2012年1月30日月曜日

故郷とは・・・その5

故郷の“定義”の一つとして、「かって住んだことのある土地。またはなじみ深い土地」と書いた。

自分にとっての故郷とは。時々考える、考えさせられる事である。この”定義“に従うなら、僕の故郷は東京都渋谷区初台ということになる。かつては代々木初台536番地だった。

生まれたのは大阪だという。その後すぐ兵庫県の姫路市にある“実家”の戻ったという。
姫路市北条口102番地。そこがある時期まで本籍地だった。

8月6日の“ピカドン”の時は姫路にいた。広島との距離は200キロ余り。その時の風向きなんて知らない。灰のカケラくらいは吸っていたかもしれない。

“実家”は空襲で焼かれ、祖母、母、弟妹と逃げ回った。多くの焼死者も見た。父親は東京にいた。疎開先の6畳一間で玉音放送を聴いた。おぼろげな記憶として。

なぜか姫路の家の間取りを全部覚えている。門を入ると燈篭がいくつも建っていて玄関を開けると右手が女中部屋。大きな座敷がいくつもあり、奥には仏間があり、離れがあった。渡り廊下で行く。チンという名前の犬がいた。狆。

終戦後間もなく東京へ。復興住宅というのか。三河島の長屋にしばらく暮らした。自転車のタイヤ。ゴムのなくなったリムを棒で押して遊んだ。

父親が探し出した初台の家に住むことになった。幼稚園に行き、小学校、中学校、高校、大学、社会人・・・・。40年以上を初台で暮らし、昭和63年になぜか郡山に来た。
そして現在に至る・・・・。

姫路の家はもちろん焼失した。親戚はいるがもはや縁遠い。そこが故郷という感覚は全く無い。

大学の卒業証書には、兵庫県 瀬川賢一と記されている。

母親は東京都八王子市にある都営の霊園にねむっている。祖母は分骨されてそこにいる。

4年前、東京、初台の家をたたんで郡山に完全に転居した。
かつて住んだことがある地、馴染みの深い土地。そこにはもう家は無い。
子どもの頃遊んだ“狸山”という原っぱは、ロッテの社長宅と高級マンションが建てられている。昔日の面影は無い。笹の葉を浮かべて遊んだドブは暗渠になっている。子どもの頃の遊び仲間は誰ひとりとしていない。
墓守は町田市に住む弟に託した。

初台。そこには大きな郷愁がある。会社があった六本木も郷愁の塊。しかし、たまにその地を訪れても居場所が無い。

郡山に住み続けて24年。ここに骨をうずめるのかと聞かれても、答えを持たない。この地で死に絶えることには疑いを持ってはいないが。

自分にとって故郷とはどこか。心の故郷は東京である。しかし・・・。

「やはりデラシネなんだな。根なし草なんだな」。そんな想いに駆られる時が多い。

そしてー。3・11をこの地で迎えた。この地に居てよかったと心底思う。
福島県民として、郡山市民として、この“汚染された街”に住み、多くの悩みを共有し、老いの身ながらも、なにか為すべき事はないかと模索していることを有り難いと思っている。郷土愛とは違う感情なのだが。

故郷論。本当は、もっと違った、様々な角度からのアプローチも必要なのだろうが。とりあえずはこの辺で・・・。

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