた本の題名であり、プラトンはこよなく自分の肉体を美しく保ったということ。
そして「プラトニックラブ」と言う言葉もプラトンの名から来ているということ。

エロスとミューズをアカデミアという理想国家の理念としていたということ。

哲学の理念としてある「真・善・美」。その美の探求者であったということ。
プラトンを否定しては三島の美学も成り立たないということ。などなどを。

三島を敬愛していたという“新右翼”、一水会の代表だった鈴木邦男は郡山生まれだったということ。その鈴木が否定している安倍政治。

三島の自衛隊事件の「檄文」にも触れた。自衛隊は憲法違反である。違反のまま放置されている自衛隊。警察の「補完勢力」でしかない自衛隊。やがてそれはアメリカの“傭兵”とされるという論理構成。

山本七平はユダヤ人、イザヤベンダサンの名で、「日本教について」という本を書き、その中で三島の檄文に頁を費やし、あの檄文がいかに冷静で論理的に構成されているかを述べているかという見方を話した。

なぜ、意図したかしないかはともかく、今、三島由紀夫が各所に登場してくるのか。その美しいとされる日本語、そこにある「美学」。

まさに安倍なるものへの「美しい国日本」を言い出した、その無味乾燥さ、そして、今のなんら論理的構成も無い軍事化路線への、アンチテーゼをいくばくかの人が模索し、それの“帰結”を三島に求めた、探したということではないのかと。

東大安田講堂に単身乗り込み、数百人の全共闘を相手に長時間議論を重ねた三島。どこかに議論し合うことでの「右」と「左」という大きな溝を埋めようとしたのではないかと思われるその行動。

三島が自決したのは11月25日。その3か月前、ドナルドキーンは三島と海に行っている。三島の遠くを見る目を気にしたキーンは「何か心配事があるなら言って下さい」と言った。三島は視線をそらして何も言わなかった。「きっと彼はその時、11月25日のことを考えていたのでしょう・・・」とキーンは述懐している。

キーンの一文のタイトルは「昭和からの遺言」。

もし三島存命であれば、平成の今の「安倍政治」、「安倍的なもの」に何を語っただろうか・・・。

言葉も姿も全く美しくない、今の日本。その宰相。それをよしとする政治・

2015年2月13日金曜日

「フクシマ」は政治の場から消えた

きのう、安倍は施政方針演説を行った。大音声で「戦後以来の大改革」を叫んでいた。でも、何をどうしようというのかはさっぱりわからなかったけど。

安倍の演説の全文を読んだけど、そこに「福島」という言葉は無かった。
原発に関しての言及は“再稼働”させるだけ。

2年前、参院選時、遊説の第一声に福島を選んだ安倍。そこでこう言ってのけた。
「福島の復興無くして日本の再生無し」と。

それを聞いた福島の人達がどれだけ評価したのかはわからない。でも、自民は勝った。

去年暮れの衆院選。南相馬だったか。やはり安倍は同じようなことを言ったはず。自民は勝った。

「福島」は彼の“方便”に使われたのだ。

一昨年の参院選。安倍が演説する駅前に、“聴衆”の後ろに、一人の女性が、ボードを持って立っていた。「総理、原発廃炉に賛成ですか、反対ですか」とだけ書いたボード。

彼女は“警備の人間”によって排除された。その人たちは時の候補の森まさ子の秘書や自民党関係者、警察官だったと聞く。
福島県民が福島県民を「排除」するという図。

彼女は二本松市のお寺の住職の奥さん。母親。今も、子供たちの支援活動に励んでいるのだろう。

沖縄辺野古にいまある光景と、あの時の光景が重なる。県民が県民を排除すると言う構図。

2年前は過去か。たしかに過去ではある。あの時と、さらには去年の暮と、「フクシマ」をめぐる状況は変わったのか。なにも変わっていない。変わったのは多少の風景だけ。壊れたものが撤去されただけ。自動車道が出来ただけ。

復興無くして再生無し。論理的には矛盾したものだったが、彼の言う日本再生は、「戦後以来の大改革」に代わったのだ。

福島の復興とは単なる選挙の口実だったのだ。

悲しくないですか。

昨日の大演説を聞いて、議場で聞いて、福島県選出の議員はどう思ったのだろうか。何も思わなかったのだろう。

福島県議はどう聞いたのか。市町村議員はどう聞いたのか・・・。その心中を聞いてみたい思いだ。

あなた方は地元では、何かというと、実態のあるなしに関わらず「復興」「復興」と言っているではないか。

だから、昨日書いたワイツゼッカーの演説があるのだ。目を閉ざしているのではない、「無かったこと」としている。現在に対して盲目か。そうだ、こと福島に関しては盲目であることをよしとしているような。

正体見たり枯れ尾花。

しかし、かれは枯れ尾花ではない。君臨する帝王だ。

まだ「フクシマ」はいわば全国に継続中だ。進行形だ。過去でもなんでの無いのに。

福島の視点から、あの演説内容に言及したメディアも、僕は見ていない。

そして多くの論調は、福島を通り越して「再稼働」の話しに向かっている。

原発事故は有り得る。

その前提に狂いは無い。いつ、どこがかの問題だ。

福島の“過去”に目を塞いでいるのかと。

デマ、風評は相変わらず飛び交っている。それには目を閉ざさない。勝手に“真実”だとして、拡散することに余念が無い人たちがいる。

半年前、福島で吐いた“公約”。一年ちょっと前に吐いた“公約”。日本再生のキーワードとしての福島。それになんら言及しない。

歴史の“汚点”として残る「名演説」だったと“評価”しておこう。「フクシマ」は政治の場からは消えたということを記憶する。

2015年2月12日木曜日

「荒野の40年・・・」。

ベルリンの壁が崩壊し、統一ドイツが成し遂げられた時、当時の大統領、ワイツゼッカーが議会で行った演説の題名。「荒れ野の40年」。

そこにあった「言葉」は、至言をして今に生きており、歴史上語り継がれるであろうと思う。

時々引いた言葉。

「歴史の中で戦争と暴力に巻き込まれることから無縁の国などほとんどない。しかしユダヤ人の大量虐殺は歴史上、前例がないものだ。
 この犯罪を行ったのは少数の者だった。あまりにも多くの人が、起こっていたことを知ろうとしなかった。良心をまひさせ、自分には関わりがないとし、目をそらし、沈黙した。戦争が終わり、ホロコーストの筆舌に尽くせない真実が明らかになったとき、それについて全く何も知らなかったとか、うすうす気付いていただけだと主張した。
 ある民族全体に罪があるとか罪がないとかいうことはない。罪は集団的ではなく個人的なものだ。発覚する罪もあれば、ずっと隠されてしまう罪もある。あの時代を生きたそれぞれの人が、自分がどう巻き込まれていたかを今、静かに自問してほしい。
 ドイツ人だからというだけで、罪を負うわけではない。しかし先人は重い遺産を残した。罪があってもなくても、老いも若きも、われわれすべてが過去を引き受けなければならないということだ。

