2012年1月24日火曜日

「議事録が無かった」ということ

確か、原発事故直後に発足したと記憶している政府の原子力災害対策本部。もちろん本部長は菅直人。その会議の議事録が存在していないという。作成されていなかったという。

数日前、NHKの夜7時のニュースで知った。NHKが情報公開法に基づいて公開請求したところ、討議に項目だけしかなかった。

ふざけんなよ。

今でもこの会議は存在するはずだし、事故後何回も開かれているはず。そのたびに枝野か誰かが会見で内容を喋っていたことはあったが、正式な記録ではない。

未曾有の原発事故。それに政府がどう対処したか。それは立派な歴史的公文書である。
たしかに官邸は混乱の極地にあったことは想像出来る。事務局の原子力保安院は「バタバタしていて議事録を作る余裕がなかった」というような釈明をしているとか。

いわばNHKの特ダネ。後追い記事が新聞にどう出るかを期待していたが、きのうの保安院の記者会見を伝えるのみ。抜かれるとそれを過小評価するというマスコミの悲しき性。

共同通信が記者会見の模様を配信し、それを記事にした新聞もあれば読売も書いていたかな。そして藤村官房長官の会見も。
「当時の関係者の記憶をもとに作ります」みたいな言い訳。

朝日新聞は3・11当日からの官邸の混乱ぶりを続き物で書いている。ポロメテウスの罠という欄で。菅のノートがあった。福山副長官のメモもあった。寺田補佐官のノートもあった。それらを元に当時を振り返っている。

議事録は事務局担当。それはそうだけど、なぜちゃんと作れと指示しなかったのか。

やはり思う。あの政権には危機管理能力が皆無だったのだと。

対策本部の議事録が無い。諸外国の笑い物だろう。なにがどう討議され記録されたか。歴史的な人類の証明なのに。

会社で取締役会の議事録がなければ、株主から追及されるだろうし、社会はそれを許さないだろうし、監督官庁はそれを罰するはず。

議事録を作っていなかった政府。それを罰する手立ては無いものか。

そしてマスコミよ。もっと深く重く追及する姿勢はないものか。後追いでしっかりした記事を書けばいい。

臭い物に蓋とは言わないけれど、当時の政府とはいったい何だったのか。その対策本部の決定とやらで、多くのいわれなき避難民を出しているのだぞ。被ばくしなくてもよかったはずの被害者を出しているのだぞ。

真実を追求する。その気概をあらためてマスコミに問いたい。一回限りの報道で終わらせていい話ではないのだと。

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