まだまだ冬枯れの日。寒さが続いています。きょうは、たまたまか。日差しが暖かい。暖かいとほっとする。でも、日照時間は短い。
仮設のじいちゃんが歌をくちずさんでいた。♪異国の丘♪
~きょうも暮れゆく異国の丘に 友よつらかろ 切なかろ
我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ 帰る日もくる 春がくる~
~きょうも更けゆく異国の丘に 夢も寒かろ 冷たかろ
泣いて笑ろうて 歌って耐えりゃ 望む日が来る 明日がくる~
~きょうも昨日も異国の丘に 重い雪空 陽が薄い
倒れちゃならない 祖国の土に 辿りつくまで その日まで~
戦後。ラジオからはこの歌が毎日のように流されていました。ラジオを聞いてか、大人たちが歌っていたからか。亭主はこの歌を覚えてしまっていました。そして多分歌っていたんだろうと思います。
シベリアに抑留された兵士が作り、励まし合い、帰国してからも歌ったものだということです。
子供心にも何か訴えてくるものがあったのでしょう。忘れていた歌を思い出しました。そして歌えたのです。そして悲しく口ずさむ歌なのです。
ちょっと歌詞を置きかえれば、異国を異郷に、祖国を故郷に。原発から避難している人たちの心情をそのまま現わしているような気がするのです。いや、そのものなのかもしれません。
戦後を引きずっていた中学生の頃。国語の宿題で「私の自叙伝」というのがありました。亭主も戦争体験、戦火から逃げ回った時のことなど思い出し、それなりに書いて提出しました。文集みたいなものが出来上がった時、愕然としました。転校してきた同級生に金沢靖子さんという人がいました。ものすごく勉強が出来る人でした。でも、寡黙な人でした。卒業以来会ったことはありません。その金沢さんは満州からの引揚者でした。引揚体験を綴っていました。その文章力は同級生の亭主を思いっきり泣かせました。
街の光景は違っています。津波にさらわれたところを除いては。食べ物も十分にあります。
でも、誰が何と言おうと、平成23年。再び日本は戦後を迎えたのです。戦後だったのです。今も戦後なのです。第二の敗戦なのです。
その頃、こんな歌も流行っていました。♪誰(た)れか故郷を思わざる♪
平成の“抑留者”。引揚船はくるのでしょうか。海が隔てているわけでもない。たった数十キロの故郷。それがあまりにも遠い・・・。
“チェルノブイリ”異聞
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