 問題は過去を克服することではない。後になって過去を変えたり、起こらなかったりすることはできない。

“過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になる”。非人間的な行為を記憶しようとしない者は、再び(非人間的な行為に)汚染される危険に陥りやすいのである」。


戦後40年にして行われた演説だ。ドイツ国民の多くはこれを覚えている。いや、ドイツだけでは無い。ヨーロッパの国々でもだ。

昨日、ベルリン大聖堂で行われた公式追悼式典。各国首脳が列席した。

彼の「言葉の力」がドイツ国民の意識を変え、ポーランドまでがこの演説によってこころを開いたという。

この追悼式典で、今のガウク大統領は、ドイツ国旗に包まれたひつぎの前でこう述べたという。
「元大統領による一九八五年の演説が重要なのは「誰も気づいていないことを言ったからではなく、その時点でさえ知りたくないと思う人たちがいる中で、国民が知らなければならないことを語ったからだ」。

「国民が知らなければならないこと」。その指摘は重い。

我々はそのことの意味をもっともっと感がえるべきではないのだろうか。
今、我々はそんな“環境”の中にいるということだ。

「イスラム国」事件による後藤さんのことも然り。原発問題も然りだ。何よりも沖縄の現状だ。辺野古の海の中で起きていること。巨大なコンクリートブロックがサンゴ礁を破壊しているということ。

40年後に行われたこの演説。福島原発廃炉まで40年と言われる。40年後、この国の首相はなんという言葉を発して、その「非」を語るのだろうか。
多分、語るまい。

戦後70年、沖縄には今もって「70年前」が存在している。70年間が存在している。米軍基地は“固定化”されたままだ。戦後レジュームからの脱却を言うなら「沖縄」への言及があって然るべきだし、知ろうとしなかったことへの、為したことへの反省があって然るべきだが。

「70年」で安倍は“談話”を出すと言う。彼の「言葉の力」をもってして、国民の心を揺さぶり、世界に向けて日本と言う国が如何に“正義”に立脚した国であり、過去への“反省”を述べられるか・・・。

その予測も含めての“結末”を書くのは悲しすぎるような予感ありだ。
今、まさに日本という国は「荒野の中」にあるのかもしれないし。

2015年2月11日水曜日

「建国記念日」に思うこと

今日、2月11日は「建国記念日」。国民の祝日。ハッピーマンデーとやらでも動かせない日。

子供の頃、親の世代は「紀元節」と言っていた。そして♪雲にたなびく、高千穂の~~~♪なんて歌を歌っていたような記憶がある。

昭和41年だったか、42年ごろだったか。この建国記念日制定を巡って国会の中は騒然としていた。

2月11日という日がなぜ「建国記念日」なのか。日にちの根拠はいまでもはっきりわからない。わからないというのは、それが旧暦か新暦か。何をもってこの日なのかということもある。

神武天皇にちなんだことなのか、そうではないのか。そもそも「日本」という国は何時からあったのか。
紀元節・建国の日。いわば「天皇の世紀」だ。

古事記をひも解いても、日本書紀をひも解いても“正解”はなかなかみつからないようだ。

紀元節と言われた日を建国記念の日とする。それをめぐって当時、歴史学者を交えて論争が展開されていたし、あの頃の「空気」はまだ戦後をひきずってもいたし。

結果、建国記念の日を政令できめるという法律は出来上がった。その過程であったこと。それはあくまでも「祝日法の改正」という言い方。目的は建国記念日だったのに、ほかにも祝日を設け、どこか“めくらまし”、“本命隠し”のようなやり方でこれが制定されたということ。

どこか今の改憲論議のやり方と似通っている。

9条改正が本命なのに、やれ環境権や福祉権などを前面に出し、多少なりとも本命隠しを図ろうとしてること。

政治のテクニックとしてあり得るということ。

何をもって「建国」とするかの“定義”がきちんと存在していない。それは多くの人がわかっていることだが、「建国」とはいつか、「日本」という国はいつから存在しているのか。それはいまだに「諸説紛々」なのだ。

国旗・国歌法によって日の丸掲揚が法律上は義務付けられる。日の丸を国旗とする。日章旗では無い、日の丸をだ。それはおおかた定着している。国歌としての君が代。それの「謂れ」も、“君”が天皇を指すのではないということも、近年ようやく理解され始めた。

国旗。たとえばフランス国旗。あの三色旗には「理念」が込められている。自由・平等・博愛という理念が。それがあまねく国に浸透しているかどうかはともかく。アメリカ国旗としての星条旗。そこの星はアメリカ合衆国の、それが合衆国であるということから州の数だけ星をあしらった。それにもとずいた「理念」のようなものがある。スターズ、ストライプス・フォーエバーだ。

では、日の丸の理念とは何か。白と赤の色彩のコントラストのことか。違うだろう。赤は太陽を表し、日出る国ということか。白は純潔、赤は博愛と活力を意味するということか。

その昔は船舶が航海するにあたっての標識だったともいわれているし。

この日に異論を唱えているわけではない。

日本青年会議所の世論調査では、日本の建国の日を知っている人は約2割だったという。
若者には特に低い認知度・・・。
アメリカや中国は9割を超えているとか。

絶対的天皇崇拝者であった三島由紀夫は書いている。「“愛国心”という言葉はあまり好きではない。官製の匂いがする」と。そして言ったという。
「本物の愛国者は、自分を愛国者とは言わない」とも。

