2012年7月31日火曜日

たった一人の反乱

きのう、大間の「あさこハウス」のことを思い出して書いた。原発に自分の土地を売らないと決めたあさ子さんは、多くの嫌がらせを受け、村八部にもされた。しかし、自分の信念は変えなかった・・・。

「たった一人の反乱」。そんな言葉が思い浮かんだ。数十年前に書かれた丸谷才一の小説のタイトル。その本のことを思い出した。でも、残念なことにその本は書架に無い。散逸されてしまった本の一冊。

「3・11」後、ずいぶん本を買った。いわば手当たり次第にという状態で。もちろん震災関連の本であり、原発関連の本であり、この国を読み解くための本であった。そして、ジャーナリズムの在り様をめぐる本・・・。乱読。まさに、分不相応な出費。

あれ以降、今に至るまで、ボクのこころに生まれた“空洞”、不安定な精神構造。それを埋めるために、しばしば文学に逃避した。しようとした。「3・11」以降に書かれた文学作品にはそれを埋めるものが無かった。渇きを潤わしてくれない・・・。そんな文学に出会えない。

いきおい、「古書」に頼ろうとする。記憶にある本。しかし、それは無い。後悔する。何があっても、邪魔であろうとも、本はとっておくべきものだったのだ。
並べられた書架の本の背表紙を見るだけでも、そこには思考のヒントがある。埃をはたいて数ページ繰るだけでも埋められるものがある。空白の時間も埋まる・・・。はずだったのだが・・・。

「たった一人の反乱」。たしか、高級官僚が民間に天下りを余儀なくされ、その会社や家庭の中での数々の葛藤。ダリの「壊れた時計」をも登場させ、自らの精神世界を保とうとする主人公。それは、作者そのものだったような。

たった一人の反乱。それは、いま問題とされている「いじめ」にも通ずるものがあるような。

反原発集会。それを“反乱”と呼ぶのは、相応しく無いかもしれないが、今、この国で起きている“反乱”。それは、コップの中の嵐ともメディアは揶揄するが、おしなべて“群をなして”いる。
一人ではなく、群れで、今の社会事象が語られる。そして、都会で「たった一人」だと思っていた人も“群”の中に身を置くことで、安堵感を覚えている。
「群衆の中の孤独」。そんな観念は今は持ち合わせていないような。

原発から避難した人たち。自主避難とやらをした人達。たった一人というケースは稀だ。避難者同士で群れをなしている。
どこかに帰属したがる。組織化したがる。同憂の人たちと集うことの安堵感・・・。

たった一人の反乱。至難の業なのだ。川内村に漠原人村を作った風間さんという人は、さしずめ、その一人だったのかもしれないが。周りから見れば“奇人”だった。

反原発集会は、もっともっと膨れ上がっていくかもしれない。それが結果をもたらすかどうかは別にして。

大間の「たった一人の反乱」の方が、与えた影響が大きかったようなきがするのだが。歴史上にも、そんな人がいたような気もするのだが・・・。

2012年7月30日月曜日

「三里塚闘争」と「反原発集会」

三里塚闘争。成田国際空港の建設地として浮上した、成田市の三里塚地区と芝山地区を“現場”にして繰り広げられて空港建設反対闘争。農民対国家権力。そこに組織化された全共闘など各セクトが入り混じり、延々と続いた闘争、“武力闘争”。そして、“一坪地主”というものが生まれた。

まだ在るであろう空港敷地内の、反対闘争のシンボルだった“団結小屋”。

とにかく空港は完成し、反対闘争で多くの人が血を流したという歴史は、過去のものになり、成田空港は海外に行く人たちで賑わい、この国の繁栄をそのまま反映しているかのような。

反対闘争の真っただ中、メディアに関わる大きな事件があった。TBSの取材クルーが反対派の角材をその車両に積んで運んだ事件。

その詳細は“当事者”でない以上、つまびらかにしないが、関わったTBSの人たちは皆、未だテレビが黎明期だった頃、テレビについて熱い思いを持っていた人たち。
反対派に“協力”することによって、反対闘争の“本質”に、より迫れると思っていたのかもしれないが。
彼らの彼女らのほとんどがTBSを去り、テレビマンユニオンという番組製作会社を作ったり、そこからも去ったり・・・。

安保闘争の時には無かった“メディアの立ち位置”が、はしなくも露呈された。
農民は、反対派は「敗れた」。空港は建設され、拡充されていった。反対派の拠点だったところはことごとく無くなった。反対運動も無くなった。

ただ一つ残された空港の敷地内にある団結小屋・・・。

青森県大間にある「あさこハウス」が重なる。大間原発建設に反対し、自分の農地を売らなかった熊谷あさ子さん。

その土地と自然を大事にしていれば、何があっても生きていける。原発という危険なものを将来に残すわけにはいかない。いくら金を積まれても土地は売らない。彼女の信念。イデオロギーでは無い。そして「あさこハウス」は、今も原発建設予定地の中の草むらの中に立っている。

成田闘争。その現場は三里塚。空港建設資材搬入阻止が、物理的阻止、抵抗が闘争そのものだった。

4か月ほど前から始まった官邸前の反原発デモ。大きなスローガンは大飯原発再稼働阻止、反対。大飯は反対運動の拠点にはならない。それを決めた政権に対しての抗議だから。

回を追うごとに参加者は増えている。メディアもそれの取材に、積極的に“参戦”している。そして・・・。万を越える人達が集まった中に身を置く。参加者の声を聞く、その雰囲気を肌で感じる。そこで感じたことを書く、喋る。
おのずから伝え方には“方向性”が出来てくる。

反原発集会を否定などするものではない。原発はいらない。それはここ福島の地に身を置いていれば、そこで国のありようを考えれば、原発再稼働などというのはもってのほかである。

しかし・・・。その集会やデモの様子を伝えるメディアの筆の運びや言辞には“違和感”を覚える。何かが違うのだ。その何かをあらためて考えなくてはならない。立ち位置を「フクシマ」に置いて・・・・。

闘争の中身も違う。“武力闘争”でももちろん無い。組織化されたものでもない。火炎瓶は飛ばない。角材も無い。様相はまれで違う。

三里塚のキーワードが「農地農民」であったとすれば、官邸前や国会を取り囲んだデモのキーワードは何か。それらも含めて・・・。

2012年7月29日日曜日

「身土不二」と「旬」と

身土不二。てっとり早く言えば、自分たちの住む土地で出来た野菜を食べるのがからだに一番良いということ。人と土は一体であるということ。そして、それは旬のものであるということ。

郡山産の野菜は美味い。福島産の野菜や果物が美味い。手に入れられる限り、地元の野菜を果物を食べる。

かつて都会人であった亭主は、野菜を美味いものとは思っていなかった。今は野菜はなるべく加工せず、調理せず。そのまま食べるのが美味いと確信に近い感覚を持っている。

きのうも、親戚筋の結婚披露宴に呼ばれ、東京へ。有名なホテル。なぜ出される料理に手が進まない。肉料理に添えられている野菜。ジャガイモや人参。味はソースの味なのだ。食材の味がしないのだ。

もったいないと言われながらも高級フランス料理を残してしまった・・・。

新幹線の車内に“電光ニュース”が流れている。「被災3県含め、生産・消費ともに震災前の水準の復帰した」というようなどっかの統計数字。鉱工業生産のことを言っているのか、流通の事を言っているのか。福島の農産物の流通は、いまだもって芳しくない。一般的には敬遠されている。

昔、オーストラリアで初めてキウイフルーツなるものを食べた。無性に美味かった。ドイツでドイツワインを飲んだ。美味しかった。
日本で同じものを買っても、あの時の感激は無い。おいしくないのだ。

食べ物は、やはり、それが作られる土地の気候風土とマッチしているのだ。過去の実感。

今朝食べた生のキュウリは美味しかった。ちょっと塩をかけて。そこには、新鮮さだけではなく、土の香りが感じられるからなのだ。

衣食同源という言葉もある。とにかく人は、いや動物でもそうだけど、土の中にいる生物もそうだけど、生きているものには食べ物が必要なのだ。食べ物が人間のあらゆるところに影響する。それは害毒がある無いの話ではない。

食べ物とからだ。食べ物と脳・・・。学者はいろんな研究をして、それを言う。
テレビでは食べ物に関する番組が盛んであり、高級レストランや有名シェフが連日のように紹介され、そのレシピが紹介される。

でも、食材がすべての基本じゃないのかと思う。多分、一流の料理人は、きっと食材にこだわっているのだろうと思う。それを見分ける眼を持っているのだと思う。

最高の「おもてなし」。それは、朝早く畑に行って採った野菜を、食卓に供することではないかと。

都会のスーパーには、一年中、ほとんどすべての野菜が揃っている。そこには野菜の「旬」が無い。米も新米が美味しいのと同じ。旬のものが一番。

だけどまだ覚えられない。何が、どの時期に“露地物”として出回るのかが。野菜にも果物にも、魚にも旬がある。

放射線汚染が盛んに言われだしてから、郡山市内でも、気にするお母さんたちはネットショッピングで、県外の野菜を購入してる人もいると聞く。それはその人たちそれぞれの“防衛本能”なのだろうが。

亭主は、平気で、郡山産や県内産の野菜を東京の兄弟には送る。「うまかったよ」。その一行のメール。飛び交う“電波”は、そのメールを田畑に落としてくれているかも知れない。旬であっても身土不二ではないかもしれないが・・・。

今夜も福島県産の枝豆に、ナスにビールだ。

2012年7月28日土曜日

それは「見せてはけない」「見せたくない」ものなのか

3・11。その日に限っても多くの人が死んだ。ほとんどが津波にのまれて。そのあともどんどん人が死んでいった。行方不明者が死者に変わった。
原発事故で避難させられた人たちの中で、多くの人が死んだ。

死者は1万8771人。関連死1600人余り。今の数である。

津波で亡くなった人達・・・。誰も、その地に、その現場にいた人以外、死者、死体、遺体を見ていない。その関係者や遺族、警察官や自衛隊、捜索にあたった人たち以外は。

家族に友人に看取られての死。あえて、それを「整えられた死」と呼ばせてもらう。その死者とは、自分の親や友人でも、何人も出会ったきた。

事故や災害で亡くなった人たち。あえて、それを整えられない死と呼ばせてもらう。

テレビの仕事に就いて初めて見たのは、子供の頃、若いころ、写真で戦争による死を見たことはあるが、生々しく覚えているのが、最初は三河島事故のフィルム映像だった。編集室でビューアーにかけられ、カメラマンが撮ってきたフィルムの映像。昭和37年、荒川区の常磐線三河島駅構内で起きた電車の衝突事故。140人の死者を出した大事故。映像には死者が遺体が映されていた・・・。その映像を“仕事”として見ていたような記憶がある。自分自身にとっての「死」ではなかった。

昭和38年11月にあった神奈川県鶴見の電車衝突事故。鶴見事故。当時、遊軍記者だった新米。カメラマンと照明さんと3人で現場に行かされた。夜中到着。肩にはデンスケという録音機を担いでいた。カメラマンがカメラを構える。もちろん今のようなVTRカメラではない。手巻きのフィルモというカメラだったと。
照明さんがバッテリーライトを暗がりの中でつける。そこに浮かびあがるおびただしい死者、遺体の数々。照明が消えた。彼はその光景を見て吐いて動けなくなっていた。カメラマンに怒鳴られ、ボクがライトを持つことに。いきなり足が踏む、柔らかい感触。ライトを思わず向ける。それは切断された人間の足・・・。

カメラマンは撮り続ける。レンズを通して現場を見ている。ボクは肉眼で見ている。その現場にどれくらいの時間いたのか。どんな光景だったのか。今となってはよく覚えていない。
あの足の感触だけは残っている。あの時カメラマンが撮ったはずの遺体は一切放映だれていない。

近くの民家を訪ね、「前線本部」を作るべく交渉した。電話を借りねばならないし。そこに何日いたのかも覚えていない。朝になって現場に行った時には遺体はかなりどこかに安置されているような気配だったが・・・。

3・11後、時々、この時の光景が夢に浮かぶ・・・。何十年も記憶の彼方にあった光景が。

去年の秋、東京でテレビ時代の“同窓会”のようなものがあった。
久々の再会。その中に、偶然、今はいわきで一人でプロダクションをやりカメラマンをしている先輩と会った。
彼は、3・11後の映像をたくさん撮ったという。

彼が、やはりカメラマンだった人と議論していた。小耳にはさむと「なんで、テレビも新聞も遺体を載せないのか」という議論。それに交ざりたくて席をいそうする途中、別の誰かに声をかけられ、そこで話をしているうちに、カメラマン二人は別の席に移動していた。
話をしたかった・・・。

