2012年7月18日水曜日

「バリケードを突破せよ!」

飯舘村にバリケードがついに設置された。長泥地区へ行く道路封鎖。国の「区域見直し」のよる措置。たしかに長泥は線量は高い。しかし、なんで今更、なんで今頃・・・。

テレビカメラは捕える。そのバリケードに施錠される瞬間を。バリケードと言っても単なる鉄条網のようなものに過ぎないのだが。
長泥の住民は暗証番号使い、その錠を解いて自由に出入りできるというのだが。そこに居住は出来ない。

施錠される瞬間、いったいいくつのメディアがそこにいたのか。そして、その周りに住民はいたのか。自分たちの土地に作られる、いつ取り払われるかわからない“封鎖”を見に。

カメラが映したのはその鉄条網と施錠する担当者二人の姿だけ。カメラのレンズが向いている先を見たいのではない。
それを見ている、その瞬間に立ち会っている人たちの表情をボクは見たいのだ。
そして、その表情から、彼らのこころの内を伺い知りたいのだ。

無機質な鉄柵よりも、それを見ている人の姿を。

国の指示によって作られた物理的なバリケード。バリケードによる封鎖。

被災後1年4カ月余り。また出来た壁。それは、規模の問題ではなく、それが設けられたということでの、こころのバリケードにつながってはいないのかと。

一つの村に三つの区域。その区域分けはあらたなバリケードを作る。村民たちのこころのバリケード。

バリケード封鎖を突破せよ。

「他人」であるボクはそう叫ぶ。バリ封を突破せよと。

それは物理的にそれを壊せという事ではない。あの鉄柵を無くすためには除染しなければならない。線量をとにかく下げなくてはならない。その日が来ることを願って言う。バリケードを突破せよと。

バリケードによる封鎖は、人の心も封鎖したかもしれない。その心のバリケードも突破しなければならない。

長泥のバリケードは、小さな村に作られたベルリンの壁のようだ。ベルリンの壁の長い年月をかけて崩壊した。

長泥の壁をぶち壊せ。己たちの手で。

バリケード封鎖。かつては、大学紛争の頃の全共闘の常とう手段だった。バリ封。

東大安田講堂のバリケードは強固だった。

大学紛争を終わらせるため、田中角栄は「大学管理法」なるのもを議員立法で提出した。自民党幹事長時代。機動隊の大学への立ち入りを認めるための法的措置。

高等小学校卒の学歴の田中角栄が東大という最高学府のある思いを持っていたことは確かだ。しかし、そんな私情ではなく、彼が国の為にと考えた法律。その成立に「政治生命を賭ける」。彼はボク達の前でそう断言した。そして、その成立を図るため、“宿敵”とされた当時の重宗参議院議長を訪ね、頭を下げてその成立への助力を求めた。

「決断と実行」。彼が常に言っていたその政治信条。それの一つの証左だったかもしれない。

大学管理法の成立によって、大学紛争はみるみるうちに終焉を迎えた。学生たちが築いたバリケードは悉く“粉砕”された・・・。

田中角栄の政治手法から何かを読みとってもらいたい・・・。

何年かかるかわからない。でも、長泥のバリケード封鎖が解ける時をこの目でみたいと思っている。

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