2015年2月10日火曜日

グローバル社会の中のドメスティックさ

今、21世紀はグローバル社会だという。グローバリズム、グローバリゼーション・・・。グローバル経済、グローバルな人材育成・・・。

グローバルという言葉が氾濫している。もちろん政治の場でも。

明治維新前後を思う。こぞって西欧に目を向け、列強に伍すとした若者たち。

「坂の上の雲」に彼らは何を見たのかということを。

文明開化、近代国家日本。それが日本の選択として果たして正しかったのかも、今となってはいささか疑問符がつく。

明治政府はすでにして天皇を「政治利用」し、有名無実の存在に祭り上げてきた。天皇の名を使って、それに抗えない国民性を利用して、己らの権力行使に躍起となってきたような感。

グローバルの名のもとに、TPP交渉を加速させ、その一環としての農協解体。

そして、真逆にある“国家としての日本”。

よく耳にすること。海外で航空機事故や海難事故がある。すぐに「日本人乗客は」となる。いない。その事故を報道しなくなるメディア。多くの外国人が被害にあっている、亡くなっているというのに。
グーロバルなら人の命は国籍関係ないだろうともいいたくなるこのドメスティックさ。

後藤さんの事件を思う。彼が日本人だったから大騒ぎしたのか。ジャーナリストだったからなのか。山本美香さんの時とは大違いだ。

アメリカもヨルダンも「イスラム国」への空爆をさらに過激化させている。800人の兵士を殺したと「当たり前のように」伝えるメディア。

目に見えたことしか関心がいかない。
「国家」はそれをもう忘れたことのように動いている。

何故この事件が起きたのか、この事件の持つ意味は。あまり関心が無いようだ。

国による“交渉”も含めた検証なるもの。原発事故がそうであったように、何もせずに終わってしまうのではないかという危惧。

時あたかも集団的自衛権論議が燃え盛っている時だったから世間は大きな話題にしたのか。
その前に「シャルリ・エブド」の事件があったからか。

ドメスティックになる。二つの事件を思い出す。もう世間からは忘れ去られてしまったことを。

去年6月か。新宿駅の南口で焼身自殺を図ったひとがいる。憲法を読み上げ、与謝野晶子の「君死に給うことなかれ」の詩を読みながら自分の体に火を放ったひとのことを。

その人は路上生活者のようだった。そんな後追い記事があっただけで、その人のその後は伝えられない。

その後、日比谷公園で、やはり改憲反対、集団的自衛権反対を訴えて焼身自殺を為した人がいる。
それも、その後話題に、ニュースにならない。しない。

それらは何を物語っているのだろうか。

後藤さんにしても湯川さんにしても、山本美香さんにしても、ヨルダン人パイロットのことにしても、そして「戦争」で死んだ人も、兵士でも民間人でも、大人でも子供でも、「命」ということに置いては、みな“平等”なはずなのに。

「政治」が「外交」が絡むと問題視されると言うことなのか。「テロ」という言葉があると問題視されるということか。


忘れている。忘れられている。

孤独死、介護死。忘れられた多くの死が我々の周りにはあまりにも多い。

あの「イスラム国」のテロの標的が、過去にあったように外国人のジャーナリストだったらどういう扱いをされていたのだろうか。この国はどういう反応をしたのか。

国家とは何か、民族とは何か、そして宗教とは・・・。

だからね、今の日本と言う国の“正体”を見極めたくなるのだ。
おどろおどろしい格好をして威嚇しまくっているヘイトスピーチなるものを外国人排斥を言うあのバカな奴らがなぜ寄生虫のように生まれたのかも含めて。

それを「放置」している、時には「擁護」しているようにも見える、そのあまりにも“ドメスティック”な世情をどう読み解けばいいのかも含めて。

2015年2月9日月曜日

「自己陶酔」あるいは「自己愛」

全くの個人的な感想です・・・と一応前ふりをして。

安倍晋三と言う人は、きわめて自己愛、自己陶酔に陥っている人だと思う。

自己陶酔型の人は、まず自分のことを常に「正しい」と思っている。辞書にはこうある。「自分で自分自身の素晴らしさに、うっとりとすること」と。

だから自分が発した言葉、行動、それらはすべて正しいと確信している。反論したり、抵抗したりすると攻撃的になる。

一旦発した言葉は、何があっても撤回しないし、批判にさらされると、さらなる言葉でそれを糊塗しようとする。

自己陶酔型の人は、多くの人が自分を支持してくれていると思っている。
支持してくれているような人は「仲間」だと思う。

だからよく使う。「我々は」という言葉を。そして、徹底的に持論、自論の拘泥する。何があってもそこから抜け出そうとは思わない。

そしてあり人達は、それをして「論を曲げない立派な指導者」だと見る。

国会で野党が質問すると、あらかじめ、なんでも自分を攻撃してくるのだと確信しているから、滔々と持論をまくし立て、いわゆる「かみ合わない議論」を招く。

政治家にはえてして「自己陶酔型」が多い。いや、そうでなくてはなれないのが政治家かも。

田中角栄だってある意味「自己陶酔型」だった。自らの演説に酔っていた。
日本列島改造論は多くの支持をもって迎えられた。その渦中にいる時は、それが、やがて何をもたらすかを想像もしていなかったと思う。

かつて保守の政治家は、政界とは直接関係ない、政治家で無いブレーンを持った。その人たちに「指南」を仰いだ。

それは安岡正篤であり、四元義隆であったり。少なくとも安岡は頑迷固陋な「右翼」でも無いと思っている。東洋思想家だとも。そして人の思考に範囲は余りにも広かった。

みるところ安倍にはそういう「師」はいない。いや、求めないのだろう。自己愛で生きているのだから。

人間だれしも自己陶酔という心根を持っている。

例えば三島由紀夫。盾の会を作り、自衛隊員を前に檄文を読み、割腹。まさに「自己陶酔の世界」にいた。ある人はそれを“狂気”だと位置付けた。そうは思わなかった。彼の耽美観。美の追求の結末だったとも思う。

