きのう書いた子供の詩のこと。
「さくらの花が咲くころは、うれしさと寂しさが、りょうほう、いっぺんにやってくる」。
その詩に想念をかきたてられたわけではないが、事のついでに桜を訪ねてみた。
ローカルな話で申し訳ないが。郡山の5中の裏にどこかの寺の小さい墓地がある。そこに一本の桜の木が咲いている。
そういえば、その辺りの地名は桜木だ。
その桜の木は、墓を守る様に、そこに眠る人を安堵だせるかのように、毅然として見える。そして桜の木の向こうに、遠く安達太良山が望まれる。
まだ真っ白な雪に覆われた山。
柳田国男の遠野物語ではないが、東北にある山岳信仰。亡くなった先祖の霊は山に上り、そこから麓の子孫や田畑を見守っているという“思想”。
そこの桜は、もともとその墓所にあったのか、墓を建立した人が植えたものか。定かではない。当たり前だが。
きょう見たその光景は、そのこどもの詩のように、墓地が持つ独特の静謐感と、桜花が与えてくれる季節のうれしさと、そこにも安達太良山が見守っていてくれるかもしれない大きな慈しみがあった。
写真を撮った。フェイスブックにはあげてみたが・・・。
あの日以来こだわることになった3度目の春、桜の季節。
もともとボクはそうだった。郡山で有名な開成山公園のように、多くの桜の木が咲き乱れる姿はあまり好きになれない。三春の滝桜もあまり好きにはなれなかった。
野辺に咲く一本の桜。その下にある墓。桜の木がその墓を覆い守るような、そんな光景が好きだった。会津にそんな場所があった記憶がある。
雪村庵の桜もそうだ。たしか一本だった。
願わくば花のもとにて春死なん・・・
西行の死生観に惹かれたわけではないが、どことなく儚げな桜花にこころ惹かれてきた。
桜花 命いっぱい咲くからに 生命をかけて我が眺めたり
岡本かの子の、そんな句が好きだったからかもしれない。
そんなこんなを思い出させてくれた子供の詩。
桜越に山を見ながら、どうしても「あの日」を思う。多くのものが断ちきられた。それでも巡り来るものがある。
喪失の悲しみと再生への祈り。
重松清の最新刊、「また次の春へ」。そこで彼は書いている。
冬を越えたあとに待つ春を、また思う。次の春も、また次の春も。穏やかな暖かい日がつづくといい。
今朝起きて驚いた。淡路島周辺で震度6弱の地震があったと知った。負傷者が出、家や家具が壊されている。
地震は自然が為せるわざ。桜の季節も自然が為せる業。穏やかさと恐怖と。自然はいつも「一つ」ではない・・・。
春もまた物思わせる季節である。桜もまた、物を思わせる。京都の“哲学の道”。
そこにも道の両側に桜並木があったような気がする・・・。
桜ほど、物を想わせる花は無いのかもしれないとも。