2013年4月5日金曜日

労働組合、それは過去の“幻想”かも

もう一昔、ふた昔前の話になるのか。労働運動が全盛を極めていた時代があった。総評と同盟。
簡単に括れば、総評は社会党系、同盟は民社党系。共産系もあったが。
それらの組織が大きな力を持っていた時代があった。

たしかに、例えば総評の事務局長だった岩井 章は昼間、芝の高級フランス料理店に出入りし、権力側と“密会”したりもしていた。そして“労働貴族”なんていう異名を与えられたりしていた。
総評の議長、大田薫の発言権は大きかった。彼が何をいうか。マスコミは総評大会を必死に取材していた。

とにかく、ある時期から労働運動は衰退した。社会党も消えて無くなった。
労働運動の衰退、それは、もしかしたら国鉄の民営化にあったのかもしれない。
中曽根行革の“成果”だったのかも。
鬼の動労・・・。そして国労。

いつの間にか、ほんと、いつの間にか。労働組合組織は「連合」という名に変わり、得体のしれない組織に変貌した。「ぬえ」のような存在に映る。

少なくとも、過去は自民党政権に対しての、アンチ権力としての存在意義を持っていたはずの労働運動組織。一億総資本主義、グローバル資本主義の流れのなかでは致し方ないことだったのかもしれないが。

民主党政権下では、政策決定にいささかでも関与する場を与えられてはいたが、それは単に政権を“補完”する役割だけだったような。

そして、今や、連合は自民党安倍政権にすり寄る。すり寄り過ぎだ。それは組織を維持するための必要な手段なのかもしれないが。みっともないし、悲しい。
なぜか。
もはや安倍政権には怖いもの無し。思うがままにこの国を動かせる。その行き着く先が怖いのだ。

なぜなら、常に「反対勢力」を抱えていることが、国にとっては健全だということ。

原発がそうだ。ある時期まで、原発に対して厳然たる反対勢力があった。それはイデオロギーの問題だけでは無く。だから、少なくとも東電の社長をして言わしめた。反対勢力に負けたくない。負けないために絶対安全な原発にしていくと。

反対勢力が消滅した中、原発は怖いもの知らずのように悠長に育って行った。

電力会社の中にも労働組合がある。原発関連産業の中にも労組はある。その存在感はどこにも無い。せめてまともな労働組合、その運動なら、東電の原発の下請け業者に対する、卑劣な対応に対して、それこそストライキも覚悟で待遇改善を求めるべきなのだが。

新聞労連はどうした。日放労はどうした。民放労連はどうした。どう反応した。原発事故に対して。危険な取材はさせないという会社側の方針に唯々諾々と従っていただけではないか。

常に身を安全な所において、本来は守るべき環境にいる人達を見捨てている。それが今の労働運動。

常に、それは時には混乱を招くとしても、反対勢力、反権力は必要なのだ。それが健全な社会構造なのだ。

明治の初め、国民の権利を獲得すべく、全国に吹き荒れた自由民権運動の嵐。その発祥の地に福島もあったのだ。
自由民権運動は、さまざまな“弾圧”の中、結果消滅した。しかし、それが勝ち得たものは大きい。

福島では、県民の多くの権利が奪われている。労働組合運動の名の下に、それを奪還する尖兵になる組織は無いのか。もちろん福島県にも連合福島という組織がある・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...