新聞のコラム記事、切り取っていた記事を取り出す。
朝日新聞の南三陸支局に駐在していた、南三陸日記というコラムを書いていた三浦英之という記者の「記者有論」。

見出し。「遺体の写真 掲載しない理念が揺らぐ」。

彼は書く。無数の遺体を見た。電柱に張り付いていた遺体や、体育館の床が遺体で埋め尽くされていた。
新聞には遺体の写真が載ることはほとんどない。変わり果てた姿を掲載されたくないという故人の無念さや、遺族の苦痛、悲惨な光景を子供の見せたくないという家庭・・。
そう思っていた彼が自分の理解に疑問を呈している。それは、あるシンポジウムで「なぜ新聞は遺体の写真を掲載しないのか」と聞かれたことやネットで「遺体を見ることもまた、同じ日本人として痛みを共有することなのではないか」という意見が寄せられたことなど。

かれは今東京の国際報道部という部署にいる。かれは書く。「ここ東京で暮らしていると、あの震災が人々の間で、早くも風化し始めているように思えることがある。私は今も月に一回はあの日の光景を夢に見る。夢の中で受ける衝撃が、“忘れるな”と、私と被災地を常につなぎとめている役割を果たしている」と。

新聞協会には遺体掲載に関する取り決めはない。放送倫理規定にも明快な規定はない。しかし、カメラマンたちは撮った。それは放送はされない。

それをどうとらえるか。双方の「死」あるいは「死者」というものに対しての、誰もがこうだと断定出来ない問題である。

昨日、たまたまネットで見たブログ。名取市の市議会議員になった荒川さんという人のブログ。津波で“行方不明”になっていたというお母さんの遺体がDNAで判明し、対面したというブログ。24日に書かれたもの。お母さんの遺体は去年4月に発見されており、荒川さんもその遺体を見ていたが、お母さんだとはわからなかったといういきさつ・・・。

去年の4月の発見時の写真も見せてもらったという。妻には見るなと言ったという。

このブログを読んだのがきょうのからから亭を書くことになった直接的きっかけ。

官邸前の反原発デモの声が遠いように聞こえる。いや、それを否定しているのでは決したなく。被災3県では、今も1年4カ月前がそのまま続いているということ。

3・11前にたまたま読んだ本。「悼む人」。悼むとは・・・そういう問いかけに塾生の一人が答えてくれた。去年だが。「忘れないということです」ときっぱり。

平和の祭典の幕開けの日に、あえてその”対極”を。

2012年7月27日金曜日

未だ「非常時」なのだ

きょうも酷暑です。暑い。昔風にいうならば、水銀柱はうなぎのぼり・・。
鰻といえばきょうは土用の丑に日。ウナギを食べる日。・・・とメディアは言う。

東京電力福島第一発電所。そこでは、毎日2,000人以上の人が働いている。その現場は、何かを作り出す、産み出すという生産性の喜びに満ちた現場ではない。後ろ向きの、廃墟と化した原子炉建屋、原子炉そのもの。そこにある爆発の残骸。それらを処理するための、非生産的な、労働だけがある場所。

過酷な労働環境。そこで働く人がいないと、後処理は出来ない。防護服に身を包み、この暑さに耐えながらの作業が続けられている。

この時期、「完全武装」で、役目をはたしているのは自衛隊員と機動隊くらいのものじゃないか。鍛えられた肉体を精神力がそれを支えているという使命感を持った・・・。

原発事故の収束。それは何を言うのか。何時、どうなってもおかしくないような2号機、4号機。汚染水を含め、いまだ放射性物質を排出しているであろうフクイチの現場。

多くの作業員は、いわゆる「下請」の作業員である。東電の協力会社に雇われた作業員である。

朝日新聞がすっぱ抜いた「鉛を使った作業員の被ばく線量隠し」。それがあったこと、それが行われていたことは事実。

元請け、下請、孫請け・・・。派遣法で禁じられている「多重派遣」。ネットで見た“内部告発”。東電社員は冷えた水を飲めるが、下請作業員にはなまぬるい水しか与えられないという話し。もしそれが事実だとしたら、1Fの東電社員幹部がちょっと気を使えば“改善”されることなのだろうが。

鉛による線量偽装。その根底にある雇用問題。ピンはね、ピンはね。あきらかにおかしな話である。あってはならない話しである。しかし、作業員がいないと原発収束はおぼつかない。出来ない。
事務職の東電社員にやれと言っても無理だ。現場の知識と経験が要求される仕事。そして、そこでしか働くすべを持たない雇用された人たち・・。

以前、原発を訪ねたときに見た光景。建屋の入り口。社員入口を協力会社員の入り口は分けられていた。同じ発電所内に入るのに入口が分けられているのか・・。あの不可思議な光景を思い出す。

「差別」という言葉では片付かない原発のありよう。もちろんそれは「平時」のことだったけど。

元請け、下請・・・。この国の産業構造には、それがどこでも通用している。いや、極論すれば、そんな雇用形態が無ければ、この国の産業構造は成り立たないのだと。建設会社でも然り。会社と「協力会社」、そ、なんとも奇妙な呼称なのだが、その持ちつもたれつの関係。会社に忠誠を誓う「業者会」。

戦後の日本を思い出す。あらためて。東京の山谷、大阪の釜が崎。ドヤ街。日雇い労働者が、きめられた場所、公共職業安定所の周りに早朝から集まり、その日の仕事をあさっていた。もしあぶれたらやけ酒飲むだけ。

高校時代、毎日通う山手線の高田馬駅近く。戸山にあった光景。毎日それを電車の窓から見ていた。

ヨイトマケの歌がうたわれていた。オッかちゃんのためならエ~ンヤコラ・・・。

日雇い労務者によって、この国の経済成長が果たされていたという事実。ピンはねくらって日給何百円の世界・・・。

ドヤ街を覗いたことがある。恐る恐る。酔ったおじさんにからまれた。「おい、あんちゃん何しに来た」と。そして一人の人が言った、ぐげんぐでんに酔っていたが。「俺たちがいないと、働かないと、明日の日本は無いんだぜ」と。

毎日見ていた日雇いの朝の光景。たった一日覗いたドヤ街の経験。それは、その後のボクの中に何らかの影響を与えている。

東北三県。被災地。そこは今でも非常時なのだ。非常地帯なのだ。でも、そこで大手を振っているのは、すべて既存の法律。
戦争中には戦時立法というのがあった。戦争のために作られた法律も数々ある。
いま、この被災地に、原発事故の現場に、それに既存の法律で対処していることのおかしさ。法律は政治家が、立法府の人間が作る。この非常時に対処する新たな法律がなにほど出来たというのか・・。

結局、何も変わっていないということ。

2012年7月26日木曜日

ビール祭りとお中元

夏本番・・・酷暑・・・。
そして夏祭りの時期です。郡山の開成山公園では、きのうから恒例のビール祭りが開催されています。広場に設けられた会場。ビール各社のブース。飲食店やその他の出店。

ステージではドイツのバンド演奏や、さまざまな音楽イベント。夜空には花火。このビール祭り。たぶん10回は数えるでしょうか。

多くの市民が集まってきます。5,000人が。もちろん、去年も開催されました。この時期に。
原発事故の“余韻“冷めやらぬ中、多くの市民がそれぞれ、“線量”を気にしながらも。

去年の光景がよみがえります。何時とはなしに、ステージ前の空間に人々が集まってきます。そして演奏に合わせて踊りまくるのです。こぶしを突き上げ、肩を組み、全身で表現している。中には泣きながら踊っている人もいる・・・。

郡山市民もいるけれど、避難してきた川内村や、富岡町の人たち。主催者が招待した人たち。故郷を追われた人たち・・・。もちろん、故郷の祭りとは全然違う祭りでしょう。
祭りは祀りに通ずる。故郷の祭りには、どこか心の浄化という意味合いもあったでしょうが。

去年の今頃。ちょうど避難所だったビッグパレットから、ようやく出来た仮設住宅に引っ越しが行われている時期でした。段ボールハウスから、まがりなりにも“住宅”へ。

踊り狂っている人の中に、見知った顔を見つけました。川内村から避難させられてきている人たち。その一家。

仮設には老夫婦二人。4畳半二間。子供や孫はそれぞれ借り上げアパートなどで。

「こういうところでもたまにやってこないとやってらんねよ」。

泣きながら踊る彼ら、彼女らの姿に涙を誘われながら一緒に飲んだビール。ほろにがい味でした。

仮設への引っ越しをちょっとだけ手伝いました。老夫婦の。ちょっとだけ。だって、持っていく物はほとんど無いのだから。生活必需品の買い出しに付き合いました。
仮設の引っ越せたからと言って特に嬉々としているわけでもなく、狭さに不平をいうのではなく。きゅうりの塩もみつまみにウーロン茶で一応乾杯。

その老夫婦。旦那のほうはビッグパレットに来た時から「酸素」を必要としていました。その酸素のボンベの確保がその一家の最大の課題でした。ビッグパレットから数回市内の大病院に入院したり。仮設に入居した時は、すこし落ち着いており、体調もいささか回復。旦那の手の届くところにおいてある住宅地図を繰りながら川内村について話を交わしました。
「ここも知り合い。こっちも知り合い」。うろ覚えの川内の光景を思い出しながら話を聞いていました。なんでも、相当大きな家に暮らしていたようです。大家族で。

この1,2カ月仮設にご無沙汰していました。その奥さんがきのう突然我が家を訪ねてきました。もう何回も来てくれてはいたのですが。
お中元を持ってです。フルーツゼリーがいっぱい入った箱。そして、また言うのです。「あの時世話になった恩は一生忘れないからね」と。特に何をしたってわけじゃないのに。

「爺さんはね、最近具合が悪くなって、南東北病院に入院した。もう、あまり喋らない」。
毎日病院へ通うのも疲れたと。あれほど元気そうだった、パワフルなばあちゃんも何かさびしそうだった・・・。
「ウチさ来てよ、夕方なら病院から戻っているから」。「今はまだ戻らないけど、やがて戻ると思う。そしたら絶対川内に来てよな」。

お中元。それをわざわざ持ってきてくれる。その律義さ。そして勝手に思うのです。お中元という日常の慣行をすることが、日常を取り戻そうとする意志の表れだと。再出発への決意表明だと。もちろん口には出しませんが。
寝たきりに近い状態の病気の旦那を抱え、ばあちゃんの苦労はつづきます・・・。

これまで貰ったお中元のどれよりもうれしかった、重みのあったお中元。

ビール祭りは今週末まで続きます。仮設や借り上げの避難した人たちも今年もきているのでしょう。明日、会場を覗きに行きます。もし、見知った彼らがいたら、一緒に飲もうと。

踊りの輪に中に混ぜてもらおうと。

2012年7月25日水曜日

解せない「報道」が続く

目の敵にしてマスコミ批判をやっているわけではないのですが。新聞には期待するとこ大なんですが。偏屈読者の思いをよそに、解せない報道がどうも気になって。報道の仕方って言った方がいいか。

今朝の朝日新聞。福島県に配られたもの。たぶん東京ではきのうの夕刊だったんでしょう。ネットで大騒ぎしていたから。きのう。

一面トップの大記事。覚えているおおよその見出し。
「福島原発事故由来のストロンチュウム、10都県で初確認」。こりゃ大変だ。フクイチに新たな事変があってストロンチュウム拡散と思いきや。
文科省が発表したデータ。去年の。確認された最大値は6ベクレル。

専門家の話では「ほとんど健康に影響ない」。

何を言いたいのか、伝えたいのか。推察するに文科省がやって発表したということらしい。本記の中では、これまでの核実験が頻繁に行われていた時の60分の1の数値と。
専門家とは誰かも書かれていないし、今、現在の状況にも触れられていない。

発表が遅れた文科省の言い訳が添えられているだけ。福島や宮城は計測出来ていない。

このところ、朝日は原発報道にあらためて“力”を入れてきた感あり。それは歓迎。しかし、その内容や扱い表現に感じる“違和感”。

数日前にあった県外避難している母子家庭へのアンケート調査。重い経済負担、父親と離れていることでの子供の心への影響・・・。問題点が指摘されている。
その内容に嘘はないだろう。しかし、非難の実情は、たとえば警戒区域からの避難者と郡山や福島からの避難者では違う。避難した場所でも違う。

