郡山では市長選があった。
投票率45,1%。有権者は25万9088人。当選者が獲得した票は61、468票。「4分の1の民意」。
“被災地郡山”には課題が多い。そのはず。でも、この投票率。
もはや、政治にも行政にも「期待」しないということか。
それがわからないわけではないが・・・。
この国の政治に対する国民の関心度、関わり方。それの縮図がこの郡山市長選の結果のようにも思える。
かつてこの国の歴史の中に、自由民権運動と言うのがあった。憲法の制定含め、参政権に至るまで、国民の権利を獲得するために身を投じた人達がいた。
福島県はその東北の自由民権運動の発祥の地。もう、それを知る人はいないということか。
先人が命を賭してまで獲得した権利を行使しないという県民。
かつて自民党の総裁選挙に予備選なるものが導入された時、福田赳夫と大平正芳の一騎打ち。優勢のはずだった福田が敗れた。
「天の声にも変な声がある」。福田の敗戦の弁にあった言葉。
福田が言う「天の声」とは、「民意」ということだろうか。党員の投票による予備選ではあったが。
当時の自民党総裁選。政策的な対立軸はなかった。ほとんど。何が争点か。単なる派閥戦争。
郡山市長選、双方に確たる政策での対立軸はなかった。政策で訴えること、それは「復興」と「除染」でしかなかったから。人口32万都市の“未来”を語るものではなかったから。
その中で示された4分の1の民意。民意とはつくづく気まぐれなものだと思う。
エモーショナルなものだと思う。
逃げた、逃げない。過去の「ウワサ」を元にした訴え。行政は何もしてくれていないという市民の漠然とした印象。
かつて書いた。民意とは空気のようなものであると。そこには山本七平の“空気の研究”という著作の主題も含めて。
明確な争点の無い選挙だったが故に投票率が低かったのか。もはや“政治”を見捨てたということか。
あなた達が政治を見捨てるのは勝手だ。しかし、よく覚えておいて欲しい。政治はあなた方を、国民も市民も放ってはおかない。
支配し束縛するのだということを。
すでにして、参院選挙のことが話題にされている。国会ではそうだ。そのために・・・それが全ての目標のようだ。
安倍は総理になる前から、側近と、「参院選までは経済一本で行く」と方針を決めたと言う。ここにきて様子がちょっと変わってきている。
憲法を争点にすべきという声がおきていること。
わかりやすい選択肢だと思う。様々な意味で。憲法改正を争点に据えれば、たぶん一番困るのは民主党だろう。護憲派も改憲派もいる政党。そして困るのは公明党。平和憲法を掲げている政党なのだから。
自公連立という構図はどうなるのか。
民主はそれが争点にされれば、たぶん割れるだろう。割れても良いじゃないか。
そして、原発は多分争点にならない。本当は最大の争点の筈なのに。それはすでに去年の選挙でも避けられていた。
違憲とされた選挙制度。それが争点になるのか。ならないだろう。
今の民意は・・・やはりカネ、経済のようだから。知らず知らずのうちにメディアの伝え方もそれに傾きかけているような。
4分の1の民意。重ねて言う。それは、この国の「縮図」だと思えてならないのだが。
選挙の在り様も含めて。