2012年7月17日火曜日

「たかが電気」と言ってのける“電気音楽家”

きのう、東京の代々木公園。「さよなら原発10万人集会」が催された。毎週金曜日の集会は市民による集会。こっちは大規模。呼びかけ人あり。大江健三郎、坂本龍一、瀬戸内寂聴・・・著名人。この集会では「福島」について触れているが。

思い出す。メーデーの中央集会会場。炎天下、酷暑の中、よく集まった。声が響いていた。代々木の森に。原発のことなぞ誰も考えていなかった、あの平和ボケの時代の象徴、竹の子族のメッカに。

そう、いつの時代でもそうだ。誰かが何かに声を上げないといけない。でもなんで常のように有名人、著名人なんだろう。そして、その中にいつも変な声がある。
坂本龍一が言ったという。「たかが電気です。おカネより命です。美しい国土を守りましょう。福島の事故の後に、沈黙していることは野蛮です」。と。

なんという短絡的なアジテート。去年の原発事故以降、ツイッターで発信される坂本龍一の“デマ”には辟易とさせられていた。

この呼びかけ人達による郡山の開成山球場での反原発集会は、市民の反発をかった。単なる自己満足のためのパフォーマンスと。おそるおそる“汚染地”に乗り込んで来たといわんばかりの姿勢に。

坂本龍一。よく言ったもんだ。「たかが電気」と。あんたは「電気」で食って来たんだぜ。じゃ、全部手放しなさい。電気楽器もアンプもマイクもパソコンも。それ無しではあなたの生活は成り立たないし、作品も出来ないでしょ。

反原発の旗のもとに、なんか違うベクトルが激しく動いているような。

そして彼らの仲間は時として言う。「福島県人は、東北人は、我慢強いから、おとなしいから声を上げないと」。違うんだ。避難所の片隅で、仮設の片隅で、本当の「声」を発しているんだ。きのうも書いたけど・・・・。

福島県人は別に坂本龍一の音楽に鼓舞される必要もないし、癒される必要もない。
3・11後、福島県には若い音楽家が登場した。AVE。♪福の歌♪という自作の曲を歌っている。アコースティックギター一本で。

・・・まずは僕が動き出そう。声が聞こえるだろう。心が見えるだろう。頑張ろう!!が響くだろう。バラバラだった僕たちが一つになる時が来たんだ。“頑張っぺ”“。
うつむいた現実よりも福島の空に未来を見よう。笑顔から生まれるものに、望みを信じて見ないか。
この町で叶えられないものはないと、夢が生まれていけるように、福島人ならやれるだろう。何度でも立ち上がろう。


数日前にあったイベント。AVEは身体いっぱいで、この歌を熱唱していた。400人の人達も一緒に歌った。手をふり立ち上がり。中に、富岡町から避難してきている人たちのグループもあった。彼らは全員、涙で顔をグシャグシャにしながら、拳を突き上げ、声を限りに一緒に歌っていた・・・。

福島県人は、まともな歌を歌として認める。沈黙なんかしていない。野蛮でも決してない。

朝一の亭主謹白。これから東京へ行ってきます。年に一回の、昔の“仲間”達との集まり。田中角栄番だった各社の記者達。角栄語録に話しの花が咲くことと。そして多分言うでしょう。語るでしょう。今の政治を。「小沢一郎なんて角さんの秘蔵子なんかではない。単たるふんどし担ぎだった」と。

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