2012年1月25日水曜日

社民党は”限界”だ

3月11日に郡山の開成山球場で「さよなら原発3,11福島県民集会」というのが催されるらしい。いや、多分やるでしょう。

どこで、だれが、どんな集会をやってもそれは勝手なんですが。

この集会、脱原発をめざす女たちの会というのが主催者。その会の事務局は参議院議員会館にある福島みずほ事務所。社民党党首の福島みずほさんがやっている会ということでしょう。

なにも名字が福島だからと言って「福島県民集会」なんてやってもらわなくてもいいですよ。

「さよなら原発」。はい、福島県はもう県議会も郡山市議会もとっくに「廃炉」を求めた決議を採択しています。これだけ痛めつけられて「原発賛成」なんて人はほとんどいません。

この集会、他の県などでも行われるみたいですが、違和感この上なしなんです。

反原発集会、やるなら東京でやってください。去年みたいに。官邸の前や国会議事堂の前でやってください。

一人8,000円でお弁当付きの日帰りバスツアー。何人が参加して何台のバスが来るのかしりませんが、県内の関係団体から何人参加するのかしりませんが。

開成山球場で市役所に向かってシュプレヒコール上げたって何の意味もない。郡山でやるんなら、福島県内でやるんなら、防護服着て、検問突破して、原発の前でやったらいかが。

昔、日本社会党という大きな政党がありました。万年野党でしたが、多くの傑物を輩出しました。佐々木更三、通称ささこう。浅沼稲次郎。横路節雄・・・。
社民連に移った江田三郎。民社党を結成した西尾末広・・・。

民社党は後の新進党のある意味“核”となり、日本社会党は、いつのまにか、そう、村山富市が自、社、さ政権で首相になってから社会党は民社党に名前を変え、それこそ昔から言われていたように「長期低落傾向」に陥り、何をとちくるったか、民主党政権の時に国民新党と一緒に政権入り。
社会党の全盛時、原水禁運動が盛んでした。でも、イデオロギーを前面に出した運動、やがて原水禁と原水協の二つに分かれ、お互いをののしりあい、被爆地広島をそっちのけにしたような対立。

こんな歴史の話はともかく、イデオロギーがからんだ政党がからんだ市民運動ってのはどうもいただけない。少なくとも今の福島県には。

皮肉っぽく言えば、反とか脱とか言ってる人が郡山に来ること自体が、「風評被害」の一因になるとも。「苦しんでいるお母さんたちを助けましょう。思いを同じくしましょう」。

福島県の目下の急務は、試行錯誤を繰り返し、なかなか実効があがらない除染問題。反とか脱とか言ってる場合じゃない。危険をあおりたてるのはかえって県民を傷つける。

来るなら、よく見て行ってくださいな。お土産買って帰れとはいわないまでも、福島県では4万人もの人は死んでいません。子どもたちは皆鼻血を出していない。そんな事を「全国のお仲間」に伝えてください。

街には普通に買い物客がいて、商店は開いていて、家が新築されていて、結構皆明るく笑っていたと「見聞録」にでも書いてくださいな。

線量計で線量を計って、「高い!危険」とどっかの教授みたいなことを言うのでなく、皆、普通に暮らしている、自分たちはふだんなんでこんな低い線量のところで暮らしてるんだろうってありがたみ感じていってね。

なんでもキャンキャンわめくみずほ様。もう社民党は限界なんです。選挙があっても、“集会”を票集めの手段にしようと、こんな「K・Y集会」を、多くの市民はしらーとして見てるはず。

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