あるコラムに「復興とはなにか」ということを書いた。この場でも時折書いた。
「復興」と言う言葉、猫も杓子も復興、復興。それを言えば事足れりとする何にも考えていない人達の群れ・・・。その言葉の定義も内容もイメージも確たるものを持ち合わせていない人達が叫ぶ「復興」。それらを踏まえての疑義。
よく考えてくださいよ。考え抜いてくださいよ。何をもって復興というのか。
復興と言うことが何故必要なのかを。
多分こういう答えが返ってくる。「元に戻す」ってことだ。との答えが。
それは「復旧」だ。
神戸との比較、街は一見“復興”し、栄えている。復興住宅と言う名の高層「マンション」も出来た。しかし、住民はすべてが一人暮らしになった年寄りだけ。
そこで孤独死が・・・。日常の出来事のように。それが復興なのだろうか。
コンクリートで固めた防潮堤を作り、名ばかりの復興住宅。賑わいの無い場所に作られた住宅。入居者は少ないと言う。南三陸の話し。
津波で流された町。“復興”をめぐって様々な議論が、話し合いが交わされている。時には町を二分するかのような様相も。
神戸の例をあげるまでも無く、人は“復興”というと、いわゆるインフラ、建造物をまず思い浮かべているのではないか。
仮の多額の予算を投じて、元の町を復元できたとして、その町が高いコンクリートの防潮堤に囲まれていて・・・。それは中央政府の官庁の机上の復興プランだ。
町の賑わいを取り戻す。津波に襲われた地域。すでにあの大震災の前から、過疎化や高齢化は進んでいた。自治体はその対策に追われていたはずだ。
その「過疎の町」を復元してどうなるというのか。
家を流され、家族を失った人たちの、そこへの「想い」と“復興”との間に違和感があるように思える。
高台への集団移転を決めた地域もある。
そもそも「復興」とは何か。建物や道路の再建か、もっと高い防潮堤を作ることか。違う。
福島に話を移そう。今も立ち入りが制限、禁止されている区域。そこの復興とは何か。原発があって栄えていた町。原発が“正常”だった時の町には、戻れるはずもない。戻ろうとはしないだろう。
郡山の復興とは何か。古いビルを解体することか。寂れていた中心市街地に人を呼び戻すことか。それは都市計画の分野だ。
復興とは、日常生活を取り戻すということかもしれない。その日常生活とは。
「お互いさま」と「持ちつ持たれつ」の“伝統”を持った地域社会の在り方。
こじんまりとしていてもいい。もう戻ってこない人達も多いのだから。お互いが助け合える町。それがあちこちに出来あがる。それも“復興”の要なのではないかと。
大和の国。その大本の「和」は「輪」である。和の精神はここ東北の地の根幹を為していた思想。それを取り戻すことも復興だ。
東北学というか東北論というか。
「復興」を巡る話し・・・また、さらに記し続けなければならない。
震災後、目に触れた女川中学の1年生の言葉が忘れられない。
「女川は流されたのではない。新しい女川に生まれ変わるのだ。人々は負けずに待ち続ける。新しい女川に住む喜びを感じるために」。
復興とも再生とも元にともこの子は言っていない。新しいと言っている。
東北論の重要なヒントであり、“復興”の、大人が、その誰れしもが示し得ない、その「定義」を教えてくれているような気がする・・