2013年5月1日水曜日

たまたま与えられた場所

村上春樹の新作に登場してくるワンフレーズである。
「たまたま与えられた場所」。つくるが沙羅に言われた言葉だったか。

人がその時、どんな場所にいたか。ある時期どんな場所にいたか。人生の帰趨を決める大きな要素。

「置かれた場所」ではない「与えられた場所」。それに主語は無い。誰に寄って与えられたかという。神なのか、自分の運命なのか・・・。

このワンフレーズになんとなく納得した。なんとなくではない、大いにかもしれない。

福島県郡山市というところに四半世紀住んでいる。住みついてしまった。たぶんここが終の棲家となるだろう。
ボクにとって郡山と言う場所は、まさに「たまたま与えられた場所」であったに過ぎない。そう、たまたま・・・。

人口32万弱の地方によくある都市。これといった脈々とつづく歴史があるわけでもなく、特に明治維新以降はともかく、それ以前は二本松藩と白河藩の中間にある、単なる宿場町。

この町が特に好きなわけではない。だからと言って、この町が特に嫌いなわけでもない。住みやすい町だ。なんとなく中途半端な町である。だからボクのような中途半端な人間には住みやすいのかもしれない。

この地に住む人の大方は好きな人であり、いくらかは嫌いな人である。好き嫌いを問わず、いわゆる「地元」の人達だけの集まりに、なぜか“他所者”であるボクだけがメンバーにくわえられている場合もある。
そういう意味では不思議な町なのだ。


もともとボクは東京人である。あった。たまたまこの地に来てしまった。そして居ついてしまった。
「変わった奴だ」。そう思っている友人もいる。離れがたい友人もいる。いや、その友人や集まって来てくれる若い子達が居ることが、「たまたま」を「当然」に変えてしまったのかもしれない。


昨夜あったちょっとした集まり。そこでも言われた。「え、東京の人なんですか」と。

たまたま与えられた場所。それは、当然あり得ることと受けとめている。

全ての人が、自分で選択し、そこにしようと決めた場所に住める訳ではなにのだから。

たまたま与えられた場所で、たまたまそうだった“平穏な日々”。それが打ち砕かれた2011年3月11日。

その日を、そしてそれ以降の日を、この地で迎えられ、そこで様々な事を体験している、見聞きしている。中途半端な町で、中途半端の被災者として。
それは「有り難い事」だと思っている。この地に居ることに、たまたまいたことに「意味があった」のだと。

だから・・・あの日以来、ほとんど真剣に、時には多くの時間を費やしても書いているこのブログのようなもの。
そこにはしばしば「東京」に対する悪態が出てくる。それは東京を知っている者だから書けることもある。そしてその悪態は自分自身に対しての悪態であるのかもしれない。

故郷東京のあらゆる意味での「巨大さ」を知っているから、その故郷を美化する気持ちは微塵も無く、離れているからこそ余計に見える事どもを書き連ねている。

永田町という場所も、そこに20年余り巣くっていたが故に、多くのことを“知悉”している。マスコミ界も、その多くのことを内情も含めて“知悉”している。

だからこそ、それを批判し、非を非といい、それに歯向かうことが当然の“権利”であり“義務”でもあると思っている。“知悉”していないと見えない視点というものがあるはずだから。

この地に居て、「あの日」を体験して、多くの事を学んだ。多くの人達の苦しみや嘆き、悲しみを共有しようとした。出来ることならば・・・。

村上春樹はこんなフレーズも書いている。
「記憶に蓋をすることは出来る。でも、歴史を隠すことは出来ない」。
たぶん、それは登場人物の人生について語ったことだろう。一人の人の生き方として。そう彼を“擁護”する。

少なくとも、東北の地にあっては、蝦夷の地にあっては歴史は隠されて来た。いや、たった2年前にあった“歴史”も隠されようとしている・・・。

隠されないようにしなければと・・・・。たまたま与えられた場所のことと、そこであった事実の数々を。

昨日、ここ数年会ってはいないが、東京にいる親友の一人と久しぶりに電話で話した。きょうも話した。石原プロの番頭を自称していた通称「コマサ」。小林正彦。今は「退役」しているが。

昔の事から今の事まで。様々なことについての尽き無い会話。ボクの現況。
彼はボクがこの地にいることを「是」としてくれた。「お前らしい選択だ」とも。

嬉しかった・・・。

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