例えば反原発集会に参加している人達。その運動、行動に参加した、そこに居たということでの「陶酔」。

安倍とは対極のものだが。

で、安倍の自己陶酔。こよなく危険だと思う。

ギュスタフ・ル・ボンの論考を借りるまでも無く、どこか、国民大衆を扇動し、全体主義的国家を目指すあのヒットラーに似通う精神性を感じるから。

「もう一人の自分」という言葉がある。それはえてして物を考える時に言われる言葉だ。もう一人の自分。それはもう一人を諌める自分だ。

自己陶酔型の人には、おおかた「もう一人の自分」というものが存在していないのだろう。

安倍晋三という人の“精神分析”をしても始まらないが、時々彼の眼に宿る“狂気”の眼差しから逃れたいと思う。

彼の「陶酔」が、どこかでは生殺与奪の権を握ってもいるのだから。

余談にようだが、村上春樹がアベノミクスを皮肉ってか、猫と借りて、そう彼は猫好きらしいのだが、ムラカミクスというのを書いているとか。
「一の矢、知らん振り。二の矢、照れ隠し。三の矢、開き直り」だそうだ。

猫は自己愛が強いのか。陶酔型なのか。猫にあったら聞いてみよう。

2015年2月8日日曜日

「ずっと勘違いしてきたのかもしれない」

小学生の時、書初めで「平和日本」と書いた時から、この国は「平和な国」だと思ってきた。もちろん、国内では事件や事故があり、“騒乱”のようなことはあったが、この国は平和を希求する国であると思ってきた。

勘違いだったのだ。

平和と言うものの「価値観」は人によって違う。多様性を持っていることはいいことだ。

でも、明らかに「好戦的」な“感情”を持っている人が首相になり、平和と言うものの意味がわからなくなり、国を守るという概念が変わり、戦争をする、平和でない国になろうとしているように思えてならない。

それは首相個人だけがそうだということではない。
戦後70年、そこにあった「平和」に倦んだ人たちが増えたのだろうか。
まったく意味のわからない「積極的平和外交」なんていう言葉が乱造され、他国を攻撃するための「有志連合」に加わる。

「平和」は遠のいていく・・・。身近にあると思っていたものが。

そのために「憲法」を改正しようとする。改正という正の字は使いたくないが。
その本丸としてある「憲法第9条」。その他はいわば付け足しというか目くらまし。

この国は「自由」な国だと思ってきた。言論の自由は保障されているものと思ってきた。
隠れて行われてきたことが公然と行われるようになった。その言葉の意味のはき違いも含めて。
その自由の剥奪が当然視されるようになった。

シリアに取材に行こうとする人の旅券が返還させられた。逮捕するという言葉まで使って。
8.500キロ離れた国の実情を知ることが難しくなった。

渡航禁止、報道の自由。それを強権力が阻止する。それは憲法違反だ。訴訟にあたいする。それを「知って」いながら“禁止”する。

「面倒なことは避けたい」。そんな国の“怠慢”が底に潜んでいるような感じがする。

「自由」についても勘違いしていだのだ。

言わずもがな。原発の安全性。「安全」ということについても国が保証している限り安全なものだと思っていた。それも勘違いだった。

あんなことがあったら誰かが責任を取るものだと思っていた。「責任」というものが存在するから国は成り立っているのだと思っていた。

それも勘違いだった・・・。

大震災も原発事故も、誰も忘れない、忘れ得ないことだと思っていた。
でも、大方が「忘れる」という選択を、その風潮に身を置いているようにも思える。

なんかみんな、かんちがいだったのだ・・・。

アメリカという国は「平和」を希求する国だと思っていた。自由・平等の国だと思っていた。どうやらそれも違っていたみたいだ。

自分の中にあった「勘違い」を責める以外にないのだろうか・・・。

2015年2月7日土曜日

“横たわる”植民地主義

世界の歴史は「植民地」をめぐる歴史と理解してもいいのかもしれない。

植民地主義という思想があり、それは自分たちの“文化”を、植民地とした「国」に植え付けようとした。

イギリスも長い間、たとえば香港を植民地としてきた。それは「戦争」のよる“戦利品”として、その他の国が認めたものだ。

オーストラリアも植民地にした。たぶん今でもあるのだろう。イギリス人の提督という存在。

オーストラリアの原住民、アポリジニを囲い込み、追い出し、貧しい暮らしを強いた。

清教徒としてのアメリカ人も、原住民であるアメリカインディアンの地を奪い、フロンティア精神の名のもとに、西部開拓史という映画にもあったように、インディアンを悪人として扱い、あげく、アフリカから奴隷として、アフリカ人を連れてきた。

我が家の犬、犬種は「ビションフリーゼ」という。フランスの犬だとされている。フランスの貴族夫人が連れて歩いていたあのフカフカにトリミングされた犬。

原産地はマルタ島だという。フランスの植民地だったマルタ島。そこから貴族夫人の愛玩犬として連れてこられたという。

フランスは植民地政策に狂奔して国でもあった。植民地から安い労働力として移民を移住させた。

植民地政策。それは搾取とつながっている。

フランスに移住してきた、移住させられた人の中の多くがアラブ人、イスラムの人と言うこと。

日本だってそうだ。満州を植民地化し、東南アジアにも触手を伸ばした。

琉球王朝をも併合と言う名のもとに植民地化した。そして砦として米軍基地の固定化をはかっている。

沖縄だけではない。東北だって、ある意味、大和朝廷の搾取の対象であった。

そこにいたはずの蝦夷の民は、“植民地化”されて民として扱われ、追いやられてのかもしれない。

中国だってそうだ。異民族を支配下に収め、中華思想を植え付け、弾圧を繰り返している。
ロシアだってそうだった。ソビエト連邦共和国、それは、植民地政策の帰結として生まれたものだった。

