「命」ということを考える。「死」ということを考える。あらためて。
人間にとって「絶対」ということは「死を迎える」ということだ。必ずいつかは死ぬ。
だから「絶対」という言葉は使わない。使えない。ずっと前からそう思っている。
「死」はいつも隣り合わせにいる。やがていつか来るであろう自分のことも含めて。
死にもいろんな死がある。寿命が尽きた死もあれば、病を得ての死もある。
突然襲ってくる死もある。
身内や友人、知人の死を知ると、それに接すると「死について」考える。
ニュースでは連日のように殺人事件が伝えられる。その犠牲者は子供であったり、老人であったり。
死者を悼む、それは生者としての“行為”だ。死者が死をどう思っているのかは多分誰もわからない・・・。迷路に入り込むような死についての思考。
「3・11」で我々は、瞬時にして起きた、発生した多くの死者を見た。あまりにその“数”が多すぎるゆえか、「死」について考えることが出来なくなるような。
家族や遺族、その友人たちはその「死」を考え続けている。背負っている。
しかし、いくら多くの死を見、知ったとしても、それは他者にとっては、大方「忘れられて」行く。記録としてだけその「数字」が残る。
「死」とは一体何なのだ・・・。いつも付き纏う曖昧な問い掛け。
今、日本では多くの人が後藤さんや湯川さんの死を悼む。それは、その「死」が投げかけた問題があまりにも多岐に渡り、影響力が大きいからだ。
残酷な言い方かもしれないが、「考える素材」として、その死があったということだろうか。
戦争はどこにでもある。戦争がある限り、それによる死者は絶えない。
報復はまた新たな死者を生む。これまでも、例えば空爆によって、兵士はもとより、民間人や子供が多く殺されている。
その“事実”を知っている人は知っている。知ろうとしない人もいる。
「死」とは何なのだ。「死」に意義があるのか・・・。
それがいかなる形であれ、人は死に恐怖する。
死に対する疑問を例えば宗教は解決してくれるのか。宗教に名を借りた戦争があるというのに。
「日本人には指一本触れさせない」と“主導者”は言った。たった一人の政治家が、権力者が、それを言ったところで「死」は無くならない。
不条理な死が溢れている。それは、また身近なものになった。
戦地で倒れる死は「美しい」ことなのか。特攻隊は「美しい」ことだったのか。
テロ集団が行う「自爆テロ」というのは美しいことなのか。
美しくなんか無い。
後藤さんの死の意味を多くの人が考えている。今は・・・。それは、ジャーナリズムというものと関連してくるからだろうし、彼の「死」は、我々に「イスラム国」というもの、それに端を発した「あらゆること」を考える場を提供してくれた。
誰も、人の死を無駄にしたくないと思う。そう言う。
「3・11」で生じた多数の死者。その死を無駄にしないと言うことは何か。
沖縄で犠牲になった多くの国民の死を無駄にしないということは何か。
原爆で亡くなった人たちの死を無駄にしないということは何か・・・。
死の反対語は生だ。戦争の反対語は平和だ。だから生者は死者を考える。
戦争があるから平和を考える。
長年生きてきて知ったのは、多くのさまざまな「死」があるということ。
不条理な死、無益な死、無意味な死。誰かによってもたらされる死。
それとどう向き合い、それを咀嚼していけばいいのか。
迷路から抜け出せないが、それを考え続けるという“作業”だけは続けねばないらないと思う。自分が死するまでは・・・。
ジャーナリズムの死だとか、この国は死んだとか。「死」という言葉を濫用して欲しくないとも。
2015年2月6日金曜日
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