2015年2月13日金曜日

「フクシマ」は政治の場から消えた

きのう、安倍は施政方針演説を行った。大音声で「戦後以来の大改革」を叫んでいた。でも、何をどうしようというのかはさっぱりわからなかったけど。

安倍の演説の全文を読んだけど、そこに「福島」という言葉は無かった。
原発に関しての言及は“再稼働”させるだけ。

2年前、参院選時、遊説の第一声に福島を選んだ安倍。そこでこう言ってのけた。
「福島の復興無くして日本の再生無し」と。

それを聞いた福島の人達がどれだけ評価したのかはわからない。でも、自民は勝った。

去年暮れの衆院選。南相馬だったか。やはり安倍は同じようなことを言ったはず。自民は勝った。

「福島」は彼の“方便”に使われたのだ。

一昨年の参院選。安倍が演説する駅前に、“聴衆”の後ろに、一人の女性が、ボードを持って立っていた。「総理、原発廃炉に賛成ですか、反対ですか」とだけ書いたボード。

彼女は“警備の人間”によって排除された。その人たちは時の候補の森まさ子の秘書や自民党関係者、警察官だったと聞く。
福島県民が福島県民を「排除」するという図。

彼女は二本松市のお寺の住職の奥さん。母親。今も、子供たちの支援活動に励んでいるのだろう。

沖縄辺野古にいまある光景と、あの時の光景が重なる。県民が県民を排除すると言う構図。

2年前は過去か。たしかに過去ではある。あの時と、さらには去年の暮と、「フクシマ」をめぐる状況は変わったのか。なにも変わっていない。変わったのは多少の風景だけ。壊れたものが撤去されただけ。自動車道が出来ただけ。

復興無くして再生無し。論理的には矛盾したものだったが、彼の言う日本再生は、「戦後以来の大改革」に代わったのだ。

福島の復興とは単なる選挙の口実だったのだ。

悲しくないですか。

昨日の大演説を聞いて、議場で聞いて、福島県選出の議員はどう思ったのだろうか。何も思わなかったのだろう。

福島県議はどう聞いたのか。市町村議員はどう聞いたのか・・・。その心中を聞いてみたい思いだ。

あなた方は地元では、何かというと、実態のあるなしに関わらず「復興」「復興」と言っているではないか。

だから、昨日書いたワイツゼッカーの演説があるのだ。目を閉ざしているのではない、「無かったこと」としている。現在に対して盲目か。そうだ、こと福島に関しては盲目であることをよしとしているような。

正体見たり枯れ尾花。

しかし、かれは枯れ尾花ではない。君臨する帝王だ。

まだ「フクシマ」はいわば全国に継続中だ。進行形だ。過去でもなんでの無いのに。

福島の視点から、あの演説内容に言及したメディアも、僕は見ていない。

そして多くの論調は、福島を通り越して「再稼働」の話しに向かっている。

原発事故は有り得る。

その前提に狂いは無い。いつ、どこがかの問題だ。

福島の“過去”に目を塞いでいるのかと。

デマ、風評は相変わらず飛び交っている。それには目を閉ざさない。勝手に“真実”だとして、拡散することに余念が無い人たちがいる。

半年前、福島で吐いた“公約”。一年ちょっと前に吐いた“公約”。日本再生のキーワードとしての福島。それになんら言及しない。

歴史の“汚点”として残る「名演説」だったと“評価”しておこう。「フクシマ」は政治の場からは消えたということを記憶する。

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