亭主の周りにも母子避難した家庭はかなりいる。幼児を連れて避難したが、自分で調べて考えて、帰ってきた人もいる。断固、新潟にとどまっている家庭もある。一家離散を憂慮した会社が夫を神奈川に転勤させた。でも神奈川にはこない。線量が0,00いくつ高いからと妻は言う。避難した「借り上げ住宅」で新たなコミュニティーを作り、そこで行きかう“情報”を最大の物として暮らしている。旦那はひとり暮らし。もちろん毎晩外食もおぼつかない。彼も相当の精神的ダメージを被っている。休みになると疲れたからだを休める間とて無く、新潟に車を走らせる。子供といる時間が安らぐからと。

避難先に向かう旦那が交通事故死したケースも多々ある。このアンケート調査には夫の問題は触れられていない。少なくとも新潟県は借り上げ住宅は“無料”だ。記事にはその経済負担が書かれているが。

禁止用語だといわれるが、「片手落ち」の報道とも。

総理官邸前の大飯再稼働反対デモ。初めの頃はメディアはとりあげなかった。ツイッターでは「書かない、取り上げない」と大手メディアへの批判が渦巻いていた。やっとテレビや新聞が取り上げた。ツイッターでは、どこの社が来た、どこが放送したと礼賛。

新聞、テレビは言いだす。「国民世論の声だ。それに耳を貸さない政府、野田政権」と始める。

大飯原発再稼働。4号機もフル稼働。新聞は書く。「関西の電力制限は大幅に緩和される」と。それだけ。
再稼働に至るまでのあの安全性含めて、節電ムードあおっての報道ぶりは何だったのだと。

オスプレイ報道も数カ月すればどうなっているのだろう・・・。

何がネタで、そのネタをどう扱うか、どう見るのか。メディアの取材力は向上している。政治は劣化している。その劣化に見習うことのないように祈るのみ。取材力は向上しても表現方法が劣化していたのではいやはやなんとも。

蛇足のようだが・・。イチローの電撃移籍。現地のテレビレポーターが手にしているもの。それは現地の新聞。「こんなに扱われています」。新聞はテレビの小道具ではないはずだが。

オリンピック報道でも、テレビは使うだろう。新聞を小道具にして、その見出しや扱いの大小をネタに。テレビも認めている新聞の“価値”かと。
そして被災地出身、ゆかりの選手のことが、ネタになるという構図。

文句言いながら、今夜は頑張って、眠いの我慢して見るぞ。ナデシコを。

2012年7月24日火曜日

かくて幕は降りるのか・・・

福島原発事故をめぐる「事故調査委員会」。民間、東電、国会、政府。その最終報告書が出そろった。

東電を除いて、各委員会の方々の労苦には、それなりに多としたい。

どの調査委員会も「責任の所在・責任追及」の主眼が置かれている。そして、その“所在”も書かれている。しかし・・・・。それまでなのだ。

責任とは何か。あらためて考えてしまう。考えるまでもないことだろうが。少なくとも、誰も罪科(つみとが)に問われているわけでなないのだし。

そして、どの報告書もおしなべて予測の範囲。責任も含めて指摘された当人がどう反応していくのか。

政府事故調の畑村委員長は言う。「見たくないものは見えない。見たいものが見える」。けだし名言である。そして、その名言を残して、これらの調査委員会はお役御免の幕引き。委員それぞれも「未解明の部分が多過ぎる」としているのに。

そう、多くのことが解明されていないのに。

膨大な事故報告書は野田のもとにわたった。野田がそれを何と為すか。新たに出来る「規制庁」へと引き継がれるということだけだろう。

新たな事故調査委員会の必要性を強く思う次第。

少なくとも福島県民は、「見たくないものを、あまりにも多く見てしまった。見たいものはいまだ見えていない」。畑村発言の挙げ足をとるようだが。

双葉病院の避難問題についても、多くの死者を出しながら、誤った報道が院長が逃げたと伝え、一時は極悪人にさえされていた。あの、非難の渦にさらされながら、よくあの院長は立ち直ったと思う。

過酷な避難行。それは県の縦割り行政のなせる業だと報告書は指摘する。行政が縦割りであったとしても、それを束ねる県知事という人物がいたはずだ。それに対しての、県知事の責任に直接言及した記述は無い。

これで幕を降ろされてしまっては・・・。福島県民はたまったもんじゃない。

責任追及だけでは、事は終わらない。真相の解明がなされねばならない。しかし、それは無理だという・・・。

たとえ何年かかろうとも、真相が究明されない限り、原発再稼働とは言えないはずなのに。

メディアの検証報道も盛んである。それにはいろいろな形があるが。委員会が手を引くなら、そのあとはメディアの諸君、君達が引き継ぐべきである。

情緒的な読物にするのではなく、先入観に基づくものでなく、原点に立ち返って、自分たちの報道も含めての事故の検証、調査をやる義務がある。それを新聞社は連載記事でやるのではなく、一冊の本にまとめなさい。テレビは特にNHKは他の民放局の協力を求めて、DVDを作りなさい。見えるようにしてほしい。

この2011年、2012年に存在していたメディアとして。課された義務なのだ。

谷川俊太郎の詩。「死んだ男の残したものは」。その最後の4行。

死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまたくる明日
他には何も残っていない
他には何も残っていない

「輝く」の部分だけを申し訳ないがいじる。「消えゆく」に替える。
事故委報告書なるものが出そろって、それを見て、この詩が浮かぶということ。

2012年7月23日月曜日

「嘘」をめぐるあれこれ

子供のころ、「嘘をついてはいけない」とよく諭されました。嘘はわるいことだと思っていました。でも、嘘をつい言ってしまう。祖母から言われる「嘘は泥棒の始まりだよ」と。俺、泥棒じゃないから・・・。

その晩、唯一の娯楽。ラジオを聴いていたら落語で誰かがやっていた。
「お釈迦さまも言ってらあな、嘘も方便、ところによっては真となるってね」。

子供な単純に思う。あの偉いお釈迦さまだって嘘は真になるっていってるじゃないのかと。

この辺から世の中のことが。だんだんわからなくなってくるのです。

「嘘から出た真」ってのもあった。

嘘をめぐる田中角栄の“名言”がある。
「世の中には、他人様の噂話や伝聞をいつもポケットに入れて、それを言いふらすことで一日を回しているアホな奴らがいる」。
「嘘も毎日ついていれば真実になる」。

田中角栄は本人の性格もあったのだろう。たしかに“ウソ”は言わなかった。オール オア ナッシングという言葉を好み、イエス ノーをはっきり言えというのが口癖だったような。

出来るものはやると言った。出来ないことは無理だとはっきり言った。やると言ったことはやった。

そして言う。総理大臣には一つだけ許されている嘘がある。それは“解散”だ。前日まで解散はしないと言っていて、突如解散権を行使してもそれは許されると。

さらに彼の語録。「国会というとことは何でもできる。男を女にすること以外は」。
たしか、大学管理法案の時だったか。与野党合意が出来て成立させるための参院本会議。時間切れ。彼は事務局に命じて本会議場の時計を止めさせた。針の進行を遅らせた。本会議場の時計が止まっていることは全員承知。議場には止まった時計を見て「うお~」という声が上がったが、議事は着々と進行していた。法案成立と同時に、夜中の12時に時計は動き始めた。
表に出たら空はすっかり白んでいた・・・。彼がやってのけた“偽計”。それも“ウソ”だと言えば“ウソ”になるが。

そして今の世の中。あまりにも“嘘”が多すぎる。政治家は出来もしないことをやると言い、ジャーナリストを称する奴は噂話や伝聞を持って回り、発信している。

偽装、隠ぺい。要は嘘である。嘘が嘘を呼んでいる。線量計を鉛で覆っての被ばく量偽装。ありもしない福島の実情・・・。挙げればきりがない。

「下手な嘘」がまかり通っている。いじめ問題とて然り。

一回嘘をつくと一生嘘をついて暮らさなくてはならなくなる。逃げなくてならなくなる。関係者みんな逃げているような印象のいじめ問題・・・。

政治の嘘にはもう慣れっこになっているかも。でも、その嘘は誰かが暴かなければならない。暴くのはマスコミ。
かつて原子力関係者が言った。「放射線漏れよりも情報漏れのほうが怖い」と。

これですよ。これ。

でも・・・。マスコミも、それが故意でないと、好意的に見ていても、やはり報道に嘘がある。結果としての嘘も含め。

ジャズのスタンダード曲にIt's a sin to tell a lieという曲がある。まさに邦訳、「嘘は罪」。男女の愛の駆け引きを歌ったものだけど。Sinとは法律的な罪ではない。宗教上の罪という意味。

政治家の言辞は皆、sinなのだ・・・。

2012年7月22日日曜日

「安保」と「原発」と

日米安保条約。それは日本の歴史の中に厳然として存在する「事実」であり、それによって沖縄の米軍基地は固定化され、地位協定なるものによって、ある意味、アメリカの恣意のまま、配備の変更が行われ、「オキナワ」は“差別”の中に取り残されたままである。沖縄県民に対して本土の人からの“差別”は無いにしても、常に「脅かされている」という差別環境からは抜けられない。

沖縄米軍基地反対闘争。盛り上がりを見せたかと思うと、いきなり沈み、また何かがあると勢いを増す。何十年間もそれが繰り替えされてきた。

オスプレイが明日にも岩国基地に到着。やがて、普天間に配備されるだろう。それに抗する術を日本政府は持たない。配備はアメリカの「権利」とされてしまっているのだから。

“欠陥商品”といわれ、かつて森本防衛相をして「未亡人製造飛行機」といわしめたオスプレイ。それの配備に対してどれだけの反対闘争があるのか・・・。

抑止力と核の傘。戦後の日本経済の繁栄は日米安保によって支えられて来たことは間違いない。沖縄に犠牲を強いながら。沖縄も共に栄たけれど。

安保反対闘争。反対運動。反対デモ。その渦中に身を置いた経験がある。たったひとり、なぜ国会前に行ったか。そこに立っていたのか。そこで殴られ、水を浴びていたのか。確たる思想を持っていたわけでもない。なにかに所属していたわけでもない。

戦時中、戦火の中を逃げまどった記憶。その断片的な記憶が呼び覚ます戦争への恐怖感。多少の反戦文学を読み、それにいささか共感していた思考。そして何よりも権力・権威への反抗心。それらがないまぜになっていたのであろうか。

しかし・・・あのデモは凄かった。どこかで「死」を覚悟していたような。

反原発。大飯原発再稼働阻止。それを目指す官邸前の各週のデモ。それを「デモ」というには抵抗があるが。そこに安保世代の人もいる。安保を知らない世代が圧倒的。

時代をいささか遡れば、反原発運動はたしかに存在していた。しかし、それは、思想的背景を伴った運動であり、市民を巻き込んだものではなかった。

今、なぜ、官邸前や代々木公園に、そして、全国各地で。反原発でもがあり、大飯再稼働反対の声が上がるのか。

根底の一つにあるのは「フクシマ」だ。福島原発のあの悲惨な事故が無ければ、よしんば、いささかの疑義や不安を抱えていたとしても、あのような大規模の集会はありえなかったであろう。すべての出発点は「フクシマ」なのだ。

集会をめぐるメディアの取り上げ方、視点については触れない。ただ、メディアが伝えてくれたことの一つに、現代社会が抱える構造的問題が潜んでいるということ。たとえば、都会の中で孤独感にさいなまれ、無為な日々を送っている若者・・。嫌な言葉だけど、“閉塞感”に満ちている人たち・・・。

そこに行けば何かがあるかも知れない。何かが見つかるかもしれない。政治を悪の対象にすることによって自分の中で何かが救われる・・・。そんな都会人の感覚があるかもしれない。それはメディアの報道で知った。

社会に不満を抱く人達をも包含したこの官邸前の行動。29日は国会を取り囲むという。その後も継続的に続けられるのか。少なくとも反原発の目的を達成するまで。

福島の人達は、あらゆる意味で、今も、そう、あれから500日たった今も、あえぎ、もがき、苦しんでいる。そしてその福島に対して、いやフクシマ問題に対して、早くも“風化”という言葉さえ聞こえはじめている。
沖縄米軍基地問題がそうであったように、そうであるように。

そして、決して悪い意味ではなくとも、フクシマに対する様々な観点からの“差別”も消えない。

そこには・・。あえて言う。福島県人の「フクシマ」に対する“差別”もあるということも。

そして、沖縄と原発に使われる共通項。「抑止力」。片や核への安全保障。片や電力という名の生活安全保障。それに伴う“犠牲”は見過ごされる・・・。

2012年7月21日土曜日

その男の登場が、デモの価値を下げた

華麗なる一族。山崎豊子の小説の題名を借りるなら、そう呼んでもいいだろう。
名門、鳩山家。

鳩山一郎のことは、その信条や政治経歴は本でしか知らない。鳩山威一郎。外務大臣時代に付き合いを持った。突出したところは無いが、温和で冷静で地味な政治家であった。

その子、鳩山邦夫。政界入りを目指し、父親の口ききもあって、砂防会館詰めの田中角栄秘書になり、修行、丁稚奉公をしていた。当時は好青年という印象。その兄、鳩山由紀夫。会ったことは無い。いつの間にか政治の主役、主演者になっていたような。

