2011年7月28日木曜日

2011年 子供たちの夏

大震災からまもなく140日が経とうとしている。何かが変わった。しかし、何も変わっていない。震災後の光景は。

原発から避難してきた人たちの仮設住宅。郡山には大きな仮設住宅群が二つあります。仮設には千人規模の人たちが暮らしています。

「仮設」は、それが建つ以前の光景と建った後とでは、その地域の光景を全く変えました。人がいなかった場所に人がいる。

仮設住宅群を見ていると、なぜか戦後の東京を思い出します。復興住宅、復員者住宅。引き揚げ者住宅。そのほとんどは「長屋」でした。そして「バラック」と呼ばれました。その頃に「プレハブ」という言葉は無かった。共同住宅。

炊事場もトイレも共同。七輪で焼かれる秋刀魚の匂いと煙。炊事場から聞こえてくる賑やかな“会話”。職にありつけず、その意欲さえ失った男たちが昼間から飲む酒。酔っぱらいの怒声。喧嘩・・・。

夏。子供たちは上半身裸か、ランニングシャツ(当時の呼び名)で、壊れた自転車のリムだけを外して、その輪に長い箸のような棒をあてて転がして遊んでいました。朝から晩まで。遊び疲れて道端に寝転んで、「腹減ったな~~」と言い合っていました。皆、飢えていました。その子供達の中になぜか亭主もいた。

いじめっ子もいた。磁石で釘拾いをやってる子もいた。モク拾いに専念する子もいた。

仮設の光景とバラックの光景。そこにはかなりの「時差」があるのだが。

仮設にも子供はいる筈です。でもあまり見かけない。年寄りだけが歩き回っているような。

仮設からちょっと離れると、町の光景は3・11前と同じです。もちろん壊れた建物や修復中の建物や解体されて更地になったところもありますが。津波にもっていかれた町とは違う。町としての形は維持されています。形は変わらないけど中味が違った。

子供がいない。子供が消えた。神かくしにあったように。

夏休みです。日本全国学校は夏休み。福島県内から他県に避難した子供たち。数え切れないくらいです。夏休み中だけ「疎開」という子供も大勢います。
沖縄の海で夏休みを過ごす子供たちもいます。

近所の御宅からペットの訃報が寄せられました。とりあえずお見舞い。御宅を訪問すると顔なじみだった子供たちが次々に顔をみせてくれて。

夏休みどうしているんだい?と亭主。「家でゲームやてるから」。時々大声を出して家の中を走り回ったり。家の中は兄弟達の操るゲーム機の金属音がこだましており。

去年の夏は家の近所を走り回り真っ黒に日焼けしていた子供たち。真っ白です。
近所の田んぼでクワガタ取りに熱中していた子供たちだった。

表には出られないのです。その子達と話をしているときのテレビ画像。「さ、夏休みです。こどもたちは・・・」。アナウンサーの嬌声。海やプールで遊ぶ放射線の無いところの子供たちの姿。屈託の無い笑顔。

その映像を見る放射線下で暮らす子供たちの姿。くぎずけになっているような、無視するような。なんにも変わっていないテレビは、この時期の当然の話題を伝えている。全国ニュース。そのニュースや話題を伝えている人たちには「被災地」への思いやりがあるのかどうか。

まともなニュースでも子供たちに見せるのは酷だと感じる2011年の福島県の夏・・・。

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