過日もテレビで脚本家の日本の知識人のひとりでもある倉本聡が言っていました。
「日本人はあまりにも“便利”なものを求めすぎてきた。携帯電話をはじめ。3・11を契機として変わるべきものは、もういっぺん不便なというか、貧乏だったあの頃の生活をみなおすことにある」というような論調。
たしかに、今の日本人の、いや先進国と言われる国の人達ほとんどに対していえること。
3・11以降、何かが変わる、変わるべきと考えた人に共通する歴史認識であり、価値観。
きょうは8日です。亭主が主宰する粒々塾。去年の3月の例会は3月8日でした。まさに大震災、原発事故の三日前。その時の講義のテーマが「便利さがもたらしたもの」。
震災後のブログに書いたかもしれませんが、「便利になったものは」という問いかけに大半の塾生が携帯電話と答えていました。スマートフォン持って。
じゃその便利さの裏側に何があるか考えてみようーそう問いかけました。今、我々が便利だと思っているもの。携帯にしても電化製品にしても、車にしても、オール電化住宅にしても。すべて高度経済成長がもたらしたもの。エネルギーによって生み出された快適な生活。大量生産、大量消費、大量使い捨て・・・。便利さが追求される余りに、失われたものも多いのではないか。
スピードだけをよしとしてきたのではないか。安心、安全が食を含めて言われ、生み出され、結果、人間が本来持っているべき「能力」を失ってきてしまっているのではないか。歩くと言うことを含めて。
安逸さに慣れてしまったのではないか。安閑とした生活をよしとしたのではないか。便利になったからこそ「人間力」が求められるのではないか。そんな話をしました。
そして夏目漱石の言葉を引用しました。
「人間の不安は科学の発展から来る。進んで止まることを知らない科学は、かつて我々に止まることを許して呉れたことがない。」
なにやら、今、この講義をしても全く違和感が無い。
4月の塾は再会を祝っての酒飲み会。皆で長淵剛を歌い、見上げてごらん夜の星をを歌い泣いて・・・。5月の塾で、もう一回「便利さがもたらしたもの」の話を持ち出し、これからの「生き方の指針」として考えてほしいと訴えました。
ちょっとでも立ち止まることを考えた塾生達の立ち直りは早かったような気がしたものです。
ふと振り返った10か月前のこと。
2012年1月8日日曜日
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