アフリカの大地に眠る資源は大国によって狙われている。南アフリカにあったアパルトヘイト。

「イスラム国」というあの過激で残酷な集団がなぜ誕生したのか。

アメリカによるイラクの独裁政権打倒。シリアの独裁政権打倒。それは、清教徒、キリスト教徒によるイスラム教との宗教対立にも見える。

「イスラム国」なるところには宗教としての“イスラム”は存在していないのだろう。

もろもろ・・・。植民地主義的精神が、世界のあちこちである「戦争」の根底に“横たわっている”ようにも思えてくるのだ。

学校教育では「植民地」の歴史を「コト」として教える。それが何をもたらしているのかまでは行っていないのではないだろうか。

「自由・平等・博愛」。誰しもが否定しない思想。しかし、それを掲げる人たちが現実に行っていることとの隙間。

シャルリーエブドが掲載した“諷刺画”、それを諷刺画とは認めないが、それを日本の出版社が出すという。それが表現の自由という範疇に入るとは思えない。

そんな場でも日本がテロの標的にされかねないということ。

植民地政策が「欲」を伴って行われてきたように、この事とて欲以外の何物でもないと思うのだが・・・。

2015年2月6日金曜日

今、僕たちが考えねばならないこと~5~

「命」ということを考える。「死」ということを考える。あらためて。

人間にとって「絶対」ということは「死を迎える」ということだ。必ずいつかは死ぬ。

だから「絶対」という言葉は使わない。使えない。ずっと前からそう思っている。

「死」はいつも隣り合わせにいる。やがていつか来るであろう自分のことも含めて。

死にもいろんな死がある。寿命が尽きた死もあれば、病を得ての死もある。
突然襲ってくる死もある。
身内や友人、知人の死を知ると、それに接すると「死について」考える。

ニュースでは連日のように殺人事件が伝えられる。その犠牲者は子供であったり、老人であったり。

死者を悼む、それは生者としての“行為”だ。死者が死をどう思っているのかは多分誰もわからない・・・。迷路に入り込むような死についての思考。

「3・11」で我々は、瞬時にして起きた、発生した多くの死者を見た。あまりにその“数”が多すぎるゆえか、「死」について考えることが出来なくなるような。

家族や遺族、その友人たちはその「死」を考え続けている。背負っている。
しかし、いくら多くの死を見、知ったとしても、それは他者にとっては、大方「忘れられて」行く。記録としてだけその「数字」が残る。

「死」とは一体何なのだ・・・。いつも付き纏う曖昧な問い掛け。

今、日本では多くの人が後藤さんや湯川さんの死を悼む。それは、その「死」が投げかけた問題があまりにも多岐に渡り、影響力が大きいからだ。
残酷な言い方かもしれないが、「考える素材」として、その死があったということだろうか。

戦争はどこにでもある。戦争がある限り、それによる死者は絶えない。

報復はまた新たな死者を生む。これまでも、例えば空爆によって、兵士はもとより、民間人や子供が多く殺されている。
その“事実”を知っている人は知っている。知ろうとしない人もいる。

「死」とは何なのだ。「死」に意義があるのか・・・。

それがいかなる形であれ、人は死に恐怖する。

死に対する疑問を例えば宗教は解決してくれるのか。宗教に名を借りた戦争があるというのに。

「日本人には指一本触れさせない」と“主導者”は言った。たった一人の政治家が、権力者が、それを言ったところで「死」は無くならない。

不条理な死が溢れている。それは、また身近なものになった。

戦地で倒れる死は「美しい」ことなのか。特攻隊は「美しい」ことだったのか。
テロ集団が行う「自爆テロ」というのは美しいことなのか。

美しくなんか無い。

後藤さんの死の意味を多くの人が考えている。今は・・・。それは、ジャーナリズムというものと関連してくるからだろうし、彼の「死」は、我々に「イスラム国」というもの、それに端を発した「あらゆること」を考える場を提供してくれた。

誰も、人の死を無駄にしたくないと思う。そう言う。

「3・11」で生じた多数の死者。その死を無駄にしないと言うことは何か。
沖縄で犠牲になった多くの国民の死を無駄にしないということは何か。
原爆で亡くなった人たちの死を無駄にしないということは何か・・・。

死の反対語は生だ。戦争の反対語は平和だ。だから生者は死者を考える。
戦争があるから平和を考える。

長年生きてきて知ったのは、多くのさまざまな「死」があるということ。

不条理な死、無益な死、無意味な死。誰かによってもたらされる死。
それとどう向き合い、それを咀嚼していけばいいのか。

迷路から抜け出せないが、それを考え続けるという“作業”だけは続けねばないらないと思う。自分が死するまでは・・・。

ジャーナリズムの死だとか、この国は死んだとか。「死」という言葉を濫用して欲しくないとも。

2015年2月5日木曜日

今、僕たちが考えねばならないこと~4~

昨日、ワイツゼッカーの言葉を引いた。「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」という有名な言葉を。

その演説はこんな言葉で始まっている・・・。

“ 五月八日は記憶の日である。記憶とは、ある出来事を誠実かつ純粋に思い起こすことを意味する。
 われわれは戦争と暴力の支配で亡くなったすべての人の悲しみを、とりわけ強制収容所で殺された六百万人のユダヤ人を思い起こす。戦争に苦しんだすべての民族、命を落とした同胞たちを思い起こす。虐殺されたロマや同性愛者、宗教的・政治的な信念のために死ななければならなかった人たちを思い起こす。ドイツ占領下の国々での抵抗運動の犠牲者を思い起こす。数えられないほどの死者の傍らで、悲しみの山がそびえ立っている。
 
この犯罪を行ったのは少数の者だった。あまりにも多くの人が、起こっていたことを知ろうとしなかった。良心をまひさせ、自分には関わりがないとし、目をそらし、沈黙した。戦争が終わり、ホロコーストの筆舌に尽くせない真実が明らかになったとき、それについて全く何も知らなかったとか、うすうす気付いていただけだと主張した“。

