2012年1月7日土曜日

たまには“夢”を語り合おう

きのうのタウン誌「街こおりやま」の新年会。いろんな「市民」が集い、楽しい集まりでした。

そして、話題はほとんどが原発事故。風評被害に苦しむ磐梯熱海温泉の経営者。久しぶりに出会い。「県外からの客は無く、大変ですが、もう風評被害と叫んで、人のせいにするのをやめました。自分たちで立ち上がっていく」と。

乾杯のあいさつに立った県の医師会会長、菊池辰夫さん。「今年は私の干支、しかも私は3・11生まれ。私には夢があります。郡山の全天候型の大きな子供たちが遊び、運動できる施設をつくることです。子供が笑顔になれば親も笑顔になる、社会も笑顔になれる。すべての子供たちに笑顔が戻るようにする。それが私に夢です」と。

会が終わって親しい若者5人と二次会へ。その一人が農場経営者。彼の夢は「安心、安全な食を提供する」ということだった。その夢は原発事故で奪われてしまった。・・・そうじゃなかった。かれはその夢をあきらめていない。放射能下にあっても出来ることがあるはず。それに向かって突き進むと。その夢を彼は熱く語っていた。

彼はミュージシャンでもある。ジャズミュージシャン。「定禅寺ジャズフェスティバルのようなことを郡山でやりたいね。駅前大通りを使い、駅前広場を使い、全国からジャズミュージシャンを集めて。デキシーランドジャズをやろうよ。街中をパレードして歩こうよ」。そんな話が際限なく続く。デキシーキングなら呼べると彼。後輩にフルバンドやってるのがいる。彼らに声かけ出来ると亭主。

誰がやるか。どうするか。それはさておき、彼と語りあったのは一つの夢。夢を語り合うのは楽しい。

気仙沼市長は「F1レースを開催する」と言ったそうだ。彼のアイディアではない。市民から出されたアイディア。現実性があることだけしか行政は動かない。それを承知で言った。「将来、F1レースが開催されて、10万人の人が気仙沼を訪れる。想像したらワクワクする。実現できるかどうかではない。そんな夢の形を描くことが大事だと思ったから」。

年があらたまった。暦の移り変わり。それにはそれなりの意義があるのかもしれない。頭を低くして縮じこまっていたってしょうがない。何も始まらない。未来の夢を語り合う。それが、目先の何かを解決してくれることに役立つはず。

市民の意識は、国や行政とは無関係に変わりはじめているのかもしれない。

たまには夢を語り合おうよ。そうしましょう。

「夢」。なんて難しい言葉だろう。毎晩寝ながら見るのも夢。ここ何十年、亭主は楽しい夢を見たことがない。いつも嫌な夢ばかり。過去の映像や記憶含めて。寝て見る夢は嫌だ。でも言葉では「夢」としか言えない。

将来を語る。未来を語る。将来を想像する。未来を想像する。願望。それも字にすれば「夢」。二つの意味がある「夢」という一文字の相克。

きょうもどこかで誰かが、被災地でも、そうでないところでも、「夢」を語り合っているかもしれない。ささやかなものであったとしても。その夢の後押しを政治や行政に期待するのは無理だと思うけれど・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...