2015年2月25日水曜日

仮設住宅で亡くなった犬のこと

今朝、郡山のビッグパレット脇にある仮設住宅の「ばあちゃん」から電話があった。川内村から避難して、そこに“居住”している人。
沈んだ声だった。

愛犬のマックが亡くなったという知らせ。

その人たちと、その一家と、犬たちと出会ったのは2011年の3月の終わり頃だったと思う。ビッグパレットが川内、富岡の人たちの避難所になった時。

二頭の犬を連れて線路わきの植え込みに座っているその人と出会った。こっちは我が家の犬「ゲンキ」を連れていた。

マックはマルチーズ、もう一頭のミックはミニチュアダックス。仲のいい「二人」だった。

川内村に避難命令が出されて時、そのばあちゃんは、自分の軽自動車に犬と爺ちゃんを連れてまずは三春の避難所に行き、郡山にやってきた。

爺ちゃんは、酸素マスクを手放せない病人だった。

犬は避難所の中には入れない。ビッグパレットの自転車置き場がペット用に開放されていたが、そこはすざまじい鳴き声で溢れていた。

大方が完全に鎖でつながれた犬では無かった。ケージも体験したことのない日常を送っていた犬たちだった・・・。

ミックとマックも、家の中を自由に駆け回り、時には家の周りも走り回り、散歩させてもらえる環境にいた。
自由だったのだ。

ミックとマックの居場所は軽自動車の中だった。まだ寒かった頃、夜には車の中でも冷える。熱湯を入れたペットボトルを毛布でくるみ、彼達の湯たんぽ代わりに毎日のように持って行った時もある。

車の所に行って中を覗くと二人は折り重なるようにして寝ていた。窓を叩くと眼を開け、狂ったように窓に飛びつき、出せ!出せ“と言わんばかりに吠えた。

好みだというドッグフードも持って行った。

5月。もう車の中は日中は暑い。仮設住宅が出来るまで、二人は大越にあるペット用の“施設”にあずかってもらっていた。

仮設が出来た。二人とも仮設の中で住まわせると言う。たまたま我が家にあった大きめのケージを持っていった。4畳半二間の仮設。酸素を必要とする爺ちゃんのことを考えるとケージしかなかった。

その爺ちゃんもやがて亡くなった・・・。

マックは老いてきていた。思うに「ストレス、過剰なストレス」を感じていたからだろうか。歯を患い、動物病院で歯を全部抜かれた。

ケージの中のマックは舌を垂らしたままだった。

ミックはばあちゃんの孫が連れていった。今は仮設に出来た動物用の建物の中にいるという。

ばんちゃんは、避難所の時は元気だった。一昨年から腰を患った。病犬とは居を共に出来たが、元気で力が強い方の面倒を見るのは無理だと判断したからだろうか。顔だけ毎日見に行っていたという。

そして今日の知らせ。看病疲れもあっただろう。声に元気がなかった。

「犬に会いたくなったら瀬川さんの家に行く。ゲンキ君の顔見に」。すでに火葬したお骨は仮設に持ち帰って来たと言う。

ゲンキの姉さんのようだった甲斐犬の澪。ともに東京から連れてきた犬だ。澪は幸い「3・11」を体験することなく、前年の秋に亡くなっている。骨はまだ我が家の中にいる。澪のことは、だから、2010年のこのブログに書いた記憶があるが。

今朝の電話のやりとりを、どうやらゲンキは聞いていたようだ。
なんとなく悲しそうな眼をして、疲れたように寝てしまった・・・。

口はきけないが、犬たちはみなわかっているということ。

鎖につながれたままだった犬、餓死した犬、鎖を食いちぎって野良になった犬。
飼い主が週に一回訪れるのをひたすら待っている犬・・・。
犬だけでは無い。牛も豚も鶏も。福島には残酷な運命をたどる、たどった動物たちがいる。

ボランティアが支えているシェルターもある。多くの人がペットに心を寄せていてはくれるが・・・。

マックは「避難」さえなければ、まだ長生きできたはずだ。犬の震災関連死だ。

夕方、花を買ってマックを訪ねるつもりだ。仮設に行くと「大歓迎」してくれていた、あの光景には出会えないが・・・。

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