2012年7月30日月曜日

「三里塚闘争」と「反原発集会」

三里塚闘争。成田国際空港の建設地として浮上した、成田市の三里塚地区と芝山地区を“現場”にして繰り広げられて空港建設反対闘争。農民対国家権力。そこに組織化された全共闘など各セクトが入り混じり、延々と続いた闘争、“武力闘争”。そして、“一坪地主”というものが生まれた。

まだ在るであろう空港敷地内の、反対闘争のシンボルだった“団結小屋”。

とにかく空港は完成し、反対闘争で多くの人が血を流したという歴史は、過去のものになり、成田空港は海外に行く人たちで賑わい、この国の繁栄をそのまま反映しているかのような。

反対闘争の真っただ中、メディアに関わる大きな事件があった。TBSの取材クルーが反対派の角材をその車両に積んで運んだ事件。

その詳細は“当事者”でない以上、つまびらかにしないが、関わったTBSの人たちは皆、未だテレビが黎明期だった頃、テレビについて熱い思いを持っていた人たち。
反対派に“協力”することによって、反対闘争の“本質”に、より迫れると思っていたのかもしれないが。
彼らの彼女らのほとんどがTBSを去り、テレビマンユニオンという番組製作会社を作ったり、そこからも去ったり・・・。

安保闘争の時には無かった“メディアの立ち位置”が、はしなくも露呈された。
農民は、反対派は「敗れた」。空港は建設され、拡充されていった。反対派の拠点だったところはことごとく無くなった。反対運動も無くなった。

ただ一つ残された空港の敷地内にある団結小屋・・・。

青森県大間にある「あさこハウス」が重なる。大間原発建設に反対し、自分の農地を売らなかった熊谷あさ子さん。

その土地と自然を大事にしていれば、何があっても生きていける。原発という危険なものを将来に残すわけにはいかない。いくら金を積まれても土地は売らない。彼女の信念。イデオロギーでは無い。そして「あさこハウス」は、今も原発建設予定地の中の草むらの中に立っている。

成田闘争。その現場は三里塚。空港建設資材搬入阻止が、物理的阻止、抵抗が闘争そのものだった。

4か月ほど前から始まった官邸前の反原発デモ。大きなスローガンは大飯原発再稼働阻止、反対。大飯は反対運動の拠点にはならない。それを決めた政権に対しての抗議だから。

回を追うごとに参加者は増えている。メディアもそれの取材に、積極的に“参戦”している。そして・・・。万を越える人達が集まった中に身を置く。参加者の声を聞く、その雰囲気を肌で感じる。そこで感じたことを書く、喋る。
おのずから伝え方には“方向性”が出来てくる。

反原発集会を否定などするものではない。原発はいらない。それはここ福島の地に身を置いていれば、そこで国のありようを考えれば、原発再稼働などというのはもってのほかである。

しかし・・・。その集会やデモの様子を伝えるメディアの筆の運びや言辞には“違和感”を覚える。何かが違うのだ。その何かをあらためて考えなくてはならない。立ち位置を「フクシマ」に置いて・・・・。

闘争の中身も違う。“武力闘争”でももちろん無い。組織化されたものでもない。火炎瓶は飛ばない。角材も無い。様相はまれで違う。

三里塚のキーワードが「農地農民」であったとすれば、官邸前や国会を取り囲んだデモのキーワードは何か。それらも含めて・・・。

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