2012年7月27日金曜日

未だ「非常時」なのだ

きょうも酷暑です。暑い。昔風にいうならば、水銀柱はうなぎのぼり・・。
鰻といえばきょうは土用の丑に日。ウナギを食べる日。・・・とメディアは言う。

東京電力福島第一発電所。そこでは、毎日2,000人以上の人が働いている。その現場は、何かを作り出す、産み出すという生産性の喜びに満ちた現場ではない。後ろ向きの、廃墟と化した原子炉建屋、原子炉そのもの。そこにある爆発の残骸。それらを処理するための、非生産的な、労働だけがある場所。

過酷な労働環境。そこで働く人がいないと、後処理は出来ない。防護服に身を包み、この暑さに耐えながらの作業が続けられている。

この時期、「完全武装」で、役目をはたしているのは自衛隊員と機動隊くらいのものじゃないか。鍛えられた肉体を精神力がそれを支えているという使命感を持った・・・。

原発事故の収束。それは何を言うのか。何時、どうなってもおかしくないような2号機、4号機。汚染水を含め、いまだ放射性物質を排出しているであろうフクイチの現場。

多くの作業員は、いわゆる「下請」の作業員である。東電の協力会社に雇われた作業員である。

朝日新聞がすっぱ抜いた「鉛を使った作業員の被ばく線量隠し」。それがあったこと、それが行われていたことは事実。

元請け、下請、孫請け・・・。派遣法で禁じられている「多重派遣」。ネットで見た“内部告発”。東電社員は冷えた水を飲めるが、下請作業員にはなまぬるい水しか与えられないという話し。もしそれが事実だとしたら、1Fの東電社員幹部がちょっと気を使えば“改善”されることなのだろうが。

鉛による線量偽装。その根底にある雇用問題。ピンはね、ピンはね。あきらかにおかしな話である。あってはならない話しである。しかし、作業員がいないと原発収束はおぼつかない。出来ない。
事務職の東電社員にやれと言っても無理だ。現場の知識と経験が要求される仕事。そして、そこでしか働くすべを持たない雇用された人たち・・。

以前、原発を訪ねたときに見た光景。建屋の入り口。社員入口を協力会社員の入り口は分けられていた。同じ発電所内に入るのに入口が分けられているのか・・。あの不可思議な光景を思い出す。

「差別」という言葉では片付かない原発のありよう。もちろんそれは「平時」のことだったけど。

元請け、下請・・・。この国の産業構造には、それがどこでも通用している。いや、極論すれば、そんな雇用形態が無ければ、この国の産業構造は成り立たないのだと。建設会社でも然り。会社と「協力会社」、そ、なんとも奇妙な呼称なのだが、その持ちつもたれつの関係。会社に忠誠を誓う「業者会」。

戦後の日本を思い出す。あらためて。東京の山谷、大阪の釜が崎。ドヤ街。日雇い労働者が、きめられた場所、公共職業安定所の周りに早朝から集まり、その日の仕事をあさっていた。もしあぶれたらやけ酒飲むだけ。

高校時代、毎日通う山手線の高田馬駅近く。戸山にあった光景。毎日それを電車の窓から見ていた。

ヨイトマケの歌がうたわれていた。オッかちゃんのためならエ~ンヤコラ・・・。

日雇い労務者によって、この国の経済成長が果たされていたという事実。ピンはねくらって日給何百円の世界・・・。

ドヤ街を覗いたことがある。恐る恐る。酔ったおじさんにからまれた。「おい、あんちゃん何しに来た」と。そして一人の人が言った、ぐげんぐでんに酔っていたが。「俺たちがいないと、働かないと、明日の日本は無いんだぜ」と。

毎日見ていた日雇いの朝の光景。たった一日覗いたドヤ街の経験。それは、その後のボクの中に何らかの影響を与えている。

東北三県。被災地。そこは今でも非常時なのだ。非常地帯なのだ。でも、そこで大手を振っているのは、すべて既存の法律。
戦争中には戦時立法というのがあった。戦争のために作られた法律も数々ある。
いま、この被災地に、原発事故の現場に、それに既存の法律で対処していることのおかしさ。法律は政治家が、立法府の人間が作る。この非常時に対処する新たな法律がなにほど出来たというのか・・。

結局、何も変わっていないということ。

0 件のコメント: