夏本番・・・酷暑・・・。
そして夏祭りの時期です。郡山の開成山公園では、きのうから恒例のビール祭りが開催されています。広場に設けられた会場。ビール各社のブース。飲食店やその他の出店。
ステージではドイツのバンド演奏や、さまざまな音楽イベント。夜空には花火。このビール祭り。たぶん10回は数えるでしょうか。
多くの市民が集まってきます。5,000人が。もちろん、去年も開催されました。この時期に。
原発事故の“余韻“冷めやらぬ中、多くの市民がそれぞれ、“線量”を気にしながらも。
去年の光景がよみがえります。何時とはなしに、ステージ前の空間に人々が集まってきます。そして演奏に合わせて踊りまくるのです。こぶしを突き上げ、肩を組み、全身で表現している。中には泣きながら踊っている人もいる・・・。
郡山市民もいるけれど、避難してきた川内村や、富岡町の人たち。主催者が招待した人たち。故郷を追われた人たち・・・。もちろん、故郷の祭りとは全然違う祭りでしょう。
祭りは祀りに通ずる。故郷の祭りには、どこか心の浄化という意味合いもあったでしょうが。
去年の今頃。ちょうど避難所だったビッグパレットから、ようやく出来た仮設住宅に引っ越しが行われている時期でした。段ボールハウスから、まがりなりにも“住宅”へ。
踊り狂っている人の中に、見知った顔を見つけました。川内村から避難させられてきている人たち。その一家。
仮設には老夫婦二人。4畳半二間。子供や孫はそれぞれ借り上げアパートなどで。
「こういうところでもたまにやってこないとやってらんねよ」。
泣きながら踊る彼ら、彼女らの姿に涙を誘われながら一緒に飲んだビール。ほろにがい味でした。
仮設への引っ越しをちょっとだけ手伝いました。老夫婦の。ちょっとだけ。だって、持っていく物はほとんど無いのだから。生活必需品の買い出しに付き合いました。
仮設の引っ越せたからと言って特に嬉々としているわけでもなく、狭さに不平をいうのではなく。きゅうりの塩もみつまみにウーロン茶で一応乾杯。
その老夫婦。旦那のほうはビッグパレットに来た時から「酸素」を必要としていました。その酸素のボンベの確保がその一家の最大の課題でした。ビッグパレットから数回市内の大病院に入院したり。仮設に入居した時は、すこし落ち着いており、体調もいささか回復。旦那の手の届くところにおいてある住宅地図を繰りながら川内村について話を交わしました。
「ここも知り合い。こっちも知り合い」。うろ覚えの川内の光景を思い出しながら話を聞いていました。なんでも、相当大きな家に暮らしていたようです。大家族で。
この1,2カ月仮設にご無沙汰していました。その奥さんがきのう突然我が家を訪ねてきました。もう何回も来てくれてはいたのですが。
お中元を持ってです。フルーツゼリーがいっぱい入った箱。そして、また言うのです。「あの時世話になった恩は一生忘れないからね」と。特に何をしたってわけじゃないのに。
「爺さんはね、最近具合が悪くなって、南東北病院に入院した。もう、あまり喋らない」。
毎日病院へ通うのも疲れたと。あれほど元気そうだった、パワフルなばあちゃんも何かさびしそうだった・・・。
「ウチさ来てよ、夕方なら病院から戻っているから」。「今はまだ戻らないけど、やがて戻ると思う。そしたら絶対川内に来てよな」。
お中元。それをわざわざ持ってきてくれる。その律義さ。そして勝手に思うのです。お中元という日常の慣行をすることが、日常を取り戻そうとする意志の表れだと。再出発への決意表明だと。もちろん口には出しませんが。
寝たきりに近い状態の病気の旦那を抱え、ばあちゃんの苦労はつづきます・・・。
これまで貰ったお中元のどれよりもうれしかった、重みのあったお中元。
ビール祭りは今週末まで続きます。仮設や借り上げの避難した人たちも今年もきているのでしょう。明日、会場を覗きに行きます。もし、見知った彼らがいたら、一緒に飲もうと。
踊りの輪に中に混ぜてもらおうと。
2012年7月26日木曜日
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