“盲目”の意味を考える。それは、今、よくいわれ、使われる言葉としての「思考停止」ということではないかと。

アイヒマンが全く無表情のように、虐殺のボタンを押していたこと。彼の日常としての行為。

アイヒマンの中にあった思考停止。

「悪の凡庸さ」とハンナ・アーレントは呼んだが・・・。

あの「イスラム国」の殺人者、残忍な殺害行為。彼のすでにして思考停止に陥っていた奴なのだろう。

思考が停止しているから、勝手に「神」を持ち出す。アラーの名を使う。そこには“自己”は存在していない。

戦場とは常に“狂気”が支配する場所だ。人を殺すということへの正常な思考は全く働かないところだ。

なぜ、「テロ」が起きるか。格差・貧困・教育だと識者は指摘する。教育とは何か。知識だけではないはず。

考える力を養うことだ。

何も考えていないような、アジテートのような言葉が権力者から吐かれる。
「テロとの戦い。テロに屈しない」。これとても思考停止がもたらすものかもしれない。

「屈しない」と、多くの人が言っても、いくら言ってもテロは無くならない。

屈するとは何を指すのか。「屈したい」、「屈するべきだ」と考える人なんていないはず。

もちろん「時代」は違うかもしれないが、あの1977年の赤軍派によるハイジャック事件を思い出す。

“人間の命は地球より重い”。そう言って超法規的措置として、赤軍派の連中を釈放した福田赳夫。

そして福田内閣は総辞職への道を選択したという40数年前に、日本にあった「テロ」の問題・・・。

テロと戦う。それはテロを相手に戦争をすることではない。テロを無くすような努力をするという事ではないか。テロがおこらないような”状況“”環境“を、それを忌む人が図ることではないか。

相変わらず、北海道の北星学園に、朝日の元記者のことで脅迫文が届いたという。受験生に危害を加えるという内容だと言う。

これだった明らかに「テロ」の範疇に入る行為だ。しかし、それは、いわゆるヘイトスピーチの世界と同じように、ある種「正当化」されたものとみなされている。そう見ている人も多い・・・。

「思考停止」。もう一つの意味もあると感じる。
考えることを放棄したということ。考える能力を越えてしまっているということ。考えられなくなっているということ。

原発事故後の、あの官邸や東電本社がそうであったように・・・。

2015年2月4日水曜日

今、僕たちが考えねばならないこと~3~

なんでテロが起きるのだろう。なんで戦争があるのだろう。

もし子供にそう聞かれて確かな答えを人は持たない。今起きていることだってうまく説明できないだろう。

格差、貧困、差別・・・それが根源だという人もいる。
人間の「欲」だとも思う。

人類の歴史は「戦争」の歴史だということ。

それは大昔からそうだった。戦争が歴史を作ってきた。歴史を語るという事は畢竟「戦争」に行き着く。
日本の歴史、近代史に至るまで「戦争」を抜きにはこの国の歴史は語れない。

戊辰戦争、日清、日露、太平洋戦争・・・。
今年の位置づけは「戦後70年」。

ヨルダンのパイロットはすでに殺害されていた。その画像が公開されると、ヨルダンは女性死刑囚の刑を執行した。

「テロ」という名の、その事象を巡っての報復の連鎖は続くのだろう。
憎しみの連鎖、憎悪の連鎖、報復の連鎖・・・。

テロの被害者である日本の首相も、自らの言葉として「罪を償わさせる」と断言した。
もちろん、戦争を仕掛けるという直接行動では無く、国際司法裁判所に訴えるなどのことを指したのだとは思うが。

そして、この国はテロの標的とみなされるようになった。

事の発端はイラク戦争だ。アメリカ軍のイラク攻撃。2003年。アルカイダからイスラム国へとつながる中東のテロの系譜。

ロシアとウクライナもしかりだ。大国は軍事力をもって制覇をはかる。

アメリカが「アメリカ」で有り続ける限り、戦争は終わらないのかもしれない。

そこに常に犠牲者、死者が出ることを、もう誰もおかしい事と思わなくなったのか。

ハンナ・アーレントの言う「悪の凡庸さ」が正当化されてしまっているのか。

ル・バンの言う「群衆とは」の中に世界中が組み込まれてしまっているのか。

「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」。

あのワイツゼッカーの言葉は、投げかけたメッセージは“戦争指導者”の眼にもとまらず、耳にも届いていないのだろうか。

戦争の原因は「欲」だと書いた。そうだろう。領土欲、資源獲得欲・・・。

同じイルラム圏での戦争。石油資源をめぐる争い。

エネルギーと言う、それを必要とする、それが絶対だとする世界が出来上がってしまった。

戦争放棄を宣言した憲法を「いらない」という日本人も増えている。

「この前までは、ニッポン・ジャパンと書いて服を着てればシリアでもイラクでも人々は歓迎してくれていた。それが出来なくなった。国名を隠さないと危険だ。悲しい」。現地にいるNGOの人が言っていた現実。

難民支援を民間ではできなくなったという現実。軍隊に守ってもらわねばそれが出来ない。いや、軍隊が出来ないから民間が行っていたはずなのに・・・。

宗教戦争・経済戦争・・・。戦争と言う言葉が何にでも適用されるということ。

多分、好戦的言辞を吐くオバマ、それと同じ言葉をつかう日本政府。アメリカのいう「有志連合」は「イスラム国」への軍事行動を激化させるだろう。ヨルダンもそれに加わる。

「イスラム国」を軍事力で壊滅させられるのか。無理だ。その“思想”(悪としての)持った人たちは世界中に散らばっている。その“思想”に懲りかたまった奴らを無くすことは不可能だろう。

だからこの平和憲法なるものを国是としているはずの日本だって標的にされ、すでにして国内警備、警戒が最大課題とされている。
在外邦人だって危険にさらされている。

それこそ大きな「国富」の損失だろう。原発国富論を言う人達よ。

テロ・戦争。21世紀をくくる言葉になってしまったような・・・。

そこから抜け出す出口は無いような。その迷路の中で、自分の思考としての出口を見つける作業をしなければ・・・。“盲目になった”日本人にはなりたくないから。

“目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。-そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった”。

