2012年7月29日日曜日

「身土不二」と「旬」と

身土不二。てっとり早く言えば、自分たちの住む土地で出来た野菜を食べるのがからだに一番良いということ。人と土は一体であるということ。そして、それは旬のものであるということ。

郡山産の野菜は美味い。福島産の野菜や果物が美味い。手に入れられる限り、地元の野菜を果物を食べる。

かつて都会人であった亭主は、野菜を美味いものとは思っていなかった。今は野菜はなるべく加工せず、調理せず。そのまま食べるのが美味いと確信に近い感覚を持っている。

きのうも、親戚筋の結婚披露宴に呼ばれ、東京へ。有名なホテル。なぜ出される料理に手が進まない。肉料理に添えられている野菜。ジャガイモや人参。味はソースの味なのだ。食材の味がしないのだ。

もったいないと言われながらも高級フランス料理を残してしまった・・・。

新幹線の車内に“電光ニュース”が流れている。「被災3県含め、生産・消費ともに震災前の水準の復帰した」というようなどっかの統計数字。鉱工業生産のことを言っているのか、流通の事を言っているのか。福島の農産物の流通は、いまだもって芳しくない。一般的には敬遠されている。

昔、オーストラリアで初めてキウイフルーツなるものを食べた。無性に美味かった。ドイツでドイツワインを飲んだ。美味しかった。
日本で同じものを買っても、あの時の感激は無い。おいしくないのだ。

食べ物は、やはり、それが作られる土地の気候風土とマッチしているのだ。過去の実感。

今朝食べた生のキュウリは美味しかった。ちょっと塩をかけて。そこには、新鮮さだけではなく、土の香りが感じられるからなのだ。

衣食同源という言葉もある。とにかく人は、いや動物でもそうだけど、土の中にいる生物もそうだけど、生きているものには食べ物が必要なのだ。食べ物が人間のあらゆるところに影響する。それは害毒がある無いの話ではない。

食べ物とからだ。食べ物と脳・・・。学者はいろんな研究をして、それを言う。
テレビでは食べ物に関する番組が盛んであり、高級レストランや有名シェフが連日のように紹介され、そのレシピが紹介される。

でも、食材がすべての基本じゃないのかと思う。多分、一流の料理人は、きっと食材にこだわっているのだろうと思う。それを見分ける眼を持っているのだと思う。

最高の「おもてなし」。それは、朝早く畑に行って採った野菜を、食卓に供することではないかと。

都会のスーパーには、一年中、ほとんどすべての野菜が揃っている。そこには野菜の「旬」が無い。米も新米が美味しいのと同じ。旬のものが一番。

だけどまだ覚えられない。何が、どの時期に“露地物”として出回るのかが。野菜にも果物にも、魚にも旬がある。

放射線汚染が盛んに言われだしてから、郡山市内でも、気にするお母さんたちはネットショッピングで、県外の野菜を購入してる人もいると聞く。それはその人たちそれぞれの“防衛本能”なのだろうが。

亭主は、平気で、郡山産や県内産の野菜を東京の兄弟には送る。「うまかったよ」。その一行のメール。飛び交う“電波”は、そのメールを田畑に落としてくれているかも知れない。旬であっても身土不二ではないかもしれないが・・・。

今夜も福島県産の枝豆に、ナスにビールだ。

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