人は彼を宇宙人と呼ぶ。なぞらえられた宇宙人が迷惑する。その意味はわけのわからん奴というイメージから来ているから。缶コーヒーのCMに出てくる宇宙人のジョーンズさんの方がよっぽどわかりやすいし、まともだ。社会を見る目は痛快なくらい的を射てる。

きのう官邸前での反原発集会、デモ。デモと呼ぶのが相応しいかどうかはともかく。7万人の人が集まったという。その中に鳩山由紀夫がいた。元総理大臣。その官邸の主だった人。集団の中に身を置き、ハンドマイクを持って叫ぶ。「皆さんの声を聞き、官邸に届けようと思ってやってきました」。そして取り巻きと警護官に守られながら官邸に入り、官房長官に会ったという。

事実だけを簡単に列挙する。デモがあった。鳩山がその場に登場した。マイクをもって「反原発もどき」のようなことを言った。官邸の中に入った。

鳩山は野田に会おうとしたという。野田がいない事を知らなかったという。それは嘘だ。きのうは豪雨の被災地を視察にいくことはあまねく報道されていたのだから。会おうとしたけど会えなかった。ポーズだ。

この官邸前の反原発集会の主催者が誰だかはしらない。鳩山がその場に行くことは、鳩山の側から主催者に伝えられていたか、主催者の方が鳩山に参加を要請したのか。ハンドマイクを持っていたのだから、当然、彼の周りには主催者側の人間がいたことになる。その辺の真相はどこも書かない。伝えない。
これは常識である。元首相が現首相に会いたい。いくらでも会える。官邸への出入りももちろん自由だ。会いたいのなら、会って伝えたいことがあるなら正々堂々と政治家対政治家として会えばいい。まして、未だに民主党員であることに変わりは無いのだし。“活動家”が面会をもとめることとはわけが違う。

この件について、昨夜、無人地帯というヂキュメンタリー映画を作った藤原敏史監督と“会話”した。その映画を全編見る機会には恵まれていないが、その映画が国際的に高く評価されていることは知っている。ダイジェスト的なものは見たが、原発被災地、避難民に対する彼の眼は優しい。そして、かれのカメラは事実を追い、限りなく真実に近づこうとしている。

鳩山の目的は何だったのか。原発に関して、彼の口から「反原発」という政治姿勢を聞いたことは無い。国連に行って、CO2を25%削減と“公約”した。その出来もしない約束を敢えてした裏には原発依存があったからだ。原発で成り立っている彼の思いつきとも言える言動だった。

沖縄の普天間基地移設に関しても、“うそ”を通した。沖縄県民を怒りのどつぼに追い込んだ。二枚舌、三枚舌の持ち主・・・。首相を辞めたら国会議員も辞すると公言したにもかかわらず、あっさりそれを撤回する・・・。

奥さんと一緒にファッションショーに出て踊りまくったり・・・。要するに目立ちたがり屋なのだ。天性。

その性格がきのうの行動に垣間見える。集会に参加することが政治家の本分ではない。社民党党首や共産党党首ならいざしらず。総理大臣経験者だ。
もし、反原発に宗旨替えしたなら、それは国会の中で問いただし、主張すべきだし、ムードとしての反対ではなく、この国のエネルギー政策も含め、国の有り様を考え抜いて首相経験者としての発言、行動をすべきなのだ。

多くの国民が「政治不信」だという。その元を作ったのが、少なくともその一人が鳩山由紀夫という男なのだ。政治の劣化を招いた“犯人”なのだ。

一言で言う。彼のパフォーマンスは、見せかけの反原発に与することで、次回の選挙を有利に運ぼうとする浅知恵なのだと。

官邸前の反原発、大飯再稼働反対のうねり。それが純粋な国民の真意の発露の行動だとしたら、そこに邪心を持った鳩山を交えたということで。その運動の品位や存在意義さえも問われることにならないのかと。

頭に来たからボスの缶コーヒー買ってこよう。ジョーンズさんにご意見拝聴してみようかと。

2012年7月20日金曜日

やはり「温度差」は存在する

郡山の昼の気温は20度。昨日の昼間より10度以上低い。着るもので調整するしかないが、身体がついていかない。
この気温の差。これも温度差。

もっとも列島各地も気温は低くなっているというが。

先日の東京行。街を見たくて・・・。
東京駅の丸の内口。駅舎が改装中。外観はほぼ復元された東京ステーション。
写真を撮り。取り壊しを免れた中央郵便局も。そしてまわりの高層ビル群も。

すっかり装いを変えたような東京丸の内界隈。ところどころ見覚えはあるものの、かつて見知った東京とは景色が違う。

時の流れによる記憶の温度差。

タクシーで通った霞が関界隈。役所の前は“バリケード”。鉄柵。警察官なのか、警備員なのか。いかめしい人が立っている。
その役所で働く人たちも、すべて、身分証明書みせて中に入る。
自分の職場が他人によって守られているということ。

国会議事堂前や官邸前を回ってもらう。懐かしい光景。記憶に無いのが官邸のたたずまい。無かった道ができている。
この辺を原発再稼働反対“デモ”が“包囲”していたんだな。
タクシーの運転手さんに聞いてみる。デモのことを。
「なんかそうらしいですね」。

ほとんど無関心のような。代々木公園の集会のことも聞いてみる。
「そうらしいですね」。

東京の多くの人が関心を寄せているであろうと推測していたが・・・。
同じ東京の中でもある温度差。

会合の場所は赤坂のホテル。出された食事。洋食。不味い。肉も野菜も。特に野菜。素材の味無し。人工の味覚。その温度差。

去年の会合の時は、皆が「福島はどうだい」とその様子を尋ねてくれた。今年はさほど話題にならない。時間の経過がもたらした“興味と関心”の温度差。

“仲間”の多くは、去年、さまざまな「差し入れ」を送ってくれていた・・・。

定例会以外に、今年は番外編をやろう。そう一致する。場所は新潟で。田中角栄記念館で。

新幹線でわずか1時間30分の距離。その距離に比例するかどうか。やはり存在するもろもろの温度差の実感・・・。

今朝の新聞。地元紙の一面。楢葉町長が警戒区域見直しの政府案受け入れのこと。社会面、続く牛肉の風評被害。汚染稲わらの処分ができないとも。ダジャレいうつもりじゃないが、わらをも掴む思いで飼育再開した酪農家の弁。「気力がなくなってくる」。

肌で感じる福島の現状。全国紙は・・・。テレビは・・・。いじめ問題であり、オスプレイであり、一般論としての原子力問題、電力供給問題。

肌寒いな~今日は・・・。

2012年7月19日木曜日

40年という歳月

福島原発、4号機の燃料棒、“危険でない”燃料棒が試験的に取り出された。
燃料集合体。使用済みの高線量のものは3,000本以上もあるという。

第一原発。廃炉までには40年かかると言う。40年・・・。

田中角栄内閣が誕生したのが40年前。1972年7月7日。その日をもって、それまで、彼を追い、彼と親しみ、日夜接していた田中番記者は“解散”した。

日々の動静は官邸の番記者、総理番という、いわば政治部駆け出し記者に委ねられる。朝、晩、目白の自宅にはそれまでの田中番記者、田中派担当は行ってはいけない。内閣記者会がさだめた“不文律”“慣行”のようなもの。

ある日、官邸を早めに引き払い、事務所のある砂防会館、もちろん佐藤昭さんのいるところ。そこに立ちよったところ、総理番記者と懇談中だった。馴染みの秘書がドアを開けてくれ、中に入った。

田中角栄とそれをとりまく、まだ馴染んでいない記者達。お互いに構えるような不思議な雰囲気がその場を支配していた。

「お役御免」になったそれまでの番記者。やがて社内移動の対象になるはず。持ち場が変わるはず。他社は“敵”であり、ライバルだ。しかし、社は違っていても、お互いに芽生えた“友情”。苦楽を共にしてきたという仲間意識。
誰言うとなく、「年に一回は会おうや」。その集まりを7月7日にちなんで「七夕会」と名付けた。

最初は記者だけ。しばらくして、角さんが“引退”してから、総理大臣当時の秘書官や、田中家にゆかりの在る人もメンバーに加わった。もちろん田中家といっても真紀子でも直紀でもない。

その七夕会、今年が40回目。先日の東京行はそれに参加するため。一年ぶりに集まった仲間。九州や福島からも駆けつける。皆、それぞれ現役はとうに引退している。田中角栄が好んで使った言葉。「鬢髪霜をおい」。まさに、ほとんどが70歳代後半。年をとった・・・。しばし交わされる病気談義と健康談議。

そして勢い、政治に。当選仕立ての小沢一郎おぼっちゃまの話しから、今の政治の有り様にまで。

政治部記者後、解説委員としてNHK日曜討論の司会をやっていたヤマチャンが言う。「オレはもう、今の政治に、政治家に興味も関心も無くなった」と。

おい、それじゃ困るんだ。朽ちるまで政治を語れと。角さんをめぐる思いで話しに花はさいたけれど。そして、今、田中角栄ありせば何を叫び、何を訴え、何を為したか・・・。

少なくとも、3・11後の、この国の有り様は違っていただろう。官僚を叱りつけ、ケツを叩き、熱弁をふるい、新たな「日本列島改造論」をぶち上げ、実行させていただろうと。

たぶん、奇想天外なことまで思いついていたかもしれない。「どうしていたと思う」と問いかける。具体的な事には誰も思いが及ばない。
新潟を豪雪から救うため三国峠をダイナマイトしかけてぶっ壊せ。そんなことを真面目に言っていたあのコンピューター付きブルドーザー。もうこの呼称も死語だが。

元政治部記者だった老人集団が今の政治にすっかり冷めている・・・。その間に40年という歳月が大きく横たわっている。そして一年ぶりの邂逅の時はあっと言う間に過ぎる・・・。

廃炉まで40年。キミは40年後の福島の姿を想像できるか。

「俺は角さんの孫が決起するのを待つ。すくなくとも角さんの、まともな血をひいていると思うから。その時生きていれば、おれは新潟に駆けつける」。そう言った奴もいた。

そしてボクはおもう。まだしばし、冷めてはいるものの、岡目八目でもいい。政治を見つめ、多分、批判ばかりだろうけど、それを語って行きたいと。

2012年7月18日水曜日

「バリケードを突破せよ!」

飯舘村にバリケードがついに設置された。長泥地区へ行く道路封鎖。国の「区域見直し」のよる措置。たしかに長泥は線量は高い。しかし、なんで今更、なんで今頃・・・。

テレビカメラは捕える。そのバリケードに施錠される瞬間を。バリケードと言っても単なる鉄条網のようなものに過ぎないのだが。
長泥の住民は暗証番号使い、その錠を解いて自由に出入りできるというのだが。そこに居住は出来ない。

施錠される瞬間、いったいいくつのメディアがそこにいたのか。そして、その周りに住民はいたのか。自分たちの土地に作られる、いつ取り払われるかわからない“封鎖”を見に。

カメラが映したのはその鉄条網と施錠する担当者二人の姿だけ。カメラのレンズが向いている先を見たいのではない。
それを見ている、その瞬間に立ち会っている人たちの表情をボクは見たいのだ。
そして、その表情から、彼らのこころの内を伺い知りたいのだ。

無機質な鉄柵よりも、それを見ている人の姿を。

国の指示によって作られた物理的なバリケード。バリケードによる封鎖。

被災後1年4カ月余り。また出来た壁。それは、規模の問題ではなく、それが設けられたということでの、こころのバリケードにつながってはいないのかと。

一つの村に三つの区域。その区域分けはあらたなバリケードを作る。村民たちのこころのバリケード。

バリケード封鎖を突破せよ。

「他人」であるボクはそう叫ぶ。バリ封を突破せよと。

それは物理的にそれを壊せという事ではない。あの鉄柵を無くすためには除染しなければならない。線量をとにかく下げなくてはならない。その日が来ることを願って言う。バリケードを突破せよと。

バリケードによる封鎖は、人の心も封鎖したかもしれない。その心のバリケードも突破しなければならない。

長泥のバリケードは、小さな村に作られたベルリンの壁のようだ。ベルリンの壁の長い年月をかけて崩壊した。

長泥の壁をぶち壊せ。己たちの手で。

バリケード封鎖。かつては、大学紛争の頃の全共闘の常とう手段だった。バリ封。

東大安田講堂のバリケードは強固だった。

大学紛争を終わらせるため、田中角栄は「大学管理法」なるのもを議員立法で提出した。自民党幹事長時代。機動隊の大学への立ち入りを認めるための法的措置。

高等小学校卒の学歴の田中角栄が東大という最高学府のある思いを持っていたことは確かだ。しかし、そんな私情ではなく、彼が国の為にと考えた法律。その成立に「政治生命を賭ける」。彼はボク達の前でそう断言した。そして、その成立を図るため、“宿敵”とされた当時の重宗参議院議長を訪ね、頭を下げてその成立への助力を求めた。

「決断と実行」。彼が常に言っていたその政治信条。それの一つの証左だったかもしれない。

大学管理法の成立によって、大学紛争はみるみるうちに終焉を迎えた。学生たちが築いたバリケードは悉く“粉砕”された・・・。

田中角栄の政治手法から何かを読みとってもらいたい・・・。

何年かかるかわからない。でも、長泥のバリケード封鎖が解ける時をこの目でみたいと思っている。

2012年7月17日火曜日

「たかが電気」と言ってのける“電気音楽家”

きのう、東京の代々木公園。「さよなら原発10万人集会」が催された。毎週金曜日の集会は市民による集会。こっちは大規模。呼びかけ人あり。大江健三郎、坂本龍一、瀬戸内寂聴・・・著名人。この集会では「福島」について触れているが。

思い出す。メーデーの中央集会会場。炎天下、酷暑の中、よく集まった。声が響いていた。代々木の森に。原発のことなぞ誰も考えていなかった、あの平和ボケの時代の象徴、竹の子族のメッカに。

そう、いつの時代でもそうだ。誰かが何かに声を上げないといけない。でもなんで常のように有名人、著名人なんだろう。そして、その中にいつも変な声がある。
坂本龍一が言ったという。「たかが電気です。おカネより命です。美しい国土を守りましょう。福島の事故の後に、沈黙していることは野蛮です」。と。

なんという短絡的なアジテート。去年の原発事故以降、ツイッターで発信される坂本龍一の“デマ”には辟易とさせられていた。

この呼びかけ人達による郡山の開成山球場での反原発集会は、市民の反発をかった。単なる自己満足のためのパフォーマンスと。おそるおそる“汚染地”に乗り込んで来たといわんばかりの姿勢に。

坂本龍一。よく言ったもんだ。「たかが電気」と。あんたは「電気」で食って来たんだぜ。じゃ、全部手放しなさい。電気楽器もアンプもマイクもパソコンも。それ無しではあなたの生活は成り立たないし、作品も出来ないでしょ。

反原発の旗のもとに、なんか違うベクトルが激しく動いているような。

そして彼らの仲間は時として言う。「福島県人は、東北人は、我慢強いから、おとなしいから声を上げないと」。違うんだ。避難所の片隅で、仮設の片隅で、本当の「声」を発しているんだ。きのうも書いたけど・・・・。

福島県人は別に坂本龍一の音楽に鼓舞される必要もないし、癒される必要もない。
3・11後、福島県には若い音楽家が登場した。AVE。♪福の歌♪という自作の曲を歌っている。アコースティックギター一本で。

・・・まずは僕が動き出そう。声が聞こえるだろう。心が見えるだろう。頑張ろう!!が響くだろう。バラバラだった僕たちが一つになる時が来たんだ。“頑張っぺ”“。
うつむいた現実よりも福島の空に未来を見よう。笑顔から生まれるものに、望みを信じて見ないか。
この町で叶えられないものはないと、夢が生まれていけるように、福島人ならやれるだろう。何度でも立ち上がろう。


数日前にあったイベント。AVEは身体いっぱいで、この歌を熱唱していた。400人の人達も一緒に歌った。手をふり立ち上がり。中に、富岡町から避難してきている人たちのグループもあった。彼らは全員、涙で顔をグシャグシャにしながら、拳を突き上げ、声を限りに一緒に歌っていた・・・。

福島県人は、まともな歌を歌として認める。沈黙なんかしていない。野蛮でも決してない。

朝一の亭主謹白。これから東京へ行ってきます。年に一回の、昔の“仲間”達との集まり。田中角栄番だった各社の記者達。角栄語録に話しの花が咲くことと。そして多分言うでしょう。語るでしょう。今の政治を。「小沢一郎なんて角さんの秘蔵子なんかではない。単たるふんどし担ぎだった」と。

2012年7月16日月曜日

「温暖化」と「CO2」と「原発」と

大雨による洪水、水害の被害。真夏日到来という昨日、今日。被災地惨状が明らかになるにつれ、当事者の無念に思いをはせ、いや、それはクスの役にもたたないものだけど、復旧に励む方達や手伝いに行っているボランティアの方々の労苦に頭を下げるのみ。

「タオル」は集まったという。あとはやはり手作業のかき出しや片づけか。家を失ったもも同然の人達・・・・。

前例を見ない大雨。地球温暖化によるものだという。災害は報じられないだけで、世界各地で起きている。ノルウエーでは竜巻が発生し、中国では大洪水だとか。そう、地球規模の問題。

元首相の鳩山は、やみくもに「CO2を25%削減」と国際社会に“公約”した。あの時は、まだ、この国は原子力発電に依存していた。その前提での数値目標。そのために彼が何を為したか。何も為していない。

原発が停まっていた2カ月。この国の電気は火力発電所をフル稼働させてしのいできた。老朽化にムチ打つように働いている火力発電所。福島県の広野火力も、相変わらず東京へ電気を送り続けている。

大飯再稼働に合わせて関電管内の火力発電所は休止しはじめた。

火力発電所だけではないが、他にも多くの要因があるが、石炭火力による発電は多くのCO2を排出する。それは温暖化につながる。それは天災へと・・・。温暖化防止、温暖化防止という声を聞くたびに、原発よ戻っておいでというロジックが頭をもたげてくるようなきがする。

風力、水力、太陽光発電。道、未だ険し。

温暖化による異常気象でも、原発事故でも、最大の被害をこうむるもななぜか無辜の民。

確かに、温暖化論議が始まるよりずっと以前から、それこそ太古の時代から、地球は宇宙は大変動を繰り返して来ているのだが。

鳩山は私憤の故を持って小沢に加担した。ならば小沢とともににわか脱原発論者に向かうのか。その上で25%削減を実現させる手立てを示せると言うのか。

鳩山の妄言はもう誰も話題にしなくなった。でも、国連にはその議事録がある。

近視眼的な論議も時には必要。でも、この並び立たないような温暖化、CO2.原子力の「文明論」に誰かが道筋をつけなければと。

何にしても、天災であろうと人災であろうと、“破滅”に向かっていくのを坐視するだけなのか。

とりあえず出来ること。省エネと節電。民にはそれ以外の方途が見つからない。それによって熱中症での死者も出る。だからと言って、今を生きるために原子力にまたもや依存するのか。それも嫌だ。

かくて思考回路は混乱を極めてくるのだが。

2012年7月15日日曜日

「タオル」を送ってください・・・・

フェイスブックに友人数人がシェアしていました。九州の大分、水害被災地からのネットを使った訴え。
「古いタオルを送ってください!!」。床の拭きあげに必要なんだそうです。
亭主もシェアしました。すぐ数人から反応がありました。

どこまで実現するかはともかく、せめてネットというツールを使って。

「未だ経験したことのない」。そんな表現の大雨、洪水。九州で20人以上もの死者。
その雨雲は近畿地方を襲っているという。

濁流にのまれた、襲われた家々。水が荒れ狂う様は、いやがおうにも去年の3・11の東北の光景をよみがえらせる。

大雨の原因は地球温暖化による気象の変化だと、すべての“専門家”は指摘する。治山治水。国作りの根幹であるにも関わらず、とてもじゃないが追いつかない。

避難指示が解除されてところもあるが、家を失った、住めなくなった人達は避難所生活を余儀なくさせられる。
近畿地方の大雨の帰趨は。避難所はさらに増えるだろう。逃げる以外に方途が見つからない。

日本列島は「避難列島」と化すかもしれない・・・・。

被災地支援、救援物資調達。阪神淡路大震災の時もそうだった。去年の3・11の時もそうだった。社会の敵である“暴力団”はすぐさま動いた。その機動力と財力を使って。
彼らが名前を出すと、行政はその支援を受けつけない。当然です。でも知恵を出してとにかく物資を届けた。しかも、かゆいところに手の届くようなものを手配し。
これは、事実です。
九州には抗争中の暴力団があります。道仁会。工藤会。誠道会・・・。おい、君たち、すぐ支援物資を調達して運びなさい。決して組名は名乗らず、刺青見せずに。
反社会的言辞ですが・・・。

ネットを見た人たちやそうでない人たちも、今日明日連休。天気さえよければボランティアが入るでしょう。助け合い。3・11で日本人があらためて悟った人の世の有り様。
「タオルを送ってください」。小さな求めのようであって、現状を語るに十分なメッセージ。

タオルー。極左暴力集団と名前をたまわったグループを思い出します。多分中核派もそれに該当していたかも。ヘルメットにゲバ棒、口にはタオルを巻いて。
その中核派と呼ばれる運動家達は、多分、ヘルメットにタオルを巻いてという格好はしていないものの、官邸前での原発反対抗議行動の中に紛れ込んでいるという。

彼らがその気になれば、穏やかな、市民レベルの抗議集会が一挙に先鋭化する危険性もある。

警察は彼らの動きを警戒して、それに備えた警備体制をとる。それを見た市民の側からは過剰警備という声も上がる。

官邸前の警備の在り方。新聞によって見方が180度違う。官邸前に詰め掛けた人達。ネットでツィッターやSNSでの呼びかけに呼応したものだと言う。多くの人達は組織化なんかされていないと。

警官隊、機動隊によって行動を規制された人達の中には、警察官と対峙するとこに身を置くと、“敵視”の対象になる。

被災地東北では、原発避難民も含め、警察官によって助けられた人達も大勢いる。

警察と市民。さまざまな事象の中で、思いは複雑であり、語って語れるものでないような。

そして自衛隊。豪雨被害地にはすでに大量の自衛隊員が投入されている。被災地で自衛隊に対して、感謝の気持ちはあっても“異”を唱える人はいない。
しかし、違憲とは言わないまでも、迷彩服で都内を行進した自衛隊に対しては、声高な“反対”の声があがっていた・・。

避難列島日本。その中で、タオルと暴力団と過激派と、そして警察、自衛隊・・・。結びつかないはずの“相関図”が頭の中に浮かんでくる。

それはともかく。被災地福島。その福島だからこそ、多くの支援を貰った福島だからこそ、
今起きた災害の被災者に対して出来ることをしないと。

及ばずながらちょっと動いてみる。

2012年7月14日土曜日

「東電」と「JAL]との”相似性”

JAL日本航空。数年前、経営破綻し、公的資金を注入し、銀行は債権放棄し・・・。経営を立て直したという。リストラなるもののやったようだし。コストカットを徹底したとか。OBの企業年金も大問題にされたし・・。

会長に稲盛を据え、その錦の御旗が功を奏したか。国も銀行も一致協力。そりゃそうだ。鶴のマークの親方日の丸の典型。国策航空会社。

ANA、全日空。自力で這い上がり、格安運賃までつくり、増資での自助努力。お互いどう思っているんだろうな。

このこと問われたJALの社長はいささか狼狽気味だったけど。

航空会社の構図が電力会社の構図と重なる・・・。

東電を始めとした電力会社。東電、一応は“国有化”というけれど。税金投入によっての経営維持。ツケは電力料金に回し・・。

稲森おらず。下河辺なる新会長は実力未知数。というか、影響力ゼロのような。再生に向けてのJALのような気慨はそこにはあらずとしか・・・。
まさに親方日の丸の悪い見本。

国営化か、民営化か。ちょっと歴史を遡り。国鉄民営化でJR。専売公社民営化でJT。道路公団はネクスコ。中曽根行革。少なくとも国鉄民営化時は、まさに血みどろの争いだった。

動労・国労。労組に牛耳られた国鉄。民営化が結果よかったのかどうか。未だもって結論定まらず。

関電、1,000億円の社債発行、増資とか。関電の経営も当面安定。そして、電気が足りないのじゃない。会社の経営が成り立たないというのが理由の大飯再稼働。増資の割当先は、金融機関や、関連会社。増資すればするほど、原発維持派が増えてくるだろう。

航空会社電力会社も、いわば国策会社。東電も一回“破綻”させてしまった方が結果よかったのでは。電力不足って「脅し」使って、料金値上げっていう、足元みるようなせこいことやってくるんだから。

