2011年7月29日金曜日

「日本沈没」

日本沈没。もちろん小松左京氏の小説の題名である。昭和48年に書かれたSF小説。まさに高度成長をひた走っていた時代。地震により国土は消滅。流浪の民が地球を覆う。空前のベストセラー。それは単なるSF,サイエンスフィクションではなく、現実に有りうることとして受け取られたから。

その後「日本沈没」という言葉は一つの流行語となり、事あるごとに引かれた言葉。

まさに警世の書だった。今、この国は沈没寸前である。小松左京が伝えていたメッセージ。「人間は科学技術の進歩に酔い。自然をなおざりにしてきた」。
そう、まさに。

この未曾有の国難の時、多くの日本国民が流浪の民と化そうとしているこの時。彼は亡くなった。死をもって警告を発したとしか思えない。日本沈没。この4文字が今を生きる人たちにどう伝わるか。

死の直前、東日本大震災について彼は語ったという。「今は大変な時期かもしれないが、この危機は必ず乗り越えられる。この先日本は、必ずやユートピアを実現できると思う。日本と日本人を信じている」。嘘でしょ。小松さん。無理ですよ。ユートピアなんて。

いや、そうじゃない。遺言は実践しなければ。死をもって警鐘を鳴らしたのだから。国民は、彼の愛読者や映画を見た人たちは、その「願い」に答えようとする。するかもしれない。しかし、それを阻害する奴らがいる。為政者という奴らだ。官僚も含め。

記憶をたどると、小説に登場してくる為政者たちは、ただうろたえ怒鳴るだけの無能者だったような。

もちろん、いまのところ巨大地震は相次いで発生していない。発生するという予測はあるが。日本列島は完全に水没していない。しかし、この時期はずれのような連日の豪雨を見ると水没という妄想があながち嘘ではないような気さえしてくる。

沈没とは船が海に沈むことである。得てして陳腐に「日本丸」という言葉が使われる。官邸にも日本丸と書かれた帆船の模型が飾られてあった。総理大臣は「船長」を自認していた。舵取りを任されたと豪語していた。

沈没寸前の日本丸。船長はもとより機関士も航海士も無能である。害毒である。
沈みゆく船の上層階で、権力争いにふけり、「脱」だの「減」だのと将来の問題について口先だけで語っている。
いま、まさに舳先に掴まり海になげだされみとしている乗船者のことは意に介していない。今して欲しいのはただ一点。「除」放射能なのだ。

日本国民はタイタニック号に乗り合わせたつもりはない。しかし・・。
原発からあがる白煙を見て、現場の下士官が舵を切るよう怒鳴ったにもかかわらず次々と爆発。あげく豪華客船の「隔壁」が避難を阻害したように、原発隔壁神話も崩れ、立ち入り禁止という「隔壁」が多くの難民を作っている。

その作家の「死」によって「日本沈没」という事実が、正夢のように目前に迫ってきているような。儚い夢なのか、見果てぬ夢なのか。「ユートピア」という辞世をしばし信じてはみたいけれど。

「復活の日」はあるのでしょうか小松さん。

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