後藤健二さんのツイートにあった言葉を考える。

2015年2月3日火曜日

今、僕らが考えなくてはならないこと~2~

郡山のテレビ局にいた時、アナウンサーにこんな事を言っていた。
アナウンサーは全員が東京や他県から来た人たち。

「ニュース原稿を読む時、例えば天気予報でも、書かれた地名だけ読んでいたのは“伝えた”ことにはならない。時間を見つけて全県を回れ、その地の風景を見ろ、そこの人と会話しろ、そしてその町の空気と匂いを感じて来い。
その地名を読む時、脳裏にその記憶が蘇るはずだ。そこから発せられる言葉は、読むだけの言葉とは違う。まして読み間違いなんて起こらない」と。

伝えるということはそういうことだと思っていたから。

先日も書いたか。癌で亡くなった看護師、社会福祉士、柴田裕子さん。
「全ては現場にある。そこを見る眼と、その人の言葉を聞く努力、読み取る力を養いなさい」。か細い声で、やせ細った手で後輩の手を握り話し続けていた。

一昨年か、講演を依頼された。演題は「知るという支援」とした。福島を語る上でのこと。

とにかく現地を見る、福島を見る。そして聞く、その地の人の声を。それが「知る」ということ。知れば「考える」。どうすればいいのか、何をすればいのかが見えてくるはず。そんな講釈を垂れた。

「知る」ということ。それがいかに大事なことか。

災後の特に実感していること。

知ると伝える。いわば表裏一体だ。そしてそれが何よりの「支援」だということ。

支援とは金や物だけでは無い。被災地の人間はそのことを思っている。

後藤さんがやって来たこと、やりたかったこと。重なる話だと思う。


「何になりたいかではなく、何をしたいか」。ノーベル賞受賞者天野浩さんの言葉だ。

後藤さんは、あの地に入って何かになりたかったのではない。したいことがあったのだ。ジャーナリストとして。

「大切なことは、何をしたかではなく、何のためにそれをしたか」。俳優、高倉健さんの言葉だ。

健さんの言葉も重なる。

後藤さんには「伝えるべきもの」があった。何のために伝えるかの“大切なこと”を知っていた。

何を伝えるか。何を伝えなかったか。

日本のマスコミ、ジャーナリズムがあらためて問われていると思う。

政治の、官邸の、安倍外交の「検証」が言われる。それはメディアにとってもそうなのだと思う。

後藤さんは日本基督教団に所属する、洗礼も受けたキリスト教信者だった。

まだ、彼の生死が不明な頃、日本のマスコミ、週刊誌はもちろん、彼の出自や経歴、学歴、その他を“取材”しまくり、それを「お茶の間」に流した。

どこかのワイドショーがやっていたという。彼が敬虔なクリスチャンであるという“個人情報”を。
それを聞いた時、「やばい」と危惧した。日本のテレビが何をやっているかを、あの「イスラム国」は全部モニターしている。

最初に拘束された映像が流された時、あの黒ずくめの男が言っていた言葉に「十字軍」というのがあった。
イスラムとキリスト教の間にある歴史的な問題。

キリスト教徒であることをあの「間違った原理主義者」は問題にする。敵だとみなす。

伝える必要の無い情報だったのだ。

新聞の時代からテレビの時代へ。そしてネットの時代へ。

またたく間に駆け巡る「情報」。戦争報道の在り方だって変ってきている。

伝える側が、伝えることの意味を、意義をどれだけ真剣に考えていたのだろうかと。

長くなるが、後藤さんの出身校、法政大学の田中優子総長がこんなコメントを発表している。

「本学は、後藤さんが本学卒業生であることを把握しておりましたが、極めて難しい交渉が続く中、今まで報告や発言をさしひかえていました。
後藤さんは、紛争地域で生きる弱者である子どもたちや市民の素顔を取材し、私たちに伝え続けてきたジャーナリストです。常に平和と人権を希求して現地で仕事をされてきたことに対し、ここに、心からの敬意と、深い哀悼の意を表します。
いかなる理由があろうと、いかなる思想のもとであっても、また、世界中のいかなる国家であろうとも、人の命を奪うことで己を利する行為は、決して正当化されるものではありません。暴力によって言論の自由の要である報道の道を閉ざすことも、あってはならないことです。
法政大学は戦争を放棄した日本国の大学であることを、一日たりとも忘れたことはありません。「自由と進歩」の精神を掲げ、「大学の自治」と「思想信条の自由」を重んじ、民主主義と人権を尊重してきました。さらに、日本の私立大学のグローバル化を牽引する大学として、日本社会や世界の課題を解決する知性を培う場になろうとしています。その決意を新たにした本学が、真価の問われる出来事にさらされた、と考えています。
なぜこのような出来事が起きたのか、この問題の本当の意味での「解決」とは何か、私たちは法政大学の知性を集め、多面的に考えていきたいと思います。
まず全学の学生・生徒・教職員が人ごとではなく、この世界の一員として自らの課題と捉え、卒業生としての後藤さんの価値ある仕事から多くを学びつつ、この問題を見る視点を少しでも深く鋭く養って欲しいと、心から願っています。」

2015年2月2日月曜日

今、僕らが考えねばならないこと

ベトナム戦争時、日本の新聞社もベトナムの戦地に特派員を送った。それは「伝える」必要があると考えてのことだったと思う。

毎日新聞に連載されて「泥と炎のインドシナ」。記者は大森実という人だった。
取材拠点は南ベトナム、つまり米軍の側に身を置いてではあったが。

彼の「ベトナム戦記」は、その戦争の実相を伝えてくれた。書かれた記事によって、「ニュース」とは違う視点で、あの戦争の一面を知ることが出来た。

そして朝日や読売も取材団をベトナムに派遣した。朝日の本多勝一郎だったか。はじめて北ベトナムから見た戦争を戦場のルポルタージュを書いた。

それらは多くが文字だった。ついで、戦場にカメラマンが入った。岡村昭彦、石川文洋、沢田教一・・・。写真で「戦場」を伝えた。彼らは通信社の契約特派員という“身分”だった。

沢田が撮った写真。「安全への逃避」~川をわたる母子~。戦場で逃げ惑い、生死の境に生きる人々の姿を捉えていた。

そしてテレビ。牛山純一という人、日本テレビの「ドキュメンタリー劇場」という番組を手がけていた人、彼もテレビ屋として、ベトナムを撮った。彼の作品は“反米感情を煽る”という理由から政治的圧力で放送中止になった。