電気も然り。ガスも然り。交通運輸料金も然り。ぜんぶ「公共料金、公共のへの便宜」のために成り立っているものの筈。

東電、実質“国有化”だという。そう、カネがつぎ込まれているから。
しかし、なかなか国の言うことはきかない。

国は東電を潰さない。なぜか。責任と言う曖昧模糊としたものをそこに押しつけるためだと。

国とやらの思惑も見え見え。

そして、「公共」という名の中にある「不透明」さ。責任の曖昧さ。いつまでたってもそれを感じる日々と。

2012年7月13日金曜日

「甲状腺被曝報道」、ますますわからなくなってくる。

別に朝日新聞を敵視しているわけでもなんでもなく、優れた新聞であるとは思っています。

きのう、子供の甲状腺被曝にかんする記事へ疑問を呈しましたが、あの記事は「反響」を呼んでいるようで。記者やデスク、編集委員会への疑念にもつながってたようです。

今日の朝日新聞。同じ記者が書いていました。甲状腺被曝の問題について。今度は一面トップって扱いではなく、34面、昔風に言うと第二社会面。中くらいの記事。

「甲状腺被曝、解析値下がる」。「実態を考慮し計算、3月評価から半減」との見出し。

弘前大学の医療総合研究所教授やロシアの放射線衛生研究所の教授らによるもの。3月に公表した被曝線量を再解析した結果だとか。最大限の被曝を想定した3月の線量に比べて半分以下になっており、最大は33ミリシーベルトという解析結果だとか。

きのうは放医研、きょうは弘前大学。詳細計算と再解析とどう違うのかも含め、等価線量か実効線量か預託線量かが、相変わらずわからない。等価線量と実効線量とでは20分の一も違ってくる。

いきなり素人談義をすれば、過日の報道に対する“言い訳”というか、“訂正”というか。
結局、何が何だかわからないってことに。

事実と真実。そのはざまで揺れるマスコミってことか。

滋賀県のいじめ自殺問題。子供が自殺したことは「事実」。しかし、その「事件」の「真実」は。教育委員会の話、学校現場の話、生徒たちの“証言”。いろんな角度から並べてみても「真実」は見えない。

「真相」として見えてくるのは、教育現場の責任逃れ体質とか、混乱、荒廃ぶりだけ。
警察の手を借りなければ「真実」をうかがい知ることは出来ないってこと。

マスコミによる人権侵害。放送界にはBPOっていう機関があり、該当する事案があればそこで審査し、何らかの措置が行われる。

朝日新聞対読売新聞の「巨人軍契約金報道」をめぐる争い。朝日新聞が設けた、いわば第三者委員会のような「報道と人権委員会」の報告書がかなりの紙面を割いて掲載されていた。もちろん朝日に「非」なしとの結論。報道は真実だ。と。報道と取材に問題無し。と。

人権やプライバシーに関することでの委員会。新聞社ももちろん“誤報”をやる。大きな見出しや、大量の記事で。誤報がわかってのお詫び、訂正はベタ。ほとんど見過ごすような扱い。

政府も信じられない。東電も信じられない。学者も信じられない。不信が渦捲く3・11以降。

せめて、お願い。マスコミだけには頼りたいと願うのだが。まともなことを伝えてくれる再後の砦だと思いたいのだが。

2012年7月12日木曜日

新聞記事への素朴でない疑問

きょうの新聞朝刊。福島県にくるものですが。
例えば、朝日の一面トップは「除染費用1兆円を東電に請求へ 政府」という大見出しの記事。読売は小沢新党旗揚げを仰々しく。

朝日の記事。1兆円を請求しても、それは支払わねばならないが、賠償機構の支援で、東電の持ち出しになるようなならないような。あげく、電気代に加算されるという内容。見出しだけだと、東電が1兆円払うという印象だけど。

この記事、「いつ」がない。いつ決めたのか、いつ請求するのか。でも、この話し、以前から言われていたことのはず。東電を経営破綻させない方策含めて。

昨日の朝日の朝刊、もっとも福島には朝刊しかありませんが。
一面トップ。特ダネ扱い。4段見出し。
「甲状腺被曝”ゼロ“通知の子  詳細計算で被曝可能性」。

この見出し見ただけなら保護者は大騒ぎですよ。見出しに釣られて新聞買った保護者もいたのでは。

記事の書かれた10日に放射線総合医学研究所の室長がシンポジュウムで発表したものとある。

記事の詳細には触れないが、”ゼロ“の解釈は書かれてないし、実効線量なのか、等価線量なのかも書かれてない。

脇見出し。「放医研分析 健康被害低いレベル」。本文見てもたしかにある。IAEAの基準を上回る子はおらず、健康への影響は低いと専門家はみていると。

この記事何を言いたいのか。55%の保護者に計算前のデータだけ伝え、ゼロとしていた政府がけしからんということなのか。

生涯被曝線量予測を伝えていなかったことがおかしいということか。ゼロ通知は去年8月のこと。生涯線量のことは、すでに学者や他のメディアでも取り上げていた。

福島に関心を寄せていただくのはありがたい。それをメディア、特に新聞に期待している。
しかし、この記事では「恐怖心」だけが煽られて行く。「被曝可能性」。この5の字の影響の大きさ。

要するに、研究者の計算を告知しなかった政府が悪い、問題だという指摘なんだろうけれど。

東京の新聞がどういう扱いになっているかは知らないが、特ダネ扱いの一面トップ。書いた記者は記者冥利に尽きるかもしれないが。

検証特集のプロメテウスの罠と歩調を合わせたような記事に見えて仕方ない。

言葉は悪いこと承知。いわば暇ネタを無理やり一面トップと。とにかくいまいち解せない記事と見出し。そして今日の1兆円話も。

聞くところによると。デジタル版では被曝が被爆とされていたとか。もちろん単純ミスだと思うけど。

かくて、また、新聞をどう読むか、どう読みとるかの”リテラシー“の迷路に入っていってしまう。新聞記事への”素朴でない“疑問。素朴になれば・・・去年3月、安定ヨウ素剤を飲ませてなかった子らの健康が気がかりということになる。

小沢新党の話題も然り。新聞はメディアはつとめて「乱」を好むのか。

2012年7月11日水曜日

テレビドラマと現実との乖離

きょうは7月11日。祥月11日。午後2時46分。あの日の光景が蘇る・・・。その時から始まった“悪夢”の日々が・・・。

テレビのドラマも、映画にしても、すぐれて社会性を持っているものだと思っています。しばしばそう言ってきました。そこにある種のジャーナリズムがあるものと思っている。思ってきた。全部が全部そうでないにしても。

数日前、日曜の夜9時。TBSのドラマに「サマーレスキュー~天空の診療所」というのがあった。夏場だけ開所される標高2、500メートルにある診療所をめぐるドラマ。夏山登山者のための診療所。それが実在するという話もあるが。

そのドラマのキャッチコピー。「標高2,500メートル。この診療所には医療の原点がある。」
視聴率は14,7%。まあまあの“成績”ってことだろうが。

登山者のための診療所である。山には事故はつきもの。人の生命の大切さは誰であろうとかわりは無いのだが・・・。

東北3県。ものすごい医者不足である。看護師不足である。医療従事者不足である。
病院が無い。医院がない。医者がいない。看護師がいない、足りない。これで何人の命が奪われた事か。奪われたというのが言い過ぎならば、命を落としたと言おう。

きょうの新聞にもあった。震災関連死1632人。多くが高齢者。慣れない避難生活とか、精神的問題もあるだろうが。

先日も知人の医師と話をした。医療従事者が激減している問題について。被災地の医師不足。日本医師会の問題もあると彼は指摘する。医師会の被災地医療に対する考え方と現地との乖離を指摘する。

彼の父親は日本医師会の会長もやっていた。そして、彼の病院も人手不足だという。郡山でさえ。郡山から医師らを派遣したいが、物理的にも難しいという。

ある病院が一人だけ浜通りに派遣しているというが。
放射線被曝の捉え方も医師によって、看護師によって様々である。

被災3県の医師不足。これとて焦眉の急なのだが。

山の上の診療所。天空の診療所。そこが医療の原点なのか。テレビの側の問いかけに疑問が生じる。ドラマに目くじら立てることもないが、時宜にかなう企画とは思えない。

このドラマの脚本がいつ書かれたのかはわからない。この脚本家は、たしか、以前、阪神大震災と思われる惨事を舞台に、救命救急の医師を主人公に、トリアージ含め、問題提起した人だと記憶しているが。

夏山登山者のための三か月の診療所。暑さの中で“闘病”している寒さの中で“闘病”している被災地の病人、高齢者。

その乖離。

こじつけと言われるかもしれないが、被災地は日常のテレビの中からは、忘れられかかっているような・・・。

2012年7月10日火曜日

「生ましめんかな」

毎月、エッセーを書いている冊子がある。来月発行の題名は「あかり」。

そのエッセーには二人の女の子が登場する。「いつか」と「あかり」。いつか幸せに。周りをあかるく照らす子になりようにと、あかり。親の願いを込めた名前。

もちろん、思いつきでつけた名前だったのだけど。

きのう、テレビを見ていて驚きました。本物の「あかり」ちゃんがいたのです。郡山の避難所。浪江から避難してきていたお母さんが、避難所の中で女の子を出産した。4月だったとか。
避難所で産気づき、病院で出産したらしいのだが、退院してくると避難所の人たちが大歓迎。「避難所で、多くの人のお世話になりました。これからも過酷な生活をしていく方々。せめてその方たちの周りのあたたかく照らして欲しい。そう思ってあかりという名前をつけました」。あかりちゃん一家は今は二本松の仮設でくらしている。すっかり大きくなったあかりちゃん。
仮設に移る時にその避難所の人たちと約束したという。「来年の七夕にはここで再会しよう」と。それが実現。よちよち歩きのあかりちゃんを皆が抱き上げ・・・。

何があろうと子は生まれるべくして生まれてくる。

あかりちゃんの笑顔、寝顔をテレビで見ながら・・・。頭を一つの詩がよぎる。原爆詩人といわれた栗原貞子さんの詩。「生ましめんかな」。

こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク1本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から不思議な声が聞こえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
 
マッチ1本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも
 
実話に基づいた詩だという。そして、生まれた子、名前は知らないが、今、広島市で居酒屋をやっているという。元気で。健康で。
その居酒屋には「あかり」を求める人たちがやってきているのだろう。「あかり」があるのだろう。
今年の3月11日。「去年のこの日に生まれた虎ちゃんへ」と書いた。仙台の子。しばらくしてお母さんからメールというか、書き込みがあった。だれかが教えたらしい。ここを。

「この子が大きくなったら、生まれて来たことを喜んでくれた人たちがいっぱいいたことを教えてやります」との書き込み。

その虎ちゃんは、今、ACのCMにワンカット登場していると教えてくれた人がいる。

生ましめんかな。生まれけんかな・・・。

2012年7月9日月曜日

「くらげ」をめぐる戯言

大飯原発3号機、きょうから本格運転、発電。予定通りに。きのうちょっと危ぶまれていたのが「くらげ」の大量発生。冷却水の取り込み口にくらげが群がり、十分に取り込めなかったとか。
クラゲの反乱だったのかな。水上からのクラゲの抗議行動だったのかな。
昔、海でさんざんいじめられたクラゲが妙にいとおしくなって。
もっともクラゲ君達、火力発電所の周りにも発生してたというから。

クラゲのことはクラゲに聞け。

「松のことは松に聞け」。侘びさびの境地を言った利休さんのことばからもじったけれど。

大飯3号機発電開始で、大阪の節電率は15%から10%になった。近々予定されている4号機の再稼働があれば、節電率は下がる・・・・。そんな“朗報”をテレビのニュースは淡々と伝える。

鹿児島では原発推進派といわれる首長が当選したとか。

原発は神様だ。原発さまさまだ。まだその呪縛から抜けきれない人たち。メディアも表層だけを伝える。いや表層じゃないや、視点が、根拠が違う。

大飯再稼働。それは電力不足を補うものではない。電力は足りている。なぜ再稼働か。関電の経営問題。原発の電気を送らないと会社は赤字になってしまう。
これって、たしかテレビで見たけど、どっかの公開された委員会で関電の幹部がはっきり認めていることなんです。

