2012年1月10日火曜日

希望の国へのエクソダス

以前もこのタイトルで書いたことがあったかもしれない・・・。

もちろん10年以上前の小説の題名。村上 龍。
経済が停滞し(今も同じ)、閉塞感の漂った(今も同じ、それ以上)日本。そんな現在社会に絶望した約80万人の中学生達がネットで呼びかけ、学校を捨てて「あすなろ」というネットワークを作り、最終的には北海道に広大な土地を購入して、30万人規模で集団移住、独立した経済圏や都市を作り上げ、実質的に「日本からの独立」を果たすという小説。

その小説の最後のページの1行。登場人物の名を借りて著者は言う。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」。

今の福島を物語るアイロニーのような・・・。

正月が明け、普段の日常が戻ろうとしている今。原発避難者が故郷に、実家に、仮設に帰ってくる話がマスコミの主流だった。束の間・・・。またもや、原発避難者の話題が数多く登場してきた。

岐阜へ避難した人。四国に「疎開」した人、九州や沖縄に避難した人・・。
福島からと思いきや、東京や神奈川の人もけっこういるという。一家で、妻子だけで。

熊本、阿蘇に避難した一家は「そこで飲んだ水がたまらなくおいしかった」という。すべてどこの何をとりあげて書くかは記者の勝手だが。

百人百様。それぞれの人の価値観がある。どこに住むのも自由である。避難と呼ぼうが疎開と呼ぼうが、単なる“形態”への表現。

生活の見通しもたたないけれど家族のことを考えて。その発想をメディアは美談として伝える。

リスクは背負わないに越したことはない。夫と離婚しての避難。離婚というリスクは影響ないのだろうか。

妻子が避難したあと一人、郡山で仕事をしている男性。大勢いる。彼らはほとんどが暗い。明るそうにしていても心が晴れていない。そりゃそうだ。疲れて帰る家には灯りがついていないのだから。ストレスですと彼はポツリと言う。
年中風邪をひき始めた。

昨日もちょっと書いたけど。若者が戻ってこない村。それは共同体としては成り立たない。あれだけ話題になった南相馬。若い人達も戻り始めている。あえてその地に戻り人のために役立ちたいという者もいる。

請戸港周辺。線量は低い事がわかった。誰も帰ろうとしない。なんとなく「村の掟」に従わざるを得ない人達もいる。だから「裸のフクシマ」を書いた川内村在住の作家のたくきよしひろは言う、「元の福島」には戻れない。戻ってはいけないと。

国は福島県のことを知らない。しろうとも、分かろうともしない。県は自治体になげるだけ。国に「お願い」するだけ。

もう住めないところは出来る、出来たはず。それを皆で認めないと。戻れるようにするというまやかしの“希望”を与えるのではなく、事実は事実と認め、「希望の国」を作ることを真剣に考えた方がいいのではなかろうか。真の「エクソダス」を。

亭主は福島県人ではない。東京人だった。いつでも東京に戻れる。でも、戻らない。避難先は引く手あまた。来い、来いと北海道の友人も言う。ありがとう。多少は被曝しているかもしれない。でも己の「免疫力」を信じている。

この毎時0,75マイクロシーベルトの地にいてよかったと確信している。なぜか。苦しんでいる人たちといささかでも向き合っていられるから。東京にいてこのブログは書けない。すべてが無責任な他人事の言動になってしまうから。

人口減少が続く福島県にいて、日本の、世界の人口減を憂い語ることも亦良しかと。

数千冊はあったであろう蔵書の中で、引越しの時に捨てずにとっておいた古本。それと「再会」出来たのも震災、原発のおかげかと。

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