2015年2月15日日曜日

「改革」ってなんだろう、なんだろう。

45分間の演説の中で「改革」「改革」という言葉が30回以上も連呼され「断行」「断行」が表明されていた。

改革っていったいなんだろう。辞書には簡単明瞭にある。
「従来の制度などを改めてよりよいものにすること」と。

ならば従来の制度は“悪かった”ということか。悪い制度を作って来たのは誰かっていうのは屁理屈か。

改革しなければならない弊害が、制度の中にあるとしたら、それを作って来たのは、守って来たのは誰か。

大方、自民党の“先輩”達でしょ。小泉の郵政改革も然り。それまでの自民党の政策をやめる、替えるってことでしょ。小泉は「自民党をぶっ壊す」てなことも言っていたことだし。壊れはしなかったけど。

何よりも「改革」なるものの内容がわからない。たしかに「農協改革」には手を付けた。自民党にとって最大の圧力団体であった農協を「負かした」。

民主党が政権を取った時、たしかに“圧力団体”でもあり“集票マシーン”であった各種の業界団体が民主になびいた。
まさか、それへの「腹いせ」ってことではないと思うが。いや、本心はそこかな。

我が家の周り。休耕田が出来た。耕作放棄地が出来た。米農家は価格の値下がりで青息吐息だ。コメの行方が心配だ。

農協改革で農家はどうなるのか。豊かな実りのある田園風景は見られるのか。

「集団的自衛権」を力説した時、会見場にパネルを持ち込んで、具体例まで持ち出して縷々説明していたよね。
農協改革でもそれをやってくれなのかな。

介護制度も改革するという。施設介護から在宅介護にシフトさせるという。
その結果はどうなるか。単なる“危惧”で終わればいいのだが、在宅介護疲れでの“事件”が増えたりはしないのか。

改革と言うより、規制緩和って言った方がいのではないか。もちろんその規制だって官僚や自民党政権が構築してきたものなのだけど。

制度改革を言っているのだろう。

でも、今、この国に必要なのは「意識改革」なのではないかと思う。
戦後70年の歩みを振り返って、この国に根付いた意識。ある種の「価値観」。
それの「改革」が提起されるべきだと思うし。

そして何よりも、「改革」しなければならないのは国会改革、選挙制度の改革、政治改革なんだと思うけど。身を切る改革なんて誰か言っていたよな。

「意識改革」。

目指して来た1億総中流という価値観は幻だったということ。
日米安保があるから日本は安心だという認識。
格差を是とする価値観。

寄らば大樹の陰、みんなが言うからそっちにつくという安易さ。過去を忘れ、未来の想定も出来ず、「いいじゃないの、今がよけりゃ」という逃避。
“日本人の忘れ物”を探しにいかねばという勇気。

政治家に、官僚に任せる以外に無いという、ある種の“自己弁明”。安倍に言われて気づくのではなく、彼がなんと言おうとも、民草が意識を改革するべきだということ。

過去を振り返れば、そんなことはいっぱい学んできたはずなんだけどな。

今でもすぐに考えられ、実行出来る改革。そう、電気に依存しないという、電気をなるべく使わないという生活様式。
少なくとも電力不足になる。国富が流出する。経済が立ちいかない。そんな子供だましのような再稼働容認論議を排斥する知力の構築。
出来ると思うんだけど・・・。

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