専門家や学者さんたちは、盛んに「ロジック」という言葉を使うけど、言ってみれば原発論議の論点。それがすり替えられている。

この夏の電力不足を乗り切るための原発ではない。関電の経営を維持し、利益を上げさせるための再稼働だってことなのに。足りない、足りないの脅し。

じゃ、関電が原発再稼働しないで、経営が破たんしたらどうなるって。大丈夫、破綻しません。国がちゃんと財政支援しますから。
「消費者」のもとに届く電気には「色」がついてない。何から作られた電気なのか。「産地表示」が無い。
電気に「産地表示」を義務付けましょうや。産地によって買う、買わないを決める。福島県産の農作物や水産物がそうであるように・・・。

8月のお盆の頃になると海にはクラゲがすごかった。手を掻くと手のひらにクラゲが入って来た。ぬるぬると。
中には「電気クラゲ」っていうのがいた。刺されると痛い。そうだ、電気クラゲだ。それを活用した電力って出来ないのかな。出来っこないけど戯言で。いや、論点のすり替えってことで。

2012年7月8日日曜日

「カエルの記」

本日はちょっと音楽関係でお仕事。磐梯熱海へ。ただいま帰宅なのであります。熱海までのドライブ、なんと同伴者は蛙クンでした。

梅雨の朝。窓をあけると途端に飛び込んでくるカエルの大合唱。家の周りの田んぼから。これが好きなんです。蛙の大合唱が。そして玄関の周りは小さなカエルくんが、大勢ちょろちょろ。踏まないように。ここ数日は特に。

蛙の大合唱。オノマトペではなんと聴くか。ゲロゲロかギャロギャロか、ゲコゲコか。田舎ならではのこの季節の風物詩。

で、熱海に向かおうと車を。開けた窓の隙間から入ったのでしょう。小さな緑色のカエルくんが、窓際に。車を走らせていて気づいたカエルの存在。
窓を開けて出そうと・・。いや、ダメだ。やっては。ここで振り払ってしまえば、車に轢かれる。それに元の田んぼに帰ろうと思っても帰れっこない。

実は蛙は苦手なんですが、束の間の同行者と決めました。チラチラと蛙をみていたのですが、いつの間にか姿が見えない。窓から落ちたのか。いつも癒されているのに。蛙クンの鳴き声には。意気消沈。

目的地についてドアを開けると、床のほうから這い出してきたのです。蛙くんが。チビが。

思わず携帯で写真に撮って、フェイスブックに。仕事の合間に。青蛙で有名な川内村の平伏沼。その川内村に最近まで居を構えていた作家の鐸木さんが、コメントくれました。カエルの研究家なのかな(笑)。

「ニホンアマガエルですね。挟まれてつぶれなくてよかった」と。

目的地で降りる時、窓を閉めて、カエルくんに声を掛けました。待っててね。一緒に帰ろうよって。

お仕事終わって。車のドアを開けてカエルを探す。いません。見えません。5分くらい車の中を探したのですが。ドアを開けた瞬間に外に飛び出したのか。隅の方に隠れているのか・・・。
朝方は涼しかったけれど、気温は上昇。車の中で熱中症にでもなってしまているのか。外の落ちたのなら、近くに水場はあるし、森もある。でも、迷子の蛙くん。どうするんだろう・・・。

帰ってきて、また車の中を探索。見つからない。まわりではゲコゲコの大合唱。親蛙が子蛙を心配しているのか。結局行方不明・・。窓を開けておきました。もしどっかにいるのなら出て行くだろう。仲間のとこに帰るだろうと。

フェイスブックのキャプションには「蛙(かわず)とて、遊びせんとや思いけむ」なんて書いてきたけれど。蛙クンは危険な遊びにはまってしまったのです。

窓外から聞こえてくる蛙の鳴き声。なんとなく自責の念にかられます。きょうばかりは。

川内村はじめ避難してきている人たちは、仮設に蛙の置物を置いている人がそこそこ居ます。蛙を帰るにかけて・・・。

うっかり車に乗ってしまったために帰れなかっただろう我が家の近くのカエル。
うっかり避難用のバスに乗ってしまい、いや、乗らざるを得なかったのだけれど、帰る家がありながら帰れない人達・・・。

仮設の人達は毎日蛙の声を聞きながらなんと思っているのでしょうか。癒されているのか、望郷の念に駆りたてられているのか・・・。

蛙だって仲間と一緒の方がいいに決まっている。仲間と一緒に家に帰りたいと思っている人たちもいる。

ちょっと辛い思いのする今日。かえるの記。

2012年7月7日土曜日

「声なき声」

からから亭日乗。この「日乗」って言葉は、永井荷風の「断腸亭日乗」から拝借したもの。無断で(笑)。日記のことですが・・・。

きょうは七夕サマとやら。生憎の雨。被災地の子供達も。避難している子供たちも「短冊に願い事を書くとかなうわよ」ってのを信じて、笹の葉に願いを書いて短冊を吊るしています。早くお家に帰りたい・・・。

永井荷風なら、きょうの日乗に何んて記したでしょうか。
「窓を打つ雨音に目覚め、濡れ縁にて、雨と遊ぶ。甦ったように蛙の鳴き声が、やたらかまびすしく、しかし、田の色は鮮やかを取り戻したかに見ゆ。室内はほの暗いものの、灯りを求めるは憚られ、これとて日本の風情なりしと感じ入りつつ。
夕刻には不忍池に番傘さして、裾を濡らしながらの散歩。伊豆栄にて鰻を食す。焼き加減よし。舌をも潤う心地す。後、牽牛と織女の故事に誘わる如く、紅灯の巷へと出向く。物語の如き出会い得られず」とでも。

永井荷風の時代から何十年。でも、今となっては昔ということか。安保闘争というのがありました。組織化されたもの、されない物含めて、デモ隊が国会を十重二十重に包囲し。
放水車とこん棒と盾と火炎瓶。闘争の名にふさわしい。すべてが乱闘・・・。
国会の中でも強行採決。議長の本会議入場と阻止する野党議員を、ついに警官隊導入で排除しての、議場も大混乱、つかみ合いの中の国策決定。

きのうも国会前、樺美智子さんが亡くなった南通用門前も、官邸前も。デモ隊、いや抗議に参加した人たちで一時埋め尽くされていました。ネット中継でその模様を。

官邸こそ、姿かたちを変えたものの、あの交差点の点描は変わらずと。20年間通った、懐かしの“職場”。国会記者会館、官邸、議事堂、議員会館、ちょっと足を延ばしても自民党本部・・・。

取材する側だったとしても、あの場にいたかった気分。やはり自分で見たかった。見てるだけの当事者にでもありたかったと。

ネット中継で聞こえてくる臨場音。叫び、怒鳴り、鳴り物・・・。野田は、それを「音」といい、きのうは「声」と表現を変えた。

安保闘争時の首相、岸信介。家では孫の年端も行かぬ安部晋三が「アンポハンタイ」と言っていたとか。苦笑いしながらそれを聞き、官邸で言ったセリフ。「声なき声を聞け」。

国会から10数キロ離れた後楽園球場のナイター、巨人戦。何万という観客が野球観戦に酔いしれていた。それを「声なき声」と表した岸・・・。

きのうの、いや、きのうも。官邸前の「声」は大飯原発再稼働反対。福島県民もいたと新聞には書かれていたが。「フクシマ」の「声」はデモ隊の、抗議に集まった人たちの中には無かった。

原発に関する世間の耳目は、すでにして大飯に向かい、「フクシマ」は過去なのか。

そして、常に笑える参加者の数。何十年も変わらぬ“慣行”。
主催者発表15万人。(警視庁調べ約2万1千人)。そう、常に警察発表はカッコの中。カッコでくくることによって、警察発表は「参考まで」というニュアンスか。今にはじまったことではないが。今に始まった事は、その人数の計算方法をめぐる議論。面積と並んだキロ数でどうだとか。空撮の映像とグーグルアースで計算してみるとか。その“計算式”が記事として成り立っている。

大勢は多数か少数か。それじゃいけない数字に支配される世界。

「音」と「声」に耳を背けたのか野田。その罪滅ぼしのつもりではないだろうが、今日は福島県入り・・・。

七夕の夜、また、あの雄平のアホ顔テレビで見さされる・・・。

福島県庁へのデモってどうなっているんだろう。

ここに日毎書いているのも、まともな「声なき声」として御寛容のほどを。

2012年7月6日金曜日

終わりではない。始まりなのだ。

原発事故をめぐる国会事故調が「最終報告書」を提出。とにかく、国権の最高機関である国会が設置した調査委員会。それを真摯に受け止める。ということなのだが。

報告書の内容、報道されているものにはほとんど目を通しました。そして感想。

「なんだい、当たり前じゃないの」。驚愕の新事実なんて出ていない。

偉そうに言うわけでは決してありませんが、報告書の「結論」。ほとんど今まで、一年余り、折りに触れて書いてきた。ここに。

報告書の内容もさることながら、それが「最終」と銘打たれている以上、この委員会での調査は終わりってことなのでしょう。報告書なるもので終わりにしても、福島を取り巻く現実は何も終わっていない。

もし、これを一つの契機だと位置づけるならば、「これからが始まりだ」と。

報告書の中にこんな記述がある。「この事故報告が提出されることで、事故が過去のものとされることに強い危惧を覚える」と。そうなんです。まだまだ進行形の事象なんです。

多分、菅は反論するでしょう。熱心な菅信者たちは、菅擁護の論陣を張るかもしれない。
東電は「だんまり」を決め込むでしょう。保安院も。

報告書を読んでいると、まざまざと去年の事が思い出される。テレビの映像はその実態を、映像ならではなのだけど、伝えていた。無意味な言語で、逃げに終始していた枝野。ほとんどだんまりを決め込んでいた菅。メッセージを発する時に発しない。発しなくてもいい時に登場して、作ったような悲壮な面持ちでの会見。次から次えと起こる事象についていけない、解説者や学者。

今になったら笑えるのが「放射線防護策」。「外出を控えてください。どうしても外出したら、必ず手を、顔を洗って、いや、身体も・・」。その頃は断水してたんです。水を買いに行っても手は洗えない・・・。

で、最終報告。ボールは国会に投げられた。国会はどうするのか。事故調は国政調査権を発動しなかった。報告書を受けての特別委員会なんて出来るのかな。どっかで集中審議ってあるのかな。証人喚問も視野に入れた。

いささかの良心あるならば、国会議員たるもの、次への一歩を踏み出さないと。事故調の報告書を「是」とした上での議論を、それこそ、お題目のように言う「深化」させて。

とりあえず黒川委員長への評価は芳しい方向。でも、報道を読んでいて気になった一点。

「人災って当たり前じゃないか」という記者の質問への答え。新聞で読んだ限りですが「これだけの問題があるよいうことを、国民が知れるようメディアは報じてくれたか。報告書は一つの進歩だ」と声を荒げて反論した。そう書かれている部分。

亭主が「当たり前じゃん」って書いたのは、書いてきたのは、メディアの情報をもとにしてのもの。メディアは書いていたのです。伝えていたのです。
「お言葉ですが、我々は伝えていましたよ。国民に知ってもらいたいと」。記者会見でそう反論する、反論出来る記者のいなかったことの悲しさ。

メディアと、ある種の権力をもった調査委員会とでは、比較論の対象にならない。いささか感じる黒川委員長の「思い上がり」的発言。

福島では東電の告訴が行われている。司法が裁けるかどうかはともかく、責任論は、いろんな意味で、さまざまな角度から見て、まだ終わってなんかいない。「強い危惧を覚える」のなら、その危惧を無くすことを示さないと。それが国会の役割だとするなら、せめて、せめて、政局ボケから抜け出して、「国権の最高機関」としての役割を果たしてもらいたいものと。果たせない国会なら、それは憲法違反だ。

きょうは金曜日。官邸前で反原発行動が行われる日。叫ぶのは「大飯再稼働反対」だけなのだろうか。この報告書の事を彼らはどう訴えるのだろうか。どんなシュプレヒコールがこだまするのだろうか・・・。

2012年7月5日木曜日

面白うて、やがて悲しき・・・。

面白うて、やがて悲しき鵜舟かな。

芭蕉の有名な句。祭りのあとの寂さというか、煌びやかな時間のあとの虚しさ、空虚観を詠んだと思う句。

小沢造反猿芝居。親ガメこけたら皆こけたーじゃないけれど。ひよこどもは長良川ならぬ永田町川の泥流で泳ぐ鵜のような。

小沢の言辞が豹変するのが気に食わん。連立・・・。野党の時代に党の代表として福田自民党と大連立合意して、身内の“造反”にあって、代表辞任とか、なんとか。

つい最近まで彼が「反原発」なんて言っていたのを聞いたことないし。

離党届の提出渋ったひよこは脅したらしいし。
増税しなくてもカネはどこからでも出るって言っていたけど、その内容は言ってないし。

結果、小沢グループってのも、分裂したわけでしょ。

誰も増税は嫌。原発ももうゴメン。で、それを掲げても選挙で勝てると思っているのか。ひよこチャン達は。ひよこだからこそ小沢に擦りより、身を預けたってことか。

小選挙区による二大政党制。結局、まやかしだった。

前から言っているけど、日本ではやはり中選挙区制が一番妥当な制度なのだ。

選挙制度改革。定数是正。早急に制度を整え、総選挙。もう次に進みましょうや。

岩手の仮設で暮らすじいちゃんが言っていた。「東京の遊びには付き合っていられない」って。

そうだよね。永田町の政局なんて遊びなのかも。議員さんの。そしてお祭り騒ぎなの。いかほども「厳粛さ」を持たない祭り・・・。
離党した方も、処分を下したほうも、すべて今となっては後の祭り・・・。

