2012年1月9日月曜日

「近頃の若いもんたちは・・・」

若いころ、よく言われたものです。「最近の若いもんたちは・・・」。続く言葉。何を考えているのかわからない。困ったもんだ。どうしようもない。

それなりに反発してきましたが・・・。

やや年をとってから、自分がそういうことを言っていました。若者世代の風潮や考えを理解出来なかった。理解しようとしたけれど、どこか受け入れられなかった。

震災後、若者を見る目が変わってきました。年をとったせいか。もちろんメディアを通して見る、知る若者像なのですが。

被災地の復旧・復興に汗を流す若者。悲劇を受け止めて、自分の為すべきことに励む若者・・・。
高校球児、サッカー選手・・・。

「近頃の若者は捨てたもんじゃない」。

きのう、県内では成人式が各所でありました。晴れ着姿の新成人。20歳の若者。原発避難地区の若者達も多くが一堂に会し。

仲間たちとの“再会”を喜びあい、故郷に戻って役に立ちたいと言っていました。

メディアが取り上げなかったのか、事実がそうだったのか。「荒れる成人式」の模様は今のところ目にしていません。

よく晴れ着を揃えられたもんだ。そんな感想は下衆の勘ぐりみたいなもの。若者達の希望や願望には「へ~~」と驚かされるものもありましたが、みんな逞しく見えた。

新成人は減っているという。少子高齢化。社会構造がどうであろうと、この若者達に未来を託さなくてはならない。

50年前。成人の年を迎えた亭主は学生でした。成人式の記憶は全くありません。仲間と言えば大学の仲間。幼馴染というのはもはや縁遠くなっていたような。晴れ着のスーツなんて無い。4年間学ランだったし。

地方での成人式。東京での成人式。規模も意識も違う。それはともかく成人式って無かったような。大学入学と同時に煙草は吸っていた、酒も飲んでいた・・・。

だからあの当時、将来への抱負や夢や希望を語ったこともない。母親がくれたなけなしの小遣いで午前中はクラシック喫茶。午後はジャズ喫茶。常に一緒だったのは大学の仲間。もちろん成人式の写真なんてのも無い。たぶんそんな時代だったのかも。「安保反対」のシュプレヒコールだけが聞こえはじめていた頃だし。その頃の思い出はいっぱいありますよ。

時代は世代間のバトンタッチだという。先人から受け継いだものを次の世代へ。いいこともあったし、悪い事もあった。

でも、今の大人は子供たちに引き継ぐものを何ほど持っているのだろう。バトンの渡し方をしらない。わからない。襷の受け渡し方をしらない、わからない。

放射能汚染の福島県。例えば飯舘村でも若者はもう帰らないと言い始めているとかいう。高齢者だけが除染された村に帰っても、共同体は復元できない。除染には大きなコストがかかる。莫大な予算を使う除染。それだけでは何も解決したことにならない。共同体を維持するためには若者が必要なのだ。三世代が必要なのだ。

震災後、多くの若者に力を貰っているような気がする。彼らを見ていると、もうちょっと頑張ろうと思う。そして10年後の彼らが何をしているか、どうしているかを見てみたい気がする。「特別な成人式」を迎えた20才の子供たち。

そして3・11に産声を上げた赤ん坊がどんな七五三を迎えるのか。それも見てみたい。そのために、大人や年寄りたちが何を出来るのか。

特別な成人式。それへの想いは複雑・・・・。せめて、せめて、あの時代に生きていて成人式をやってよかったと何十年後かに思って欲しい。
成人式の記憶が無い亭主の無念さも併せ持って・・・。

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