2012年7月7日土曜日

「声なき声」

からから亭日乗。この「日乗」って言葉は、永井荷風の「断腸亭日乗」から拝借したもの。無断で(笑)。日記のことですが・・・。

きょうは七夕サマとやら。生憎の雨。被災地の子供達も。避難している子供たちも「短冊に願い事を書くとかなうわよ」ってのを信じて、笹の葉に願いを書いて短冊を吊るしています。早くお家に帰りたい・・・。

永井荷風なら、きょうの日乗に何んて記したでしょうか。
「窓を打つ雨音に目覚め、濡れ縁にて、雨と遊ぶ。甦ったように蛙の鳴き声が、やたらかまびすしく、しかし、田の色は鮮やかを取り戻したかに見ゆ。室内はほの暗いものの、灯りを求めるは憚られ、これとて日本の風情なりしと感じ入りつつ。
夕刻には不忍池に番傘さして、裾を濡らしながらの散歩。伊豆栄にて鰻を食す。焼き加減よし。舌をも潤う心地す。後、牽牛と織女の故事に誘わる如く、紅灯の巷へと出向く。物語の如き出会い得られず」とでも。

永井荷風の時代から何十年。でも、今となっては昔ということか。安保闘争というのがありました。組織化されたもの、されない物含めて、デモ隊が国会を十重二十重に包囲し。
放水車とこん棒と盾と火炎瓶。闘争の名にふさわしい。すべてが乱闘・・・。
国会の中でも強行採決。議長の本会議入場と阻止する野党議員を、ついに警官隊導入で排除しての、議場も大混乱、つかみ合いの中の国策決定。

きのうも国会前、樺美智子さんが亡くなった南通用門前も、官邸前も。デモ隊、いや抗議に参加した人たちで一時埋め尽くされていました。ネット中継でその模様を。

官邸こそ、姿かたちを変えたものの、あの交差点の点描は変わらずと。20年間通った、懐かしの“職場”。国会記者会館、官邸、議事堂、議員会館、ちょっと足を延ばしても自民党本部・・・。

取材する側だったとしても、あの場にいたかった気分。やはり自分で見たかった。見てるだけの当事者にでもありたかったと。

ネット中継で聞こえてくる臨場音。叫び、怒鳴り、鳴り物・・・。野田は、それを「音」といい、きのうは「声」と表現を変えた。

安保闘争時の首相、岸信介。家では孫の年端も行かぬ安部晋三が「アンポハンタイ」と言っていたとか。苦笑いしながらそれを聞き、官邸で言ったセリフ。「声なき声を聞け」。

国会から10数キロ離れた後楽園球場のナイター、巨人戦。何万という観客が野球観戦に酔いしれていた。それを「声なき声」と表した岸・・・。

きのうの、いや、きのうも。官邸前の「声」は大飯原発再稼働反対。福島県民もいたと新聞には書かれていたが。「フクシマ」の「声」はデモ隊の、抗議に集まった人たちの中には無かった。

原発に関する世間の耳目は、すでにして大飯に向かい、「フクシマ」は過去なのか。

そして、常に笑える参加者の数。何十年も変わらぬ“慣行”。
主催者発表15万人。(警視庁調べ約2万1千人)。そう、常に警察発表はカッコの中。カッコでくくることによって、警察発表は「参考まで」というニュアンスか。今にはじまったことではないが。今に始まった事は、その人数の計算方法をめぐる議論。面積と並んだキロ数でどうだとか。空撮の映像とグーグルアースで計算してみるとか。その“計算式”が記事として成り立っている。

大勢は多数か少数か。それじゃいけない数字に支配される世界。

「音」と「声」に耳を背けたのか野田。その罪滅ぼしのつもりではないだろうが、今日は福島県入り・・・。

七夕の夜、また、あの雄平のアホ顔テレビで見さされる・・・。

福島県庁へのデモってどうなっているんだろう。

ここに日毎書いているのも、まともな「声なき声」として御寛容のほどを。

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