これらの報道が、べ平連運動を刺激したかどうかはともかく。兵士だけではない、常に犠牲になる市民の姿を捉えることが彼らの目線にあったと思う。

彼らはいずれも「命を賭して」いた。「死」を覚悟していた。それでも、そこを取材する事、伝えることに「使命感」を感じていた。

今、シリアのアレッポには朝日新聞の記者が入っている。彼の記事によって我々はシリアの、それがたとえ断片であろうとも、その地のことを知ることが出来る。そして、他紙はそれを批判する・・・。


この一週間、「イスラム国」のことを考えていた。昨日、後藤健二さんが殺害されて事を知ってから、また考えた。

なぜジャーナリストは戦場に行くのかということを。

それがどこかの会社に所属している人であろうと、フリーと呼ばれる人であろうと、その「戦場」の実相を、そこに暮らす人たちの実態を伝えなくてはならない、そう、例えばクレヨンを持って画を描くことすら知らない子どもたちがいるということを、誰かが伝えなくてはならないからだ。

例えば、シリアには日本の在外公館は無い。そこを知るのはあの「イスラム国」が全くのポロパガンダとして流す映像、ラジオだけなのだ。

毎日、戦果を誇る「イスラム国」のラジオ。まさに、70数年前の大本営発表のようなものだ。

平和な日本という国に暮らしているからこそ、餓えと恐怖と貧困にあえぐ、かの地の姿を伝えねばならないという“仕事”があるという認識。

そこに「自己責任」などという、まったくもって無責任な言葉を浴びせる余地は無い。

たしかに、拘束され脅迫されたということ、それを“救出”するために、国に“迷惑”かけたとうこと。そういう見方まで排除はしない。いや、排除した方がいいのか。後藤さんの為に払った国の努力。それは、平和な環境の中で暮らす日本人の、あまねく「共通のリスク」として負担してもいいのじゃないか。

イラク戦争時の高遠菜穂子さん、シリアのアレッポで亡くなった山本美香さん。取材者でもあったし、その地の人達を支援し、援助するNGOのメンバーでもあった人達。拘禁された人もいる銃弾で命を亡くした人もいる。沢田教一だってカンボジアで銃弾によって殺されている。

その人たちがいなければ、後藤さんのような人達がいなければ、我々は「戦争」を知ることがなかなか出来ない。

「戦争」は知らなくてはいけないものだということ・・・。

戦争を知らなければ戦争は終わらないということ。

2015年2月1日日曜日

「死」と「生」と

早朝飛び込んできたニュース。後藤さん「殺害」との報。言葉も無い。

彼の「死」を語るに言葉はあまりにも“無力”だとも思う。

これが、すべての意味を含めて、今の“世界”なのだと。
そして、それを“理解”すること、読み解くことも出来ない。

今日は僕の誕生日だ。74回目の。
誕生、そう僕が生まれた日に、一人のジャーナリストが無法にも”殺され“た。

74年の生を僕は受けている。彼は47歳で死を持った。

74年間、いろいろな死を見て来た。接してきた。最初に出会った死は、「戦争」のよるものだった。焼けた死体をこどもの僕はこの目で見た。

子供ながらに「戦争」を嫌悪した。やってはならないと思った。

肉親の死もあった。親や親せき。特に親の死をどう受け止めるかに苦悩した。

仕事柄もあってか、いろんな事故現場に行き、無残な死も見た。

幾つもの死が隣り合わせにあった。
でも、今度の見せつけられた「死」は、いささか異なるように受け止める。

「イスラム国」・・・。後藤さんを殺す必要はないはずだ。少なくとも彼はその「国」を敵視してはいなかった。

シリアの現状を伝えようとしていただけ。そこに苦しむ子供の姿を世界に伝えたいとしていただけ。だと思う。

彼を“殺害”したのは、あの地の人、アラブの民だったのか。他国、それも西欧からあの国に“憧れて”行った人なのか。

彼を殺す必要は無かった。でも、殺した。その狂気。

多分、この“暴力”に対しては、”暴力“をもって報いる、それによって償いを求めるという「死の連鎖」「負の連鎖」が始まるだろう。

西欧諸国だけではない。同じイスラムの国からも彼らは標的にされるだろう。

その“戦争”によって、シリアやイラクの子供たちが被害に合う。
後藤さんは子供たちを救いたかった。それが結果、真逆に動く・・・。

「イスラム国」というテロ集団は、半年で1,900人もの人を殺しているという。

中東のあの地の惨状を後藤さんは伝えたかった。これからはよりあの地のことは伝わらなくなるだろう。

あの「犯行声明」にあった如く、あの集団は、日本と言う国を名指しで敵とした。首相の名をあげて。

我々は、あの地を再び「遠い国」としてしまうのか。彼の志した「子ども達を救う」という意志を無駄にしてしまうのか。誰かが受け継ぐのか。

世界は「軍事力」という「力」にものを言わせた動きとなっている。そこに日本も必定、組み込まれていくのだろう。

力をもって力を制するという・・・。

この事件が我々に突き付けた問題は大きい。

この事件を契機にして、日本の中でどういう声が、動きが出てくるのか。
人道支援とは何なのか、何をすべきなのか・・・。

数日前、東日本大震災シリーズで「傷ついた人に寄り添って」という番組で、阪神淡路大震災から3・11に至るまで、被災者の支援を行ってきた看護師、黒田裕子さんの“物語”が放映されていた。癌で亡くなるまで、彼女は「仕事」のことを言い続けていた。

現場にしか真実は無い。見るべきものを見ないと真実はわからない。聞くべき耳を持たないと真実の声は聞こえない。と。

そして「生き切る」と何度も病床で言っていた。

74歳。どこまで生き切れるかはわからない。彼女のドキュメンタリーを涙して見、後藤さんの全くの不条理の“死”を知って、「生き切る」ということに留意したいと、何を為せるかはともかく、何かを為していかなければと、「新たな覚悟」を決めた。

自分の「死」は脇に置いておこうと・・・。言いようの無い「74歳の誕生日・・・」。「生」を受けた日・・・。