暦年制をとるのではなく会計年度制をとる日本では、4月1日が、多くの事の始まり。新年度だと。
4月1日は新たな始まりの日とされる。新入生、新入社員、新予算・・・。
企業でも多くの新入社員を迎えて“晴れがましい”入社式が行われ、社長が訓示を。何にしても晴れ姿ってのは良いものだけど。
被災地でも役場を始め、企業でも新入社員を迎える。そこに身を投じた若者たちは何を使命としていくのだろうか。
役場に入った人達。平時の公務員では無い。覚悟を持っているのだろう。
新しい“血”にもろもろ期待する。
新しいと言えるかどうか。今日を区切りに、庶民の生活に直結する様々な生活必需品が値上がりする。
アベノミクスの負の作用とは言いきらないまでも、円高が招いた結果も大きい。
正確に言えば「アベノミクス」なるものは、まだ実際には現実には稼働していないはず。いわば“かげろう”のような物。“うたかた”のようにも思える。
澱みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまることなし。
今日を期して浪江町でも区域の再編が行われた。確かに、立ち入り自由になる区域が出来た。でも、それが「問題解決」の第一歩となるのか。
区域再編は9市町村目にあたる。区域再編が進む中で、「戻らない」という人が増えている現実。
除染・・・可能なのか。インフラ整備・・・おぼつかない。「全町帰還」「全村帰還」、4年後、6年後、10年後・・・。目途は立てられる。しかし、その月日の経過は何をもたらすのか。
双葉8町村を全体として捉えた「区域再編成」。町村合併論が台頭しはじめる気配もある。
新しい“双葉郡”を作らねばならないという構想。
浪江にはちょっとした思い入れがある。そこに明治の時代に吹き荒れた自由民権運動の闘士がいたということ。権利の獲得に心血を注いだ人物がいたということ。福島県は自由民権運動の発祥の地の一つであったということ。
黙っているだけが福島県人では無いということ。小さいかもしれないが「知」を持った人たちがいたということ。薩長で構成される明治政府に“抵抗”した人が輩出されていたということ。
それらは、今や「埋もれた福島県史」なのか。
4月1日をエイプリルフールと言う。そこまで西洋の真似をしなくてもいいとは思うけど。
立ち止って、振りかえってみれば、この2年間、さまざまなところで安易に吐き出される福島にたいしての言辞の数々。毎日が「エイプリルフール」であったような。無意味な言葉が乱舞していたような。時には人を根本から傷つけるような。
意味の無い言葉・・・。それに多くの人が惑わされる。もうゴメンだよ、エイプリルフール。
時あたかも郡山では市長選。両陣営は「逃げた」「逃げない」の応酬。主語の無い、逃げた、逃げない“論争”、“罵倒”。
何から逃げたのか、職務からか、放射線への恐怖からか・・・。
実態の無い対決のコピー。有権者である市民の多くは、それを苦々しく見ている。
毎日のようにエイプリルフールをやっていて、なにか得る事ありやと。