2012年1月21日土曜日

CMというメッセージ

いまさら言わずもがな、震災後、原発事故後、テレビからCMが消えました。当然でしょう。
そして数日したから“復活”して来たのはACの♪ポポポポ~ン♪。そしてサントリーの何十人もの歌手による“見上げてごらん夜の星を”のリレーソング。

CM界は大震災という悲劇を機に変わろうとしているようにもみえます。変わろうとしていないものもあるけど。うるさいものが少なくなった。あのキャンキャンわめいていたジャパネットタカダの社長さんだって、静かに“未来”をと語っているように。生保もハウスメーカーも。基本的には15秒、たまに30秒で流されるCM。コマーシャル・メッセージの名に相応しく、メッセージ性を強め、時代を表現しようとするクリエーターの“努力”が感じられる物がある。
そして、もったいないようなCMも。正月の箱根駅伝。サッポロビールのCM。これは凄い。村上春樹にコピーを書かせ、仲間由紀恵がナレーション。
テーマは「走ることについて語ること」。一回だけの放送だとか。

長くなるけど、そのメッセージを。

「痛みは避けられない。でも苦しみは自分次第だ」、あるときそんな言葉を覚えた。そして長距離レースを走るたびに、頭の中でその文句を繰り返すようになった。きついのは当たり前。でも、それをどんな風に苦しむかは、自分で選びとれる。サファリング・イズ・オプショナル。へこたれるもへこたれないも、こちら次第。苦しいというのはつまり、僕らがオプションを手にしているということなんだ。
僕やあなたのような普通のランナーにとって、レースで勝ったか負けたか、そんなのは大した問題じゃない。自分の掲げた基準をクリアできたかどうか、それが何よりも重要になる。判断はあなた自身に委ねられている。自分の中でしか納得できないものごとのために、他人にはうまく説明できないものごとのために、長い時間性をとってしか表せないものごとのために、僕らはひたすら走り、またこうして小説を書く。
やっとゴールのマラトン村にたどり着く。炎天下の42キロを走り終えた達成感なんて、どこにもない。頭にあるのは「ああ、もうこれ以上走らなくてもいいんだ」ということだけ。村のカフェで一息つき、冷えたビールを心ゆくまで飲む。ビールはもちろんうまい。でも、僕が走りながら切々と想像していたビールほどうまくない。正気を失った人間の抱く幻想くらい美しいものは、この現実世界のどこにも存在しない。
走っているときに頭に浮かぶ考えは、空の雲に似ている。いろんな形の、いろんな大きさの雲。それらはやってきては、去っていく。でも空はあくまで空のままだ。雲はただの客人に過ぎない。通り過ぎ、消えていくものだ。暑い日には暑さについて考える。寒い日には寒さについて考える。つらいことがあった日には、いつもより少し長く、少しきつく、一周余分に走ることにしている。そしてあとにただ、空だけを残す。
4本分です。大学の陸上部の選手たちとか、子供たちとか、42,195キロを走り切った選手の表情とか。映像も上手いのです。そりゃそうだ是枝裕和の監督作品。

CMのコンセプト。「それは、困難な道のりを越えて走り続ける日本の皆さまへの心をこめたエール」と。

今夜の晩酌は、とりあえず(笑)サッポロ、エビスにします。100メートルも走れない身だけど。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...