小沢VS野田だけじゃない。あの鳩山ってなんだい。野田を“約束違反”と責めるのなら、あんたの約束はどうした。「総理やめたら議員もやめる」って天下に公言したはずなにの。

鵜飼の鵜には申し訳ない。例えてしまって。民主党なるもの、所詮、烏合の衆。字は違うけど。

小沢新党。「国民の生活第一党」だとか。

ま、どうでもいいんだけど名付けましょう。「新・保身党」って。

小沢も小沢ならば野田も野田。どちらに与するわけでもなく。「変化」を期待した我々がバカだった。
3・11で日本は変わる。だれも一瞬そう思った。でも、被災者以外、結局何も変わっていまいというような。

せめて東北だけでも変わろうや。

地井武男は「ちい散歩」という番組で、各地の神社に出会う度、手を合わせて柏手を打ったそうな。その地域に暮らす人たちの安寧を願って。その神社の祭り、例大祭は、まともな人たちの喜びに包まれるはず。

東北の夏祭りが近づいてきた・・・。

2012年7月4日水曜日

そいつの名前を知りたい

朝日新聞の続きもの、「プロメテウスの罠」。読ませる企画だとおおむね思っている。そう、おおむね。

目下は「病院、奮戦す」。広野町の高野病院を舞台にした、震災、原発事故後の検証報道。

きょうはその25回目。去年の3月19日、ある行政関係者から電話。患者を早く避難させるように言われた。病院の事務長が。院長の娘が。
「いま、無理に動かしたら、高齢の患者は10分で死んでしまいます」。その事務長の訴えに行政関係者が答えて言葉、メモにも残してある。

「それは仕方ないですね」。

他の病院ではバスなどで搬送中に患者が死亡することが起きていた。そんな時。言われた言葉だ。怒りで頭が真っ白になった。そう記事は記している。
記事を読んだこっちの頭は真っ白どころか怒りで震える・・。

3月19日。混乱の最中だったことは誰しも承知。そんな中で冷静を保ち、職務を果たすことが公の職にあるものの使命。

人が死ぬ、死ぬ恐れがある。そういう病院関係者の話に「仕方がない」と言い切った奴。

その行政関係者とやらの官職、姓名を知りたい。もちろんその事務長は知っている。取材した記者も聞いている。しかし、記事になると「ある行政関係者」。

名前を伏せる事の意味は何か。その「行政関係者」にも事の次第を取材したと思うけれど。

これおて、今はやりの、隠れ蓑権利。プライバシーってことなのか。

昨日の東電幹部と浪江町長との会談。怒りに震える馬場町長に再度の回答。
「東電社員二人が、町長と副町長に伝えた」。東電の調査結果。町長は聞いてないという。東電の社員の何と何が、誰それが伝えたのか。東電は口を割らない。
まさか水かけ論に持ち込むつもりではないと思うが。

その東電の社員の職階、姓名を知りたい。まさか新社長までもが、「そこまで報告があがって無い」と逃げるつもりなのか。

ある行政関係者も、ある東電社員も、個人の判断だったのか。上司の指示に基づいた発言だったのか。

3月19日。まだ、死者を出来るだけなくす努力が、例えば警察、消防、自衛隊、そして民間・・・。人を救う行為が必死に続けられていた頃・・・。

いわれなき犯罪に巻き込まれた被害者。悪意が無くともメディアは被害者の姓名を報道する。報道されたことによって、その犯罪被害者は、それこそ「世間」の好奇の目にさらされ、人生さえも狂わせていく・・。

そこにはプライバシー保護という概念が無くなっている。いつどこでだれが・・・。それが事実を伝えているというある意味での錯覚。軽薄な考えのみに支配された“権利”と言わざるを得ないプライバシー・・・・。

東電内のテレビ会議のVTR問題も然り。あの場にいた人たちにプライバシーなる、保護されるべき“権利”は存在しない。

その言葉を持ち出せば、すべて“免責”されるというような、おかしな人権。

冗談めかして歴史本を言うのではない。昔の武士は、合戦場で、大音声で、自らの官姓名を名乗り、「われの首級を上げよ」と敵陣に呼ばわった。正々堂々と。

みんな「権利」を笠に「隠れん坊」をしている。誰かが鬼になって、隠れん坊を見つけなければ、終わらない。子供の遊びだってそうだった。

誰が鬼に成りうるのや。

2012年7月3日火曜日

「節電」という名の舟に乗り・・・

政局ラプソディーもとりあえず沈静化。大飯原発3・4号機もめでたく(笑)再稼働。雨の中、大飯に集結した400人と言われる人たちは、今はどこで何をされておるのか。何を思っておられるのか。ネットを含め、いろいろな映像を見せていただいた。語るまい。恣意的な映像、切りとられた映像で、全体を語れるわけも無く。

一つの“騒ぎ”が行き過ぎると、次の騒ぎがやってくる。メディアは話題として提供する。

節電、節電、節電。

それに異を唱える人はまずいないだろう。誰もジャブジャブ使えとはいわないだろう。

でも、一年半前まで、電気は無尽蔵にあるかの如く錯覚していたこの社会構造。
さってばさでは変わらない。変われない。

だから「反原発」を過激に言っている人たちもどこかで腰が引ける。市長さんや知事さんだって。

すくなくとも電力供給量は、誰もわからない。その実態を。

テレビが向ける目先。例えばー。大阪のくいだおれ人形。動かすのをやめたといえば、取材陣が殺到する。使用電力量は電球一個分だと店の人が明かす。

人形が振った旗の効果は絶大なのか。

辛い人たちに目を向ける。病人や食品を扱う零細企業や。それを集中的に見さされると思わず「原発でみいいや、電力を・・」という“錯覚”、悪魔のささやきが聞こえてきそうになる。

太陽光発電、メガソーラ。広い場所にならんだパネルの中から顔を出して、まるで昔の映画、フィールド・オブ・ドリームのような様でしゃべっている。
太陽光発電システムを取り入れた家庭の電気料金の推移や、買い取り価格制度生かしての小銭稼ぎを紹介している。

それらを褒めそやしたら一転。省エネ詐欺や太陽光発電詐欺、詐欺まがいの犯罪を紹介・・・。

大方の人は混乱しているんです。

昔は「火事場泥棒」っていったけど、人の弱みにつけ込むとんでも無い奴らの群れも。

去年、津波に流された現場からも、例えばATMこじ開けて現金を盗んで行った奴らがいた。多くの国民が被災地に心を寄せているときに。

無人地帯になった避難地域でもねこそぎ「財産」奪われている。仮設には「東電への請求代行します」となにやらカネ儲けにやってくる東京のNPO名乗る人たち・・・。

この国、ほんと、どうなってしまっているんだろう。

悪人話はともかく、この国のエネルギー政策、中長期計画。それがまとめられなければ、それへの道が描かれなくては、「指針無き電力」で、混乱には拍車がかかるはず。舟の航路も定まらない。

2012年7月2日月曜日

「一丁目一番地」

昭和30年代、NHKラジオで毎晩流れていたラジオドラマ。「一丁目一番地」。その頃の“中流家庭”二件をモデルにしたドラマ。
そのテーマ曲は今でも覚えている。

ちょっと失礼、お訪ねします
ここらは何丁目何番地
あちらの角のポストから
こちらの橋のたもとまで
みんなの町です 一丁目一番地
昨日も今日もまた明日も
にこにこ笑って明け暮れる
ここは一丁目 一丁目一番地


消費税政局に明け暮れる永田町。連日飛び交っていた言葉が「一丁目一番地」。マニフェストなるもののことを言っているのだが。
亭主にはNHKラジオドラマの引用としか聞こえない。独創性ゼロ。そもそもの原点はーーという意味で使っているのだと思うけど。
いつの間にかマスコミもこの一丁目一番地を政界常識用語の如く使い始める。

政治家が使った言葉をそのまま当然の常識のように使い、官僚が作った言葉も、そのまま常識として使う。マスコミの不見識。
そして、便宜的にテレビが使っていた「ぶら下がり」て用語を、今度は政治家が常識として使い始める。

民主党にとっての「一丁目一番地」が何かはともかく、民主党は分裂した。小沢が手勢52人を引き連れての離党。残された憎悪。
“昨日も今日もまた明日も
にこにこ笑って明け暮れる
ここは一丁目 一丁目一番地“

なんだべな・・・。

大飯原発再稼働。臨界に。原発無しはわずか二カ月。大飯再稼働は、日本の原発史の新たな一丁目一番地っていうのかい。

きょうから新聞・テレビは「再起動」って表現に舵を切った。野田が言い続けた「再起動」。稼働と起動とどう違う。前に書いたけど。印象として、「起動」って言えば、いささか、後ろめたさが無くなるような。稼働の稼の字は稼ぐの稼の字・・・。

大飯原発に抗議したデモ隊は、盛んにシュプレヒコール。「再稼働反対!」「再稼働反対!」って。政権、メディアは再起動。「カ」と「キ」の一字違いが、非我を埋めがたい「差」かと。「溝」かと。

一丁目一番地の歌が茶の間に流れていた頃。まだ、この国にはいささかないとも夢と希望があった・・・。

2012年7月1日日曜日

「電球生活」

我が家の照明は白熱電球と蛍光灯の併用です。
この白熱球がなぜかよく切れる。もっかも階段の一つが切れたまま。

省エネ、節電が声高に言われるようになってから、どうも、この白熱球への風当たりは強いようで。
お国は関係業界に対して、白熱球の製造・販売の自粛を要請。そのうち、禁止ってことになるのでしょう。

白熱球への思い出。戦争中は。それこそ居間に皆集まって、60ワット位の白熱球の灯りで暮らしていた。
「灯火管制」。そんな呼び声が聞こえてくると、ボール紙に墨をに塗った傘のような形状にしたものを電球にかぶせて、表に灯りが漏れないようにした。
飛行機の爆音が去って、「灯火管制解除」。部屋中に広がる灯り・・・。

戦後の小学校、中学校時代。机の灯りは電気スタンド。もちろん冷房なんて無い時代の夏。白熱球が放出する熱の暑かったこと・・。夏の夜は勉強しない。そう決めちゃった。

やがて蛍光灯の時代。でも白熱球の灯りはある種の暖かさをあたえてくれ。特に和室。蛍光灯は似合わない。蛍光灯は完全に点灯するまで時間がかかった。パッとは点かない。頭のめぐりの悪い奴を「あいつは蛍光灯だから・・」って。

そして文明の凄さ。LED電球が開発され。消費電力少なく、耐久時間もとてつもなく長い。色の具合も様々とか。

白熱球よさようなら。LEDよこんにちは。電気代は確実に安くなるでしょう。でもね、電球の値段は比較にならないくらい高い。家中の白熱球や蛍光灯をLEDや、消費電力の少ない高級蛍光灯に替えたら・・・。

電球一個の値段と電気代節約の比較がいまいちわからない。全部電球替えたらとんでもない出費になるはず。無理です。

とりあえず、切れたものから徐々に・・・。それしか方法が無い。

LEDで何年間暮らしたら、“初期投資”と見合うのか。電気代が。

まだまだ値段の高いLEDを買え。家電メーカーと政府が結託した、あらたな“産業構造”かいって言いたくなるような。
テレビをデジタル化したのと同じように・・・。

節電を錦の御旗にした、家電メーカー育成策かとも。

フィラメント。そんな言葉も死語になる。

電球生活の終焉、横文字三つのLED生活。ガソリン生活は電気生活へ。

LEDに替えるにあたって補助金なんて出ないのかな。出している自治体もあるって聞いたけど。

郡山では薪ストーブに替えたらいくらか補助があるそうです。薪代補助かな。その薪も放射能の影響で品薄だって話しも。ペレット型が主流だとも。

薪ストーブだって高価な物。しかも壁ぶちぬいての設置工事。何十万の世界ですな。

我が家の残りの白熱球。なるべく切れないでね。